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もぐら本 制作裏話「その本、面白そうなのはわかる。でも、わざわざ人に売る意味あるのかな?」

こんにちは。もぐら会のエミコです。5月16日販売開始の「もぐらの鉱物採集2 インターネットの外側で拾いあつめた言葉たち」で、編集長をつとめています。

この本は、「2000年から2020年まで、あなたはどんな日々を過ごしていましたか?」の問いかけではじまる、インタビュー集です。先日の記事では、〝「もぐら本2」の序章を公開〜この1年で失われた言葉を取り戻す試み〜〟と題し、この本の序章を公開しました。

今回の記事では、本の制作開始に至るまでの紆余曲折について、お話ししたいと思います!

「普通の人たち」へのインタビュー

まず、この本を作ることになった一番初めのきっかけは、私個人が、岸政彦先生の「東京の生活史プロジェクト」に参加したことでした。東京の生活史プロジェクトは、社会学者の岸先生監修のもと、東京にかかわる人たちの生活史を聞き取って、一冊の本にしようという試みです。

私は、150名もの参加者の一人として、このプロジェクトに参加しました。その研修で、岸先生が生活史のインタビューにおける姿勢について、こうおっしゃったんです。

「積極的に、受動的になること」
「ピントを合わせずに、集中すること」

積極的に、受動的…?いったい何を言っているんだろう。
しかし、話を聞くにつれ、徐々に腑に落ちていきます。聞き手が勝手にストーリーを誘導するのではなく、相手から出てくる語りを、こちらが受け身になって聞く。その語りに全集中して耳を傾ける。

あれ、これは。もぐら会の定例会であるお話会に似ている。そう思いました。

誰かの「面白い話を引き出そう」という姿勢ではなく、「その人から出てくる語りをただ待つ」。自分が、その語りをどうこうしようと思わない。誰かの人生の語りを、ただそこにあるものとして受け取る。それは、もぐら会がつづけてきた「お話会」でも貫かれてきた姿勢でした。

研修を受けながら、そんなことを考えていると、同じプロジェクトに参加しているもぐら会のヒロコさんから、メッセージが届きました。
「もぐら会に似てるよね」
「やっぱりそう思うよね」

このころから、もぐら会で、著名人ではない「普通の人」の人生をたどる本を作りたい、という気持ちが芽生えはじめました。

(※ちなみに、これは私の勝手な感想でして、岸先生ともぐら会に、直接的な関わりはありません)


企画の立ち上げ、企画チーム始動

もぐら会で本を作りたい。その欲望は、日増しに膨らんでいきました。

もぐら会では、去年すでに「もぐら本」を制作しています。
私は、その初代もぐら本に、大きな恩を感じていました。執筆者として参加し、原稿を書いて、人に読んでもらうことで、自分の中での迷いが吹っ切れたんです。

それまでは、自分の経験について文章にするなんて、ただの恥だと思っていました。私の経験や考えなんて、毒にも薬にもならないに決まっている。
でも、もぐら本をきっかけに、別に書いてみていいのかもしれない、と思うようになったんです。そもそも、たくさんの人は自分になんて興味がない。それでも私は、自分の感じたことを誰かと共有したい。その素直な欲望を、いいかげん認めようと決めました。これは、すでに三十代に突入し、新しい挑戦をする年齢でもないかなー…と思っていた私にとって、ものすごく大きなことでした。

だから、もし誰も二代目もぐら本を作ると言い出さなかったら、私がやろう、とは思っていたんです。今度は自分が、そういう場を作りたい。恩返しをしたいな、と。

しかし、恩返しどころか、こういう本が作りたい!という気持ちが生まれてしまった。
え、これはもう、やるしかないじゃないか。
そうして、数日のうちに企画案を作って、もぐら会のオンライン上のおしゃべり場にアップしたのでした。

一緒にやってくれるメンバーは、いるんだろうか…。どきどきして反応を待ち構えていると、徐々に、一緒にやりたいというメンバーが手を挙げてくれました。もぐら会主宰の紫原さんとも打ち合わせをして、ついに、もぐら本2の企画がスタートしたのです。

2021年に、私たちが本を作って売る意味。

2020年11月某日某所。
企画チームのメンバーで、初めて顔合わせをしました。

もぐら会のみんなに、じっくりインタビューをしたい。
「ああ、誰かの人生に関する、そのままの語りって、こんなにおもしろいものなんだ」という本を作りたい。
まるで、THE普通の人、という顔をして生きている人だって、きれいに整理されたストーリーのように生きているわけがないじゃないか。

そんな訴えに、みんな賛同してくれました。こんなインタビュー集もかっこいいよね、こんな話が聞けたらいいよね、と話はどんどん盛り上がります。
そこで、一緒に盛り上がっていた紫原さんが、そのノリのままニコニコこう言います。

「ほんと、わくわくするね。その本、面白そうなのはわかる。
 でも、わざわざ、人に売る意味あるのかな?」

ん……?

「インターネットで、無料のコンテンツがたくさん読めるのに。普通の人のインタビューを、買ってでも読む人なんているのかな?」

うっ。
あのときの、みんなの顔。いや、私の顔。
だいぶ引きつっていたに違いありません。

一応断っておくと、我らが紫原さんは、とっても穏やかでやさしいんですよ。もぐら会に入ってから、誰かを否定するような場面は一度も見たことがないですし、書くことコースのメンバーが全員締切を破っても「書けないよね~」と言ってくれるし、紫原さんの記事や著作を「拡散してね」と言われたことすら一度もありません。

もぐら会では、一人ひとりが自由にくつろぎつつ、お互いに刺激を受けて、自分自身に持ち帰ることができる。時には、距離を置いても構わない。紫原さんは、そんな穏やかなコミュニティの支柱として、存在してくれているんです。

ただ、このもぐら本は珍しく「外部に向けて発信する活動」。コミュニティの内部で完結するものではなく、「もぐら会として、外部の人に何かを伝える活動」です。だから、「もぐら会として」何を表現したいのかを考えなければいけない。なぜ、「もぐら会として」「本という形で」「このインタビューを読んでもらわなければならないのか」。そしてそれは、「いま、届けるべきものなのか」。

これらをはっきり固めないと、もぐら本は作れない。
それが、初回の企画チームの顔合わせで、私たちが唯一共有できたことでした。

いきなりビジネスブログっぽくなってきましたね…!

このあと二か月弱は、寝ても覚めても、「なぜ本を作ろうとしているのか」と考え、「ああ、作るとか言い出さないほうが良かったのか…」とぐるぐる思い悩みました。

なんで、こんなにも、「普通の人の語り」を、わざわざ文字にしたいと思うんだろう。いま、私たちは、インターネットを通して、いろんな言葉に出会えるのに。いろんな思いが、すでに可視化されているのに。それなのに、私たちは、いったい何に飢えているというんだろう。

ずっと煮詰まってはブレイクスルー、いやいやスルーしたと思ったら煮詰まる…という日々がつづきました。ここが固まるまで、本の制作は開始できません。企画メンバーと、オンラインやオフラインで何度も話し、文章にしてアップし、それを取り下げ…。大晦日も元日も、そのことを悶々と考えながら年は明け、気が付けば2021年1月に突入。そして三が日が明けるころ、やっと、この本を出す意義を、序章にしたためることができました。それが、先日ご紹介した序章です。

紫原さんから「ああ、もぐら会が、いまこの本を出す意義が、これでカチッと定まったね」と言われたとき、大きく息をついたことを覚えています。

いま振り返ってみると、このとき、「自分たちがなぜ、この本を作るのか」を固められていなかったら、本の制作を乗り切れなかったなと確信しています。だって、私たちは、株式会社でもなければ、仕事としてお給料をもらって、この本を作っているわけでもない。それでも、執筆者や語り手のみなさんと一緒に、夜な夜な本の制作に取り組むわけですよ。インタビューというものに潜む暴力性に悩んだり、締切に悲鳴を上げたり、いろんな壁にぶつかりながら。そこで、「なんでこの本を作っているんだろう」という問いに答えがなければ、その壁を乗り切ることはできなかったし、何よりも、こんなに自信をもって皆さんに届けることはできませんでした。

そんな私たちの本を、ぜひお手元に一冊置いていただけたら、こんなに嬉しいことはありません。もぐら会BASEで予約受付中ですが、販売部数が限られますので、ぜひお早めにお買い求めくださいませ。文学フリマにも出店いたします!

★インターネット販売

★第三十二回文学フリマ東京 5/16(日)開催
【開催日時】2021年05月16日(日) 12:00〜17:00
【会場】東京流通センター 第一展示場
【ブース】テ-01〜02「もぐら会」

第三十二回文学フリマ東京



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