「人権を無視する人の人権も守らないといけない構造」って名前がついているんでしょうか|漫画「アンネ」を読んで考えたこと
「何が悪かったかわかるまで出られない部屋」という表現をtwitterでみかけ、おお、これは子の学校の体育教師をぜひ入れたい、と反射的に思ってしまったのだが、やはりどんな人間に対してもそれをやってはダメだろう、と全く人権に配慮しない人間の人権に配慮してしまうという矛盾に朝からぶつかる。
有川浩の「図書館戦争」という小説を私は特に好きではないけれど、表現の自由を弾圧する人々と、武装した図書館員が戦う、表現の自由を弾圧する思想も含めてすべての自由を守る、という構造を自分内で「図書館戦争構造」とラベルを貼ってあり、こういうのすでに用語あります、ということをご存知の方がいらしたら教えてください。
哲学とか社会学とか法学あたりですでに発明されていそう。
いや、武力行使した時点でダメだろう、と思うのだが、これは有川浩が「俺の考えた最強に萌えるミリタリー」を楽しく描いた小説なので、それは仕方がないので、もっとマシなラベルはないのか、と思う次第。
このラベルは有川浩を嫌いな人が瞬間的にはじくので、とおりが悪い。
twitterでよくみられる、例えば、人権無視発言ツイートをした人の人権に配慮して、人権を大事に思う人が反論にものすごいコストをかけているのをみかける。
これを放置してはいけない、差別が固定・加速してしまうのでくいとめないと、違うことは違うっていわないと、と思っている。
人権問題は多数決では決まらないのだが、多数決に押し流されそうなことがたくさんあって、彼らが代わりに違うよ、って言ってくれている。
それを見ている私は、すみません、時間と体力と知識と反発力が足りません、とりあえず私は私の仕事(家族を大事にするとかも含めて)をします、と申し訳なく思っている。
いまはそれだけ。
私は私のラーメンを責任もって食べる。
ということをこの漫画を読んで思いました。
体育教師が、生理で水泳を休んでいる子供たちに、筋トレをさせた人なので。
ミラーリングの手法で描かれているので、うっかり溜飲を下げて快哉を叫んでしまいそうになりますが、それだけにとどまらず、静かに広く読まれればいいな、と思います。
https://note.mu/palette_lgbtq/n/n640c3088b8f9?fbclid=IwAR2It-XLVWC0kprWuiPUenl3pXlnVa6VJxYo696QAxQlQouf96vgVZSk-WA
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