【もぐら本2 試し読み】社会に出てから自分がやったことの中で一番素晴らしかったことが、休職なんですね
もぐら会の本「もぐらの鉱物採集2 インターネットの外側で拾いあつめた言葉たち 二〇〇〇-二〇二〇」では、この20年間をどのように生きてきたのか、著名人ではない「普通の人たち」にインタビューしています。今回はその中の一篇、渕上佳代子さんによる語りをお届けします。「社会に出てから自分のやったことの中で一番素晴らしかったことが、休職だった」と話す彼女の語りに、みなさんも耳を澄ませてみませんか。
社会に出てから自分がやったことの中で一番素晴らしかったことが、休職なんですね
語り手:渕上佳代子 四十三歳
聞き手: 及川智恵
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―ちょうどかよこさんって二〇〇〇年に就職してるじゃないですか。氷河期。
そうそうそう。
―入った会社、金融機関じゃない? こういう仕事がしたい、みたいのはあったの?
ぜんぜんなくって。なんか私たちの年って、まだ総合職と一般職っていう取り方だったんですよ。女性の場合はまず、その総合職を受けるか一般職を受けるかみたいな選択を迫られ、で、総合職っていうのは、例えば私が最初に入った国内金融機関でも、二百人新卒を取るんだけど、女性その中の三、四人とか。
―え!!
その業界にもよるんだけど、やっぱり総合職と一般職だったら総合職をこう、優先するから、要はその、短大生とか女子大生っていうのは一般職で就職するっていうのがけっこう一般的だったんだけど、一般職の採用がガーって切られて、なんかその、すごい厳し……かったなあっていうのはすごい、覚えてます。
で、私はなんとか一社内定もらって、そこに入ったって感じだけど。昔ってなんか、あの、私のときネットがそんなに発達してなかったから。なんかハガキを書いて資料請求するんですよ。あれってリクルートが勝手に送ってくるじゃないですか。もう来たのは全部出すぐらいの勢いで出してたかも。
―全部だと三桁とか?
うん。それでもあの、なんかその、説明会に来てくださいとかって、行けるのはグッと少なくなるんですよ。数十社ぐらいに絞られるから、そこで。で、その、説明会に行かないとなんか面接まで進めないとか、一次選考みたいのがあったりとかして。
―金融機関入ってみて、どうでした?
すごい楽しかったは楽しかったんですよ。やっぱ、自分でお金稼げるってやっぱすごい、あの……今までと大きな違い、ですよね。やっぱね、お金がないと、イコールもう何の力もないっていうことだから。金融機関自体は、すごいやっぱブラックな業界だったりもするので、すごい嫌だなって思うことはたくさんあったんだけど。
あとなんかまあ、私はわりとこう、すごく自分に自信がなくって、みんなと同じようにとかみんな以上にできるっていうのは自分は無理だなってずっと思ってたんだけど、意外とそうでもないんだな、別に私ってなんか社会の落ちこぼれじゃないんだ、みたいなふうに、思えた部分もあったかもしれないですね。
―けど、三年ぐらいで辞めてるでしょ、その会社。
あ、二年で辞めてるんですよ。そのね、次の会社に入るまで、一年ぐらい、あるの。
あの頃ってさ、なんか金融機関がめっちゃ潰れたりとかしたとき。ほんと厳しかったんですね。で、なんかすごいブラックだったし、残業代とかも少しも出ないし、なんかこう、営業の人とか、来月ノルマとか達成しないと、皆さん申し訳ありませんでした、来月はこれの、今年の未達分プラス何件絶対やりますとか言って、なんかこう、拇印? ピタッとか押して、それを貼ったりとかするの。それで灰皿とかボーンとか飛んできたりとか、てめー! みたいな(笑)。パワハラとかいう言葉もないし、その頃って。もう嫌だなあと思ってなんか、辞めたって感じですね。
結局その、次何やるかっていうのが、それいまだに続いてんだけど(笑)。やっぱわかんなくって、やりたいこともないし、辞めてはみたものの。で、なんか……向いてないんですよ、私。事務的な仕事が。それはやりたくないって思って。
それで、なんかね、その、辞める前に、メイクアップの学校に通ってたの。たまたま。そしたら、そこの人が、なんかアルバイトで学校スタッフみたいなやつ、やってみれば? って。で、あ、面白そう~みたいな感じで、そこのアルバイトを次にしたんですよ。あの、会社辞めて。そしたら、そこのメイク学校が、最初いた会社以上にブラックだったんですよ。
―えええ!
すごいちっちゃい学校だったからさ、労働基準法もクソもないし、校長先生のなんかさじ加減ひとつで、すべてがゼロに戻るみたいな。で、ちょっとここもなんかおかしいなと思って、すぐ辞めて、無職。
それでなんか……でも、どうしていいかわかんなくなっちゃったんですよね。なんか自分って何やってもダメなのかなみたいな、なんか社会不適合者なのかなみたいな、そんな感じのモチベーションになってたんですよね。で、結局新卒のときの就職活動とおんなじようなことをまたしたんですよ。で、二年経ったからってさ、景気が上がるわけでもないからさ、やっぱ就職自体は厳しい。
その後、千葉県の船橋にある会社に、あの、就職したんだけど。なんかね、あの……自動販売機のメンテナンスをする会社、みたいな感じの。その、自動販売機の部品とかをその置いてる倉庫が船橋にあったのね、その会社の。で、その、そこの倉庫が余るから、面積がちょっと。じゃあ新規事業をしようってことになって。何を思ったか知らないんだけど、ネットでなぜか女性向けのピアスを売るっていう新規事業を立ち上げたんですよ。
―自動販売機の部品をやってる会社が、ピアスの通販?
そうそう。そこの会社の中の、窓際おじさんみたいな人たち? がなぜか女性のピアスを売る担当者になってたの(笑)。で、そこに私が行って採用されたの。新規事業で、一人増員ですみたいな募集があって。でもなんかそんなおじさんがさ、いきなりピアスの販売なんかうまくいくはずないじゃないですか。ピアスがなんか倉庫にすごいいっぱいあって、でも一個も売れないから、私の仕事なんにもないの! たぶんその、売れると在庫の管理とか私がやる予定だったんだけど、一個も売れないから管理も何もなくって。さすがに、これやばいんじゃないと思って。それで試用期間で、辞めさせていただいたっていうのが。
だから、二〇〇三年に今の会社に入るまでに、その三つの仕事を経験したんですよ、私。で、なんかやっぱどれもうまくいかないじゃないですか。
―かよこさんのせいではなさそうだけどね。
でも見る目がなかったりとか、っていうのはまあ、あの、あったのかなと思う。で、やっぱりこう……どうしようってなって、とりあえずもう、なんかこう……長く働けそうなところだったら、もうなんでもいいや、みたいな感じのモチベーションになってしまっていて、その頃って。その……なんかもうちょっと自分を信じて頑張ってみる、みたいなのが、わりと……苦手だったのかな。その当時はなんでうまくいかないのかとかもさ、よくわかんないし、その……そうね、だからけっこう、焦りとか……けっこうプレッシャーっていうか、っていうのもあって、そう……そうだね。
―結果的には金融機関に入るわけじゃない、外資の。
金融機関じゃない会社も受けたんだけど、受からないんですよ。で、そのときってとらばーゆを中心に、転職活動して。あと日経新聞の求人情報。その二つで、あの、探してたの。で、一個一個見て、あーここは応募できそうだなみたいなところを、ちょこちょこ応募していくみたいな、感じ。
ただ金融機関以外、みたいな感じでやってたんだけど、まあなかなか結果も出ないから、もう、金融機関だとしても応募してみようかなっと思って応募したのが今の会社。二十四とかだったのかな当時。今思うと、そんなに焦んなくてもまだ二十四だったらさ、いくらでもなんとでもね、リカバリーが効く年齢じゃんって思うんだけど、その当時はもうやっぱり只中にいるから思えなくって。もう、もうそれしかない! みたいな感じに、最終的にはなって、もうほんと嫌々ですよね(笑)。
―仕事の内容は?
事務職、ですよね。うん。
―向いてないと思ってた事務職。
向いてなかったねー。やっぱ遅くてミスが多いんですよ。人よりも。それでもやってるとちょっとずつうまくなってくんですよね、人って。だから五年ぐらいしてから、やっと人並みになったかもしれない。あとそう、だいぶ労働環境は良かったんですよ。残業代が出るとか、有休が取れるとか、ていうのが。最初の会社、有休取りたいですって有休届け持っていくとビリビリビリビリって目の前で破かれて。てめー! みたいな感じだったんだけど(笑)、そういうのがぜんぜんなくって。
―そっちが会社として普通だけども(笑)。ちなみに二十代の頃って、趣味とかは?
いやあ……でも旅行とかが、好きだったかな。その、二十代のとき初めて、海外旅行に一人で行ったんですよ。ニューヨークに行ったんだけど。一人で行ったっていうのも大きかったんですよね、なんか。できたー‼︎ みたいな。それでけっこういろんなところに、うん、行くのが好きだったかも。
すごい印象に残ってるのは、一人で行ったわけじゃないんだけど、ケニアとか、かなあ。
―へえ!
サファリに行ったんですよ。マサイマラっていう、すごい大きい国立公園があって、そこになんか三泊とか四泊とかして、一日中サファリするみたいな感じなんだけど。めっちゃ楽しかった。もう一回行きたい、生きてる間に。
アフリカだから、ライオンとか、シマウマとか、キリンとか、あとサルもいるしイノシシもいるし。バッファローとかサイもいるしカバもいるし。国立公園だから、自然の生態系、だから人間が飼ってるわけじゃないんですよね。ジープでそう、ブーンって行って。で、朝と昼と夜と三回サファリに行くのね。朝は狩りしてたりとか、昼は、なんか昼寝してたりとか、まあ草食動物とかもぐもぐ食べたりとか。夜は、まあ昼と夜はあんま変わんない感じなんだけど。なんて言ったらいいんだろう……めっちゃ面白かった。もうほんっとにいっぱい動物がいて。あの、シマウマとかも、見てもなんとも思わなくなる。またシマウマかよ、みたいな。
なんかそう、思ったのが、その草食動物って、めっちゃたくさんいるの、もう腐るほど。肉食動物は、少ないんですよやっぱ。ライオンとかハイエナとかは、あとチーターとかは、なんかこう、見れたらラッキーみたいな感じ。で、ハンティングとかもたくさんやってるんだけど、ほとんど獲れないんですよ。なんかその、サバンナの生態系っていうとなんか草食動物かわいそう、みたいな感じのイメージがそれまであったんだけど、行ってもう、逆になったというか。そのライオンとかだって食べなきゃ生きていけないわけじゃないですか。でも食べるのがもうめっちゃ大変なんですよライオンとかは。
でもシマウマはもう食いたい放題なわけ。もう草いっぱい生えてるから。すんごいまるまるしてるの、みんな。もう一匹ぐらい食われてもいいよねっていう(笑)。
―今その話を聞いて私もなんかイメージが変わった(笑)。
しかも一匹獲れると、ライオンとかが最初に食べるじゃないですか。で、そのちょっと離れたところに、ハイエナとかが待ってるんですよ。食べ残しを食べるために。で、上にはタカが飛んでいて、タカも、ハイエナが食べた後のおこぼれにあずかるために待ってるんですよ。なるほどーと思って。やっぱいちいち狩るのってほんと大変だから、誰か成功したらみんな待ってるみたいな。人間ちょっとね、社会が発達しすぎてて、ちょっと違うじゃないですか、人間の社会って。そうじゃなくてほんとに自然に還って、こう、生物が生きるっていうのを間近に見るみたいな、そんなイメージで。すっごい面白かった。
―今の話聞けて良かった。今だいたい二十代を伺った感じなんですけど、ちょうど三十代入るぐらいに、一人暮らし?
二十七歳のとき。今までほら、仕事も失敗続きだったしさ、なかなかさ、難しかったの。あとさ、自信がなくって、私なんかにできるはずがないみたいな、のがすごい強くって。でまあ、その、今の会社に入って、わりとこうまあ、安定的に、その……働けるように、なったっていうのと、あとはさっき言ってた旅行とかも、結局、なんか無理かもと思ってたけどやってみたら意外となんでもなかったみたいなこととか、少しずつこう、自信になっていった部分があったし。
あとなんかその、当時付き合ってた人が、ちょっと背中を押してくれたりとかしたんですよね。物件とかも一緒に探してくれたりとかして。別にぜんぜん平気だよ! みたいな、みんなやってるし! みたいな感じで言ってくれたので、できたっていうのはあったかな、なんか、うん。だから、ほんとに夜逃げまでは行かないんだけど、もう勝手に自分で物件見つけてきて引っ越しの日付も決めて、で、一週間後に引っ越すね、みたいな感じで親に言って。言うとさ、なんかダメってすごい言われるからさー。
―ふははは! でも一人暮らし、始めてみてどうでした?
もうめっちゃ楽しかった! なんでもっと早く始めなかったんだろう、何を恐れていたんだ? って感じで。あのときの喜びは、いまだに継続中ですよ。だってさ、なんか寂しくなるよとか人によく言われるんだけど、ぜんぜんならないんだもん(笑)。
―今はさ、猫がいるじゃない。
実家にね、猫がいたの。大好きだったの、かわいくて。で、猫飼いたいなってずっと思ってたんだけど、なかなかね、一人暮らしだとね、制約があったりとか難しいし、っていうのもあったんだけど、えいや飼うぞ! みたいにした感じかな。あとその、なんか仕事もその、その前まで、すごい出張とか多かったんですよ、その、休職する前までは。だからペット飼うっていうのがそういう意味でも現実的じゃなかったんだよね。あの……家空けるからすごく。まあ、お休み期間中にそういうことも含めて、価値観が変わったのかもしれないですね。
―ええと、そんなに出張する仕事ってことは、途中から事務じゃなくなってる?
ああ、そう、だからそれがね、たぶんね、時代の流れなんですよ。その、私が二十五のときかな、二十五のときに今の会社に入って、で、その年ぐらいから、私の体感なんだけど、一般職・総合職みたいのがだんだんなくなっていったんですよ、日本全体的に。うちの会社も、一般職とか総合職とかもうなし、みたいな感じに人事制度変えたんですよね。
だから最初は、ほんとにこうサポート的な仕事をしていて、その期間も長かったんだけど、だんだんもう会社がそうじゃなくなってきたから、それに伴って自分の仕事内容も、いわゆる事務サポートじゃないものにこう、変わってきてるっていうか。入ってから十年ぐらい経つとすごい変わってきて、自分にもそういうものがこう、回ってくるようになったみたいな。そういうその、感じの仕事も増えていったし、たぶん三十代半ばぐらいの頃からさ、なんか突然さ、安倍総理がさ、女性活躍とか言い出したじゃん。また変わったんだよね、そのくらいのときに。突然、管理職を目指しませんか? みたいな(笑)。
―それはかよこさん的にはどうだったの?
どうだろう……あの……正直、その……男だから仕事ができるってわけでもなかったりするじゃないですか。だから、なんか自分のほうがよっぽどうまくいろいろやってたりとかするのに、サポート、みたいな感じになることも多いんですよね。もうこんちくしょう! みたいな、なんでこんな頭の悪い奴のために! みたいな(笑)、そんなふうに思うこととかも、やっぱ増えてきてたんで。でもまあしょうがないというか、あの……両方あるような感じで働いてたんだけど。それがなんか突然、変わったんですよね。
―その仕事の変化と、その、しばらく仕事休んでたじゃないですか、かよこさん。そこは関係ある?
うーん、なんかその、すごく難しくって、その、なんて言うんだろう、自分的にはやっぱり楽しかったんですよ。やっぱり自分の裁量が少し広がるっていうことは、それだけこう、影響力とかも増えることだから、あの、そっちのほうが良かった、仕事的には。
でも一方で、あの、そういうふうに、そういう女性が出てくるっていうことに対して、快く思わない男性がすごく多いんだなっていうのも、同時にすごい思ったんですね。あの……なんだろう、なんか仕事って実力で判断されるんじゃないんだなって思ったし、上司に評価されないといけないからサラリーマンの場合は。だからまあ、いかに上司に仕えるかっていう世界なんだなーっていうのもすごい思ったし、少なくとも男性社員はもう、すごくそれを徹底してやっている。で、中にポーンとそういう常識をあんまり今まで考えないできた私が来てしまったから、その……なんだろう、やっぱり仕事もやりがいも増えたし、お給料も増えたし、立場も上になりましたっていうのもあったんだけど一方で、そこのルールに私は合わないなっていうのもすごく感じて。
今振り返ると、上司が、俺がAって言ってんだからAをやれって言ってるのに、いやでも私Bもいいと思うんですよみたいなこと言っちゃってたりとかしたから、そういうのがなんかすごく、反抗みたいにみなされて、すごくいじめられちゃったんですよ私は、その当時、その上司に。それでまあ、休職することになったんだけど。でもまあ今思うと、その、なんだろう、うん……すごい世間知らずだったし……だからなんか……そこの世界に戻って頑張る、っていうのはもうしたくない、なあって。あれがね、ああいう文化がいいって思うわけじゃないんだけど、まあ簡単には変わらないだろうなあってすごく思うので、ちょっと別のところで、頑張るんだったら頑張りたいなっていう。
―仕事をお休みしたのが二〇一九年。
九ヵ月休んで。今はね、あの、休職して戻って、なんか、振り出しに戻るみたいな感じになってるんですよ。
―またサポート的なほうに。振り出しに戻って、どんな感じですか?
あの……私って特にさ、なんかすごいやりたいこととかがあったわけじゃなくってずーっと来てる。で、自分で主体的に仕事を選べていたっていうわけでもない。やっぱりそれ、そういう生き方ってさ、どっかにこう、虚しさみたいなのが募ってきて、経済的にわりと安定したとしても、なんかほんとにこのまま私、この生き方でいいのかみたいなのをずっと抱えながら生きることに、なるじゃないですか。自分の中に、ほんとにこう、モヤモヤとした穴があって、その穴を埋めるのにやっぱり仕事ってものすごく手っ取り早くって、なんというかこう、正当化しやすい、じゃないですか。
だからなんていうんだろう、すごいこう、依存しちゃってたんですよね、たぶん。私その、結婚したりとか子供産んだりとかっていうのが三十代の間になかったから、なんか自分は他にもう何もないし、みたいな気持ちもあって、よりそっちにちょっと傾倒してしまったというか。たぶん私の本心的に、すごい出世したいなんてそれまで微塵も思ってなかったくせに、ちょっと社会情勢が変わって、自分にもチャンスがあるかもみたいな感じになると、あ、私もなんか上がる人間のうちの一人なのかもってすごい壮大な勘違いをし(笑)。でも気持ちがいいじゃんやっぱり、昇格するとかって、やっぱりね、認められることだし。いわゆるプロジェクトの責任者とか、そういうその……今までなかったような立場になることとかもあったりして、それはそれでやっぱり魅力があるんですよ。
だから、その……たまたまね、その変な上司に当たっちゃって、すごいいじめられるようになったんだけど、その、怖かったんですよ、そのお休みするとかっていうことが。結局私には仕事以外に何もないじゃんっていうのがあったから、それで仕事で失敗したら、私の人生その、四十過ぎで、どうなるの? みたいな。でももう今の辛い状況からはもうほんとに今すぐ逃げたい、っていう両方あって、で、すごい悩んで……だけど、まあでもどうしてもやっぱりもう体もね、ついていかなくなるから、一回ちょっともう休もうと思って、休んだっていう感じなんですよね。
でもそれで休んで良かったなって思うのは、別に、それがポンって生活の中からなくなったとしても、何の問題もなかったんですよ。
―ああー。
最初はやっぱり三ヵ月ぐらいは、なんか、あの仕事は私がいなくなったらすげー困ってるに違いない! みたいに思ったりとか、すごい、してたんだけど、三ヵ月ちょっと過ぎたぐらいからそういう気持ちもほんとになくなってきて、思い出しもしないというか。なんてバカなことに時間を使ってたんだろうと思って(笑)。なんかすごい自分がやりがいを感じてたと思ってたプロジェクト自体もどうでもいいというか。もともとだってすごいそういうことやりたいと思ってたわけじゃないし、なくなってみると、思いのほか執着がないっていう。
で、空っぽになって、いろいろ、あの……思い直してみると、そもそも、そういうやっぱり……あの、自分の生き方として、正直こう、女性である自分にものすごい不利な戦場というか、で、必死に頑張ることにそんなに価値があるのかなあとか……うん、そう、ちょっと冷静になったというか。もっと他に自分がこう、情熱を傾けられるみたいなこと、すごい稼げなくてもいいから、他のことにチャレンジしたりとか、もっと自分が心からやりたいこととかを探していきたいっていうのが、すごく大きくなってるので、その、あんまりその、関心がなくなったというか。お給料だけはくださいね、みたいな(笑)。
ただ、やっぱ一方で、自分の身に起きたことを考えると、すごい理不尽だなと思うこともすごく多いので。だけどその、理不尽だからといってまあ戦うぞみたいな気持ちにはもうならないかな。そこ以外のところでもうちょっと情熱を傾けるようなことをしていきたいなっていうふうに思うかな。うん。
―仕事は仕事として割り切って。
だから、定時以外でもういかに仕事をしないようにするか、っていうのはすごい気をつけていて。
ただ、その、やっぱりそうは言っても仕事ってすごい大きいじゃないですか、人生の中で。っていうふうに考えると、あの、今の働き方がベストではないなと思うので、なんか、どうするのが正解っていうのが今見つかってるわけじゃないんだけど、別のその、副業とかでもいいから、二足の草鞋みたいな感じにしていきたい。収入の柱が会社だけってなると、経済的にそこに依存しちゃってると離れられない、自由がないっていうのがあって、だからそれを少し薄めていきたい、って思ってるんですよね。でも、会社を変えることによって解決することじゃないなと思うので、なんかこう、違う働き方とか、っていうのを、そう、見つけていきたいかなって。あとは、その、生活のコストを下げて、あの、もう少し仕事を辞めやすくするとか、そういうことも考えていきたいかな。まあ、もうやってるんだけど。
あの……そのなんかね、もうちょっとその、なんだろう、こう方向転換とかしやすい社会であってほしいなってすごい思うんですよ。その……私はその、たまたま休職っていう機会があったから、今こうなってるんだけど、その、まあ少なくとも社会に出てから自分がやったことの中で一番素晴らしかったことが、休職なんですね。一番学びが多いというか。
あの……新卒で入ってから四十年とかさ、働き続けるのもわりと普通じゃないですか。そんなの、ちょっとおかしくなるよねと思って。たまたま私は、そこで休むっていう選択肢を取れたから……まあ、それきっかけにもぐら会に入ったりとかもあったけど、そうするとその、あ、ぜんぜん自分の思っていた価値観とは別のところで生きている人たちっているんだっていうことにまず気づくし。で、なんかもっと、休職だけじゃなくて一回やってみてちょっとダメだったら変えて、とかっていうことがしやすくなったほうが社会全体がすごい良くなると思うし、なんか生きやすくなるんじゃないかなって思うんですね。
休職とか会社を辞めるとか、会社を何年か休んでまた働くとか、もしくは別のことをやってみるみたいなことがもたらす変化とかっていうのを、なんかもっともっと、こう……声に出して言いたい、広めていきたいというか。書くことコースとか今月から始めたんだけど。まずは自分の思ってることをきちんと伝えられるようになる、そういうのをまずはやりたいし、もっと自分の価値観として信じてこれがいいと思うっていうことを発信していきたいみたいな、うん、まあ休職して戻ってきてみてすごい感じたことかな。
すごいこう、ダメなことみたいな感じで取られるんだけど、休職したってことが。ぜんぜんダメじゃないよって思って。体が回復するとか精神的に回復するっていうのももちろんあるんだけど、いやそれだけじゃないですから、っていうのを、もっとなんか、言いたい。言いたくなっちゃった。
―プレッシャーかけるわけじゃないんだけど、めっちゃかよこさんの原稿が楽しみ。
いやいやぜんぜん。言わなきゃ良かった(笑)。
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佳代子さんの語りのほか、17人の語りが収録された「もぐらの鉱物採集2 インターネットの外側で拾いあつめた言葉たち 二〇〇〇-二〇二〇」は、BASEにてお買い求めいただけます。
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