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感情が激しく動くものほど良い、とも言いきれない。

「感動」という言葉は読んで字のごとく感情が動くことを示す。「感動巨編」とか「本当にあった感動の実話」とか、そのままのワードを使うコピーの例も多い。特に映画とか。
これってやっぱり人には「泣きたい欲」があるってことなんだろう。泣けるくらい感情が動くものが見たいだろ?という提案なわけだから。ほかにも「爆笑必至」とか「抱腹絶倒」のように笑いを押し出すものもあれば、「貴方は真の恐怖に出会う…」とか「決して一人では見ないでください」とか怖がらせる方向のものもある。いずれも激しい感情の動きを予見させるものだ。

となると「感情が動くものほど良い」=「感情があまり動かないものはダメ」という考え方にもなってきそうだが、そうとばかりも言い切れない。世の中には「ほっこり」とか「ほのぼの」という言葉があるからだ。これらは感情の動きが激しくない。なぜなら「激しく感動」「激しく爆笑」に違和感はないが「激しくほっこり」だと違和感がある。
つまらない時も感情は動かないと思われるが、果たしてそうだろうか。本気でつまらないものを見た時はむしろ「くそつまんねぇ」みたいな怒りが沸くのではなかろうか。まあそこまで行かなくてフツーに見るのや関わるのをやめる、というのが多いかもしれないが。

ちなみに他の人のnoteを読んでいても笑えるものもあればためになるものもある。しかしその中で単純に日常を書いている人のものがつまらないかといえばそうでもなく、「ああ、そういうことを思ったんだね」くらいしか感想がないとしてもなんか面白い、というものもある。

昔コピーの本で「広告コピーってこう書くんだ!読本」(谷山雅計)という本があり、その中に「なんかいいよね禁止」ということが書かれていた。要は「なんかいいよね」で終わっていてそれがなぜよく感じるのかを考えていかなければクリエイティブなことができない、という内容。

それを当てはめて考えてみると、上記の「なんか面白い」と感じる日常系エッセイなどは、「あるある感」「この人はそう感じるんだな、という発見」「文章が読みやすい」などの要素が見えてくる。というかエッセイは一部の爆笑系のもの以外はだいたいそんな感じなのではないだろうか。
ただ、個人的にはそれ以外に「短い」という要素が加わる。エッセイで長いのはどうもなかなか読みづらい。3~5分以内で読み終えたい。自分の文章すらそうなのでだいたい短くしている。まあ長いと息切れするし粗が出てくるだけなんだが。

ただ、読む人に「なんかいいよねと思ったらその理由を考えてみろ」とは思わない。もし自分のエッセイを読んで「なんかいいね」と思ってくれる人がいるならたいへんうれしい。
たまには「これで笑ってほしい」と思って書いてたりもするけどね。


ちなみに今は新たにまとめ直した本が出ているらしい。一応リンク。


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かわさき(土竜)
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