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古今亭文菊


昨年頭に古今亭文菊という落語家を知ることができたこと、それは2023年という1年を振り返っても大きい出来事だったし、2,30年先を考えたときにも、ずっとこの人の芸を追い続けていくだろうなという点で大切な転機になると思っている。

初めて文菊師匠の存在を知ったのは2023年1月の鈴本演芸場の、多分中席だったと思う。
春風亭一之輔師匠がトリだったのだが、正月シーズンだし、この人の「初天神」が聴けたらいいなと思って行った。

妖しげな雰囲気。上手から姿を見せたとき、前傾でつま先立ち歩きのような形でつつーっと入ってくる。坊主頭なのも相まって幽霊みたいにみえた(失礼)。

穏やかな表情、丁寧な口調、そして艶やかな声色でマクラを語り出すが、腹ではいやらしいことを考えているに違いないと思わせる。纏ってる雰囲気がそれまでの落語家と明らかに違う。緊張感はあったけど妙な可笑しさもあるからつい笑いが漏れてしまう、そんな客席の雰囲気だった。

この日、初天神を演ったのはこの文菊師匠だった。
話の内容よりも、その江戸弁に衝撃を受けた。
河岸で働くのが本職だったの80超のトランペッターが知り合いにいるが、その人の喋り方と似ているところが沢山あって、答え合わせを勝手にさせてもらったような、不思議だけどうれしいという感覚になったのを覚えている。

そんな佇まいと江戸弁の綺麗さが印象に残って、その後の寄席は文菊師匠が出演する回を選んで行くようになった。
面白いんだけど美しい。真剣で一太刀いれるかのような芸なのに笑ってしまう。その感覚はこの人でしか味わえない。

今年で45歳になる師匠なのだが、年齢を考えたら信じられなくらい老成した、自然な芸。
youtubeやネットの記事からそのバックグラウンドを知って、その生き様に衝撃を受ける。

苦しみの多い道を歩む中で、自分の良くないところを省みることもできるし、苦しい生き方を選んでいることを自己満足にせず、芸に昇華させて結果に残している。
自分は受験生だから立場的には前座同然だけど、理不尽とも言えるような苦しい環境に身を置けているだろうか。
音楽をやる以上一種の芸人でもあるわけだけど、苦労や努力を鮮やかな演奏への肥やしとして落とし込めるだろうか
まだまだな自分に焦るし、次元は全然違うことは承知で、悔しさもある。

去年の暮れに、やはり鈴本演芸場で師匠がトリの寄せを見た。
「芝浜」を色々な師匠が日替わりで演るという興行で、運良くスケジュールがはまったのだった。
噺の内容は知っていたけど、生で聴くのは初めての芝浜。酒を絶って心を入れ替えて働く魚勝の姿が師匠と重なる。
「君はこの1年間どれだけ頑張りましたか」と問いかけられるような心持ちがした。
厳しいけど優しい。太鼓の音に送り出されて夕方の上野広小路を歩く。涙が止まらなかった。


今年はまだ、師匠の芸を見ていない。
スケジュールが合わないのが理由の主なのだけど、なんだかもっと言い訳できないくらい頑張ってからでないと見るべきじゃないぞ、と諭されているような気がする。
でも今年の12月にはまた必ず、もちろん去年とは違った心持ちで、師匠の芝浜を聴く日を迎えなければならないと思っている。

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