カラオケの「オペラ的快感」について考える。
オペラである。オペラといえばガトーショコラの一種であって、まあ一般的なチョコレートケーキだ。おいしいよね、あれ。
いきなり脱線したが今回語りたいのは歌のほうのオペラについてである。お前はオペラについて詳しいのか?と言われれば一回も見たことはないのだが、イメージは持っている。「なんか恰幅のいい体格の人が朗々と手を前に出しながら歌う」というアレだ。子供のころはオペラ歌手がテレビに出ていると「なんか歌手なのにえらい太ってんな」と思ったものだが、あれはああいう体格を維持しないとあんなに高らかに声が出せないのだ、と聞いてなるほどと納得したものである。例えるならどんだけパワーを出そうと思っても軽自動車だと限界がある、みたいなところだろうか。
で、年末なのでカラオケに行く機会なども増える時期だが、それで歌いたい曲などを考えてみたときふと「なんかオペラみたいな歌い上げ系のパートを入れる曲が増えてないか?」と思った。
最近の歌はとにかく高難度である。以前それをテーマに書いたこともあったが、ざっくりいうとカラオケと歌ってみた動画の影響と考えている。みんな歌が上手くなっているから差別化を図るために高難度が受け入れられているのだ、という仮説。
で、その影響もあると思うのだが、「声を高らかに歌い上げまくるパート」がちょくちょく入ってきていると感じる。全編でやってしまうとまさにオペラなのでカラオケに向かないが、サビ後にちょっと入れるとか、クライマックスに入れるとか、そんな感じだ。
最初に思ったのは米津玄師の「KICK BACK」である。チェンソーマンがアニメ化された時の主題歌であり、なんでキックバックなのかといえばチェンソーの刃が跳ね返る現象のことをそういうからである。
で、この曲では途中でもろに「オペラ風パート」がある。「幸せになりたい 楽して生きていたい」のド底辺心情を歌い上げるギャップがまた面白い。筆者もこのパートが歌いたくて選曲するようなものだ。
(下記動画の1分43秒のあたり)
また最近では藤井風の「ガーデン」でも同じようなことを感じるパートがあった。この曲はほぼ抑えめのトーンで進行するのだが、最後でガラッと変わる。まさにクライマックス。「掴んだ手 解き放て 空の果て」の部分から一気に歌い上げるパートになる。
(下記動画の2分30秒あたり)
そしてVaundyの「風神」でも同じような印象を抱いたパートがあった。サビのあとで出てくる「隙間風も凪ぐだろうか」の部分。カラオケで歌ったことはないのだがこの部分のために選びたいくらいだ。
(下記動画の2分45秒あたり)
なんでこういうパートをちょこちょこ挟んでくるのかといえば、一番は「歌のバリエーション」であると思う。シンプルなメロディだとこれだけ曲が出回る中、どこからパクリ疑惑をかけられるかわからない。もう一つの要素は単純だが「歌い切った」感があって気持ちいいから、であろう。カラオケなんてデカい声出して自己陶酔してなんぼなので気持ちよくなれるのが正解である。
ここまで書いておいてなんだが、正直歌い上げ系のパートが入っている曲という観点だけで見れば、特に珍しくはない。KingGnuだろうがMrs.GreenAppleだろうがみんな入れているが、前述した3曲との違いは「キーが高すぎる」という部分。ハイトーンボイスを難なく再現できるくらいでないとなかなか難しい。逆に言うと出せる人は歌って気持ちよくなってるであろう。
まあもっといえば大サビで歌い上げるパターンなど今までいくらでもあったのだが、最近のヒット曲にもそれが色濃く残っているのが面白い。昔はよくGLAYの「Winter,again」を歌って大サビで死にそうになっている人をよく見たものだ。まあそういったものが散々出たのを経て、ついに「オペラ的発声」の域まできたのではないだろうかと考えている。いわば表現のインフレである。
まあ世の中そういうのを楽しめるくらい歌える人が多くなってきたということだと思う。10年後くらいには普通にオペラみたいな曲が流行っているかも……。
ちなみにカラオケの楽しみ方についてはモノマネというほどではないが単に寄せていくという「寄せカラオケ」というテーマで以前書きました。ご興味のある方はぜひご一読いただきたい。
てなわけでこのnoteだが、珍しく企画に参加している。「モノカキングダム2024」のテーマ「こえ」に合致しそうだなと思ったからだ。どっちかというと「うた」な気もするが、そんな心の狭い企画じゃないはず!(無理やり正当化)