見出し画像

それぞれの温度感で推す、という話。

アイス食べたい。mohanです。

元々本が好きですが、最近はなかなか読めていなかった。本読むのって体力も気力も使う気がして、好きなんだけど読める時とそうでない時の落差が激しい。真の本好きってどんな時でも一日一冊とか読めたりするものなのだろうか。かっこいいな。忙しくて朝から晩までピューッ!みたいな時も絞り出すように時間を確保して読もうとする。その熱量を私も持ちたい。所謂「推し」みたいな感じで。みなさんは「推し」っていますか?私は残念ながらそこまでの領域に辿り着けない。ぐすん。まあ楽しめる時に楽しもうの精神でいるけれど。

何か一つのものに強烈に取りつかれることの魅力について。

さっきも登場した「推し」みたいなものです。音楽も本もスポーツも映画も、好きな作品はあるし好きな人はいる。これが好き!と声もあげられる。実際いくつか紹介したりもしています。けれどそれが熱烈な「推し」かどうかといわれると大分微妙になってくる。だって自分以上に、大好きなんだろうな、凄い取りつかれてんな(失礼)、生活に浸食してて一体化してんな(失礼)って感じる位に夢中になっている人って数えきれないくらいには存在しているから。日本全国どんだけいるねんってレベルで。そこで順位付けしたり競争したりすることに意味なんかないし、好きなら好きでそれでいいじゃないかとそういってしまえばそれで終わりの話。アイス食べたい。で、何の話かというと自分でもわからなくなってきた。まとまりのある文章が書きたい。

結局、何かに熱烈に取りつかれるものがある人、1つのことに熱中できる人ってやっぱり魅力的に映る、それはきっと間違いないのだと思う。プロレスなんか好きそうじゃない人(失礼)が、この人のこのポーズがどうこうとかキラキラした目で語りだしたらなんかもうグッとくる。ギャップやべえっ!って脳みそのどこかが急性反応を起こす。もうちょっと綺麗な表現を使いたい。私はその、ギャップみたいなものがない、というか弱い気がしている。気づいていないだけだと思いたい。けど私はプロレスなんか好きそうじゃない人(失礼)で、実際この人のこのポーズがどうこうとかキラキラした目で語ることなんかできないくらいにはプロレスについて無知である。あぁ、残念。ここでこの人のこのポーズがぁ!!とか言い出せば良いギャップを生み出せて近づいてくる人もいるかもしれないのに(どんな人だよ)。ともかく私には熱烈な「推し」がいない。

バニラな毎日のあの人も。
そういえばこの間読んだ本に出てくる女の人もちょっと自分に似ている気がした。否、嘘。パティシエとして自分を貫いた人と一緒になんかできる訳なかろう!ぐすん。
自営で洋菓子店を開いたその人は、自分に愛がないことに気づいていた。愛がない、って難しいけどでもなんか分かる。周りの視線や考え方から逃れられた瞬間に自分を解放して、思い思いの分厚いホットケーキを作った彼女に親近感を覚えずにはいられなかった。ホットケーキミックスで毎回のようにゆるゆるの薄いパンケーキを作って、これがパンケーキだと言い張っていたお母さんに内心違和感を覚えながらも、その場はやり過ごす。親や友人と表面的にでもうまくやっていくために、身につけた処世術。
でも何処かで冷めている。違う、と思っている。そういう感じ。川の浅いところで水を掛け合っているような、相手の深い部分までは潜り込もうとしないような。
ペラペラのパンケーキじゃなくて、私はぐりとぐらみたいな分厚いホットケーキが食べたいんだよ、って言えればよかったのかな。でも言ったらきっと傷つける。というより私の大好きな分厚いホットケーキを否定されたくない。あの人の正義のナタで、自分の大好きなものを否定されたくない。多分後者の方がずっと強いんじゃないかって思う。そういう部分に、愛を感じない、って断じる人もいるのかもしれない。お母さんが買ってきたケーキに反応して、私の好きなケーキ買ってきてくれてありがとう、って言えればよかったのかもしれない。そうしたら彼女の承認欲求を満たすことができたかもしれない。でもそれでも分厚いホットケーキが食べたい。愛がない、というより人に対する興味が薄い、の方が近いか。そのどっちもか。

この本を途中まで読んで、生まれもったそういう”淡白さ”、人に対する一種の諦めみたいな、ドライなスタンスはどうにもならないもんなんだと思っていた。でも洋菓子店の彼女は、最後には少しずつ周りの人の存在に感謝して寄り添っているように見えた。性格がガラッと変わったとかではない。自分自身の過去は過去として受けいれて、他人の厚意や優しさをまっすぐに受け止められるようになっていた、そんな感じだ。きっと余裕がなかっただけなのかもしれない。人に対して諦めの気持ちを抱くのは、それだけ失望するようなことがあったり、否定されたりしてきたからなのかもしれない。そうじゃない、って思わせてくれる人と出会えば、誰だって変わるチャンスはあるのかもしれない。かもしれない、ってふらふらしているかもしれない。けど断定できることなんてそんなに多くない。浅いなら浅いなりに、でいいじゃないかと思うようにもなってきた。誰かや何かと深く繋がれないことを責める必要はないし、それも個性の一つだと受け止めていたい。


自分の好きレベルで推したっていい。
毎日本を読めない私ですが、たまにこうやって本を読んで少しだけ思考が柔らかくなった気がしたりしている。自己満足でもいい。それでもいいから、読みたいスイッチが入った時に読むことにしています。

アイスは食べたかったら食べればいい。
MOWの新作、ほっこり紅はるかが冷凍庫に眠っているのを私は知っている。


いいなと思ったら応援しよう!