創作と余裕と生み出す欲。
「よくこんなに次々と考えられるなぁ」
と思うことがある。たとえばそれは川柳であったり、企画であったり、コピーであったり、ショートショートであったりする。通常は誰が何を応募しているかなんてさっぱりわからないのだが、SNSがそれを可視化した。
どのジャンルにも挑戦したことはある。しかし日常的に生み出すようにはとてもなれないイメージがある。
しかも、やっている人はヒマというわけでもない。考えるのが余暇ではなく仕事の合間だったりするわけだ。自分に置き換えると、疲れているときにそういうものを考えようという気にはなれないし、うーんと頭を捻るくらいであれば娯楽に時間を費やしたい時も多い。公募も締め切りや報酬があるからこそ「この期間はちょっと時間を割こう」と考えるわけであって、頼まれてもないのに勝手にドンドン考える、なんてことはない。
では、もし自分が悠々自適の生活を送っていて、娯楽にも飽きるくらい時間がある、としたら創作にひたすら打ち込むだろうか?
…いや、なんかいくらでも堕落した生活を送りそうな気がする。「今はちょっと気が乗らない」とか言って。
昔「描かない漫画家」というマンガが連載されていたことがあった。ヤングアニマルだったかな。まあ要は漫画家目指すといいながら何かと理由をつけてちゃんと描かない主人公の話。読んでいる時は「あーいるいるこういう奴」と思っていたのだが、振り返ればあんま自分と変わらない気もする。
「俺はまだ本気出してないだけ」というマンガもあった。なんか地味にヒットして映画化もされてた。そういやこの主人公もマンガ描いてる設定だった。人はだらけるととりあえずマンガを描いてますと言い張るものなのだろうか。創作活動というのは「考えてるけどうまくいかない」という大義名分が使いやすいからな。「全然描いてないじゃん」という至極当然のツッコミに対して、「考えてる最中」というジョーカーのようなカードが切れるのである。この場合、多くは永遠に考えてるだけであり、そのうち考えるのをやめて宇宙空間を彷徨うようになる。こいつはメチャ許せんよなァァァァ!?
ま、余裕があろうとなかろうと考える人は考える。そこには「創作欲」とでもいうべきものがあるのだろう。承認欲求とはまた違う形で。考えるほうが日常的なわけで、これは強い。深夜まで仕事をしているのに気がつくと大喜利を投稿してる人とか…。感服するしかないが、それで何かのバランスを取っているのかもしれない。
ちなみに俺もまだ本気出してない。