私たちの出版計画は、ひとりの暴論とひとりの勝手ではじまった
「もぐら会で本を作りたい」の夢のターン
はじめまして、もぐら会の片栗珠子です。今日は私個人の目線で、#もぐら本がいつ、どのようにしてうまれたのかという話をします。
記憶というものは、それ自体にまるで人格があるのではないかと思うほど、大切なことを忘れてしまったり、ちっとも忘れさせてくれなかったりする勝手な存在です。この記事を書くことで、自分自身の記憶も整理しながら、皆さんに#もぐら本プロジェクトが始まるまでの経緯を知っていただけたら嬉しいです。
もぐら会公式Facebookには「もぐら会でやりたいこと」というスレッドがありました。そのスレッドから、これまでたくさんのイベントが生まれました。大人の社会見学と称して寄席ツアーや地下神殿(首都圏外郭放水路)ツアーに行ったり、好きな本で読書会をしたいと朝早くから集まったり、結婚の困難について語ったり……。どのイベントも誰かが言い出して、参加したい人が集まったら開催、という流れを辿りました。
そのなかのアイデアの一つが、「本を作りたい」というものでした。それは、どこに行きたい何をしたいという声が集まるより先、スレッドがたった2019年10月13日直後、ほぼ同時に3人から出ました。それもまるっきり同じ意見というわけではなく、「ZINEをつくりたい」「本を作りたい」「メディアをつくりたい」というような声でした。もぐら会のメンバーからたくさんの「いいね!」がつきました。
それから数日後、毎月行われている懇親会がありました。食事をしながら自由に話す、お話会とはまた雰囲気が異なるイベントです。そのとき、懇親会では自然ともぐら会に入る人たちの面白さの話題となり、また自然に社会や労働への話題へと移り変わりました。話の流れで、もぐら会主宰の紫原明子さんが「バズらなくても読む人の心に深く刺さる、みんなの素晴らしい文章がいきる場所がインターネットにはないんだよね。そしてそれはメディアが広告……<略>……資本主義のせいだ! 資本主義に負けることなく素晴らしい文章を届ける方法はないのか!」といい、淡々さんが「なるほど。それならやはり出版してはどうか」と返していました。皆がFacebookの書き込みを見ていたのもあり、「やりたいことにも書いている人がいたよね」「やっぱりそう思う」と盛り上がりました。明子さんはそのときの皆の反応や言葉に心がグッと動いたそうです。
心を決めた明子さんは、その日帰宅してすぐ「決めた!もぐら会で本を作ろう!!!」と宣言する投稿をしました。
突然の投稿に、もぐら会では大歓声が湧き起こりました。すぐに「執筆をしたい」「できることは協力したい」「お金の計算ならできます」「文フリがいいんじゃないか」「ブックイベントを開催したい」と次々に声があがり、そこからいろんなアイデアや意見が交換されました。実現するかどうかわからない、でも楽しそうだ面白そうだと思う気持ちに正直なもぐら会の人たちは、童心にかえり、さらにどんな本作りがしたいかという具体的な話をするようになりました。
それぞれの熱い思いが続々と蓄積されはじめました。最初の書き込みが行われてからたった10日目の出来事でした。
私は、本作りなんて大それたことを言うメンバーにびっくりしましたが、「みんなステキな人たちだし、きっとよい本になるんだろうなあ。」とワクワクしながら書き込みを見ていました。
「もぐら会で本を作りたい」現実ターン
「本を作ろう!」と明子さんが宣言したあと、もぐら会では具体的なディスカッションで盛り上がりました。けれど、「本を作る」といっても、さまざまなジャンルや形態があります。もぐら会として、どういうものを世の中に送り出したいのかということについては、定まっていませんでした。というのも、もぐら会というのは「まとまらない人たちのまとまり」なのです。それぞれの人生をそれぞれの場所で生き、けれど意識下では併走していたり、ときに響き合ったりしている……できることならその不思議な感覚を表現したいわけです。どうすればそれを表現できるのか、とても悩ましいところでした。
結局、そのときは明子さんが「構想をしっかり考えてみるね」といって、ディスカッションは一旦終了しました。
私は、普段から明子さんの思想や文章を見聞きしているのもあり、彼女がどんなことに面白さを見出すのか、どんな形でやってみるのか、単純に興味がありました。ただ、それとは別のところで、本当に本作りをするのか、という疑問もありました。「本を作る」となったら、当然そこには複雑な作業がいくつも発生するし、お金も絡んできます。これまでの単発イベントとはまったく話が違うのです。それぞれが自分の暮らしを守りながら、コミュニティのなかに忙しさがうまれることが、本当に望んでいることなのか。それによってもぐら会から安心安全な雰囲気が失われることはないのだろうか……。そう考えているうち、私は「きっと参加しないな」と心が定まりました。そして「次に明子さんがまたその話題を言い出すのをゆっくり眺めよう」と思いました。
2週間、1ヶ月とたっても、本作りのことは話題に上がりませんでした。気がつくとすでに2ヶ月たち、2020年になっていました。なんとなくもう立ち消えになるのかな、とぼんやり思っていたとき、もぐら会Slackにファイルがアップロードされました。
開いてみると「もぐら本台割案」と「もぐら本叩き台」でした。送り主はもぐら会のメンバーで、普段からお仕事で本作りに携わっているかんちゃんです。さらにファイルを開くと、80ページ分の台割表と、今後のスケジュール・必要経費がまとめられた文書が出てきました。最後に「もし文フリに出展するならすぐ動き出さないと時間がない」「勝手に考えました」というメッセージが簡潔に記されていました。ファイルには「もぐら会の本を作るんだ」というかんちゃんの思いが、堂々と広げられていました。
それを見た私の頭には、書類を作っている最中のかんちゃんの背中がドロンと現れました。かんちゃんは、顔をくるりとこちらに向けて、いつものふわっとした笑顔とは全く違う真面目な顔をして、私に
「考え続けるより、ひとまず動くの」
とだけ言い、またパソコンに向かいカタカタと作業を続けました。
でもちょっと待ってくださいよ、と私は声を荒げます。彼女の「勝手」な行動が自分の過去と重なり、どうしても言いたいのです。
「もし誰かに否定されたら? 誰かに傷つけられたら? あなたはなぜ捨て身でそんな行動をするの? 平和が惜しくないの? 怖くないの?」
けれど彼女はもう振り向いてくれません。やりたいことに忠実に進む背中はまるでサムライのようです。私は胸が、心が、目頭が、震えるように熱くなりました。嫉妬なのか興奮なのか、自分でも説明のつかない感情でした。
数時間後、かんちゃんが編集長に決まり、正式にもぐら本制作チームの募集がかけられました。一人ひとりの願いがあちらこちらでポコポコと出ていたものが、かんちゃんというひとりの「勝手」な行動で大きく前に動き出した瞬間でした。
メンバー募集の扉が締め切られる直前、私は参加表明をしていました。本作りに関わったことは一度もありません。「台割」も「叩き台」もなんのことだかわかりません。しかも読書が苦手で、読書=背表紙確認といっても過言ではないほどに本を読まない人間です。けれど、かんちゃんというサムライに興味が湧いた以上、参加したくてたまらなくなったのです。
いつのまにか私は、明子さんの「がっつり関わってもらえそうな人募集」という呼びかけを、自分に都合よく受け取っていました。私は知識はないが時間はある、だからがっつり関われる、と。思い返せば既にこのとき、かんちゃんが見せてくれた「やりたいことをする」という行動力を真似していたのかもしれません。
こうして2020年1月7日、#もぐら本プロジェクトは始動しました。
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