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共依存していた。

何をしても許されると思い、相手からの保護に依存する人間Aがいるとする。一方、自分しかこの人を助けられないから、と依存されることに依存する人間Bがいる。これを共依存の関係という。

約7ヶ月間に渡って共依存した経験がある。
元々、困っている人を見て見ぬふりができず、助けが必要ではと判断すれば積極的に関わりをもとうとする人間であった。これが共依存への強い要因になったと思う。

相手は家庭環境や精神状態が私から見て安定してはいない人だった。人間関係を諦めていて、愛を信じていない人だった。だから、私が関わらねば!!私がこの人が人間関係を信じられるような人になろう、愛を信じられるような人になろう、と決めて関わり始めた。

社会的に悪いことをしようとしている話を聞けば、まずは驚かずになんでそう思ったかをうけとめ、その後にその行動自体は全力で止める。
人間を信じられるように、自分自身を好きになれるように、全肯定して、頼まれたことは全部やる。電話がかかってきたら、どんなに見たいテレビでも見ずに、電話に出る。全ての感情を偽っていた訳では無いし、やらされていたと、思ったことは1度もない。その人のことが嫌いならそこまでやらない。最初は、人間的に好きだと思っていた。その感情にのちのち縛られるのだけれど。
そのため、どちらかと言えば相手への認識は自分のクライエントのようなものであった。私が相手に助けて貰ったことも沢山あったけれど、自分の感覚では私は人間B側であることが多かった。やってあげてた、と上から言うつもりはないけれど。そして、私の行動によって、なのか、分からないけれど、私にはなんでも話せるようになってきたし、少しずつ信用してくれるようになっていた。

しかし、この関係が続くにつれ、きつくなってしまった。私の行動を当たり前だと思っている人相手にして、この先一生続けなければこの人はまた戻ってしまう、という責任感と、そんなことをしたら私の人生どうなってしまうんだろうという恐怖に押しつぶされそうになった。

そんな気持ちの揺らぎがあり、私は少しの本音を吐き出してしまった。そして、相手がもう終わりだ、と吐き捨て、私たちの関係は終わった。その時に、相手から、お前は俺っていう好きな人と離れるんだから苦しいよなぁと言われ、思わず心の中で笑ってしまった。あー、この人に、自分のことを愛してくれる人だと信じさせることが出来たんだ。って。その後すぐに、ごめんね、最後まで愛してたわけじゃなかったよ、あなたに伝えてたのは呪文のような決まったセリフだったよ、という罪悪感に駆られるのだけど(そんなこと本人には伝わなくていいから、ここでは吐き出してます)。
そして、共依存から簡単に抜け出せるはずもなく、裏切ってしまった罪悪感、私が関わらないとどうなってしまうのかという不安感が次々と押し寄せ、死のうとしたし、なんとかして関係を戻そうとした。

私たちが終わってから2ヶ月がたち、これらの感情から少しづつ抜け出そうとしている。
私が居なくてもきっと自分なりに楽しく生きていくのだろうし、相手が望むことと自分の望むことが一致してなんの苦もなく関わることが出来る新しい人物と出会っているかもしれない。私じゃなくてもいいんだ、と思うようにしようとして、ようやく、少しづつその考え方に適応できるようになってきた。

もう、共依存はなりたくないな。私がやらなきゃ!をなくそう。私はそんなすごい人間でもないし、相手を可哀想な人間だと判断することは失礼なことなのだから。



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