民主的なやり方では無印良品は誕生していなかった
無印良品の流れを知れば知るほど、日本の過去、そして現在でも特異点だと思ってしまいます。
私は重度のMUJIっ子であると同時に結構批判的な目も同居しているタイプの面倒くさい人間なので、それを前提に…
まず無印良品が間違いなく創業者の堤さんでなければ成し得なかった…うーんと、文化系の出自で経営側としてやる人は多いと思うけど、それが無印良品のような(スケールでなく)存在感になっているの、自分は知りません。
おそらく理念や理想は掲げる事が出来てもそれを市場に落とし込む圧倒的なパワーがいるのでは?
それはもしかするとコンプライアンスが重視される現代にそぐわない類のものかもしれない。
そんなストーリー性一択で応援消費されるタイプが本来のMUJIのあるべき姿なら、その側面が強めず、他所で似た商品が安いので無印良品もある程度値下げしようとか
他社の商品をほとんどそのまんまで販売したりとか
恐らく堤さんが生きてたら激昂する事態に今なってる気がします。
ユニクロからやってきた社長の
「価値観の押し付けになっていた」
のが売上低迷の要因と言っていたけど、そもそもMUJIは大なり小なりそこをやってきた訳で。
何だろうな、このモヤモヤ感。。
明らかに第二回でもコメントした
「資本主義の悪習」
にかなりすり寄っているし、初期の
「普通の顔をしたパンク野郎」
から離れているのは明白。
店員や消費者、無印良品を紹介しているインフルエンサーも含め、堤さんの考えを知る人はほとんどいないでしょ?
現実は限られたお金の中で他所と天秤をかけながら消費しているのが実態で、そこに「豊かな暮らし」をコピーライティングしてもマスには響かない。
それもわかっているから資本主義の悪習に寄らざるを得ないんだろうけど。
何とかこのようなナラティブを使って無印良品のファンを繋ぎ止めているけど、そのナラティブは売るための広告でしかなくなっているのが非常に残念です。
著名なデザイナーなどがアドバイザリーボードなどで固めていても、それは無印良品のブランドイメージを高める1要素にしかなり得ていない…外側にいる自分の目にはそう映ります。