結果と考察の違いは?
これ、理科を初めて教える先生によーく聞かれる質問です。
よく言われるのは、
結果➡︎見たままの現象
考察➡︎結果から考えたこと
とまぁ、こんなことが言われていますね。
具体例をあげます。(4年生ものの温まり方「金属」)
結果➡︎熱したところから順にろうそくが溶けた。(見たまま)
考察➡︎ろうそくが溶けたところから、熱が伝わったことになるので、金属は熱したところから順に熱が伝わると考えられる。
という感じになります。
でも、この違いを子どもたちに伝えるのって結構難しいんですよね。
結果を書いてると考察が混ざってきてしまう子もいます。(別に思考してるんだから、良くね?と思われる方もいると思いますが、やはりここは分けないといけません。佐々木昭宏先生の著書の言葉を引用させていただくと、『そもそも結果と考察というものは、実験結果の収集と同時進行に頭の中に出てくるものです。だからこそ、結果と考察、結論をきちんと分け、互いの関係を明確にしながら話し合うことが必要です。それが、理科学習で求められる科学的思考に基づく「科学的な表現」と言えます。』僕はこの説明がすごくしっくりきました。)
ですので、僕はできるだけ結果は、絵や図、表やグラフに書くようにさせてます。さっきので言うとこんな感じ
そうすると、結果に考察が混ざることはまず有りません。
そしてその後、先に結論を書かせます。(基本的には、という話なのでケースバイケースですが…)
問題「金属はどのように温まるのだろうか?」
だとすれば、結論は問題の答えになるように簡潔に書くので
結論「金属は熱したところから順に温まる。」
となります。実は考察をするまでもなく、子どもたちは結論が分かることが多いです。
ここで子どもたちに聞きます。
「なんで、この結論になると思ったの?」
そうすると、子どもたちは…
「だって……」
と言い始めます。
はい、ここで言いましょう。
「そこから先は言わなくていいよ!今言おうとしたことを考察に書いてみて!」
そうすると、結果を言語化したり、分析したりすることを始めます。
まさにこれが考察です。実際の授業では、金属の板だけではなく、棒でも実験を行いますので、その結果と結び付けて考えることができればB評価と言えるでしょう。また自分の立てた予想や結果の見通しと比べながら書くとより論理的になります。
では、A評価はどんな考察なのでしょうか?
僕は最近、考察がより科学的かどうかで判断しています。(あくまで個人の考えです。A評価についての具体資料は今まで見たことないので。)
科学的とは、実証性・再現性・客観性を指します。
実証性 実際に観察・実験を通して検証できているか
再現性 誰が何度やっても同じ結果になるのか
客観性 授業を受けてない人でも納得のできる論理的な説明になっているか
考察に現れてくる表現としてはこんな感じ↓
『他の班の結果を見比べても、結果はどこも同じになっていた。』➡︎再現性に触れていますね。
『金属棒も金属板のどちらの実験も、実験中の加熱位置は変わらないのに、火から近い方から順に、ろうが溶けていることから、金属は熱したところから順に温まると考えられる。』➡︎実験方法に触れています。実証性という部分になるかな?(この場合は妥当性という表現の方が適している気もしますが)
というような実証性や再現性に関する表現が、B基準に付け加わった時にAになると考えます。
【※客観性に関しては、実証性と再現性が高まることで他者(他のクラスの子や他学年の子がノートを見ても)が納得できる書きっぷりになっているか。ということですかね。なので、文章には表出されないものと考えています。】
で、ラストは全体での結論。個人の結論、全員の考察が出揃ったら、最後に全体で承認した結論を導きます。この時もちろん個人の結論と全体の結論が同じ文言になることはあります。そのときはわざわざ二回書かなくてもいいし、ちょっと違ったときは付け足してもいーよと伝えています。
つらつらと書きましたが、このような感じです。
また振り返りについては、授業の最後とは言わず、実験後に見通しと比べて振り返りをさせるなど臨機応変にしています。そもそもこの実験方法で良かったのか。妥当な実験と言えるのか?考察に自分はこう書いたものの、この実験だけじゃ結論出したらダメなんじゃないか?
というように、他者の考えと比較しながら、自分の考えをよりクリティカル(批判的)に見られるともっと科学的になると思い、最近はこんな授業を目指していろいろ考えています。
結果と考察の違い分かりましたかね…。余計に混乱してしまった人は、佐々木昭宏先生の『これだけは身につけたい指導の技45』に書いてます。
もぐりんの説明じゃわかんねーよ。という人はこの本買いましょう。笑
あー言語化するって難しい。疲れた。笑