無題という名の想い
なんなら特別な関係になれなくても、一緒の時間と空間を共有できる機会があるだけで尊いと感じる。じわじわくる幸せというか。
なんか、自分だけのものにしようとか、そういうのじゃなかった。
同じコミュニティのメンバーの中にあの人が居て、たまに目が合ったり話したり、そういうのがいいと思っていた。
時間は無限のようでいて、有限だったということに気づいてびっくりする瞬間がある。
何気なく惰性のように同じ時間を過ごして、これまでのようにこれからも同じような日々が続いていくのだと信じて疑わなかった。
今振り返って思えば、時が止まってほしいと思う瞬間に出くわせたこと自体が奇跡的で。
過ぎた日々は二度と戻らないし、喉から手が出る程にほしくても、人生のやり直しスイッチは手に入らない。
とりあえず色々強がっていたこと、なるべく周りに頼らずに自分自身で何とかしようとしてきたこと。甘えとわがままの境界線が分からず、何もできなかったこと。
人と深く繋がりたいと渇望しながら、親密になることに異常なほどの恐れを抱いていたこと。
汚くてだめな自分を知られるのが怖くて、自分から距離を置いたこと。
外側から見れば、随分「可愛げのない」人間として映っていたんだろうと思う。2年以上関わりがありながら、あの人は私のことを「よく知らない」と言った。
その瞬間に悟った。よく知っていると言われるレベルには、どれだけ階段を登って息を切らしても辿り着くことはないんだと知った。人生で何度目かのその味を、苦いと思いながらも飲み込んだ。
人には、残酷なまでに優先順位というものが存在している。
知りたい、分かりたい、理解したい。
大切にしたい。尊重したい。愛したい。
こういったエネルギーが自分に対して向けられるかどうかは、神のみぞ知る的な所がある。
頑張ったら頑張った分だけ結果が出る定期テストのようなものとは違う。定期テストだと思って向き合ったら、いつの間にか壊れていたというようなことが人間関係には起こり得るのだと知った。
私は姉で、お姉ちゃんで、頼るよりも頼られる方が似合っていて、人に甘えている姿が想像できないとすら言われたこともある。
私はその「姉」としての鎧を身にまとったまま、剥ぐこともできずに目の前の人と向き合おうとしていた。本当は剝がしたくてしょうがないそれを、とうとう最後まで剥がすことができなかった。
ただ、剥がすことができなかった自分を責める気分にもなれなかった。
怖かっただけだと分かっていたから。
あの日、地下鉄を降りるとき、1番最後に手を振った。
元気でね、と言って笑顔で背を向けた。この気持ちすら受け流せたならどんなに楽だろうと思いながら。
あの日以来、あの人には一度も会っていない。