過去を抱いて今は眠るの 3
「おい!ミヤゾノちょっと来い!入学してからずっとお前のことが気になってたんだ!」
という渡良瀬誘(ワタラセ イザナ)の声に、一年一組の教室に居た誰もが言葉を失っていた。雑談で溢れていた教室はしんと静まり返り、遠くで蝉の鳴く声が聞こえる。
がたん。
と、音を立てて椅子から立ち上がったのは、宮園恵(ミヤゾノ メグミ)ではなく、千葉茉由(チバ マユ)だった。
いっぽう名前を呼ばれたメグミは、ワタラセの言葉を理解することができずにフリーズしている。
「おい!聞こえてんだろ!さっさと来い!」
畳みかけるようにワタラセが言うと、何を思ったのかクラスメイト達が「ひゅーひゅー」と二人をはやし立て始めた。教室が騒がしさを取り戻し始めると、メグミのフリーズ状態はとりあえず解除された。
「いやちょっと!いきなりそんなこと言われましても・・・」
と顔を引きつらせながら言うメグミの発言は
「あ?なに言ってんだ?」
という不機嫌丸出しのワタラセに遮られ、さらにこの言葉は
「いーちゃん!」
と普段は決して聞くことのできないマユの低い声によってかき消されてしまった。
ノゾミを睨んでいたワタラセの表情が一瞬ひるみ、教室は再び静けさに包まれる。普段誰よりも空気の読めるマユだったが、今はワタラセに対する怒りに全ての感覚が麻痺しているようだった。ゆっくりとワタラセに近づいてゆくと、マユはワタラセの足を思いっきり踏みつけた。
「いってぇ!なにすんだデブ!」
その言葉を聞いてマユはさらに足に体重をかけた。ワタラセは苦悶の表情を浮かべて口を開きかけたが、睨み付けてくるマユが今にも泣きだしそうだったので思わず口をつぐんだ。
「バカバカ!いーちゃんのバカ!みんなの居る前でそんなこと言ったらメグちゃん困っちゃうでしょ!なんでいっつもそんなに無神経なの!?」
「うるせーよ。あの女が悩んでるっていうから手伝ってやるって言ってんだよ。悪いか」
「じゃあなんでそんな言い方するの!?」
「はぁ?言い方・・・?つーかお前、俺と口きかないんじゃないのかよ」
その言葉にマユは口をつぐんだ。穴が開くほどワタラセを睨み付けると、茫然としているメグミの所へ戻り、素早い動作で自分の荷物を肩にかけた。
「メグちゃんごめん。わたし今日はもう帰るね」
「へっ!この最悪なタイミングで!?嘘でしょ!??」
「ごめんね。でもいーちゃん力になってくれるって言ってるから・・・」
「いや!いくら困っていても、私は自分の美しい肉体を売るような人間では・・・」
メグミが自分の肩を抱きながら言うと、マユは泣きそうな顔のまま「ごめんねぇ」と謝った。
「勘違いしちゃうよねぇ。いーちゃん不器用過ぎて・・・。いや、コミュニケーション下手で・・・。ううん、バカだからあんな言い方しかできなかったんだと思うの。でも深い意味はないと思うし、とりあえず大丈夫だと思う」
マユはぐっと親指を立てながら言うと、また泣き出しそうな顔に戻り「ごめんよぉ」と頭を下げて教室を飛び出して行ってしまった。
「えぇ~」
そんな、無責任な・・・。
けれど、メグミはマユの後を追おうとは思えなかった。冷たい人間だと思われるかもしれないけれど、マユの抱えている問題はマユ自身が解決しなくてはいけないものだと、なんとなくそう思えた。
きっと二人には簡単に解決できないような深い事情があるのかもしれない。でも、マユちゃんのワタラセくんに対する信頼はどこから来るんだろう、あんなにボロクソ言ってるのに。それにワタラセくんも私が可愛いからって、急にあんなこと言われても・・・。
「おいブス」
メグミのそんな考えを打ち砕くような言葉を発したのは、もちろんワタラセだった。さっきまでは教室の外に居たというのに、今はメグミの横に立っている。うんざりした様子でメグミのことを見下ろしていた。
「早く来い。話があるって言ってんだろ」
怒ったようにそう言うと、ワタラセはメグミの手首を乱暴につかんだ。そして引きずるようにして教室を後にする。
その様子を見ていたクラスメイト達は、「変人のワタラセ」が普通に人間としゃべっていることに衝撃を受けつつも、それ以上にこの青春的イベントに誰もが目を輝かせていた。
のちにメグミとワタラセとマユは三角関係なのだと学校中で噂されることになるのだが、これはまた別の話。
突然のことにされるがままワタラセに引きずられていたメグミだったが、途中でふと我に返り声を上げた。
「ちょっと!自分で歩けるから手離して!」
ワタラセはなんでもないようにあっさりと手を離し、また歩き始めた。その背中にメグミは疑問を投げかける。
入学してからずっとお前のことが気になってたんだ。とワタラセは確かにそう言った。
他にも聞きたいことは沢山あったけれど、今さっきそう言い放ったワタラセの本心をメグミは確認しておきたかった。
「ねぇ!気になるっていうのは・・・」
「は?」
ワタラセは足を止め、振り返った。
「その・・・気になるっていうのは・・・あの・・・」
「なんだよ?」
「私のことが気になってるっていうのはっ、異性としてって・・・こと?」
メグミが首をかしげると、ワタラセはしばらくポカンとしていた。十分すぎる時間を置いて、ようやく事態を把握できたようだった。
「あ・・・」
という、消え入りそうな声のあとワタラセの普段陶器のように白い顔が、ゆでだこのように赤くなった。
「ばっ、ばっかじゃねーの!変な勘違いしてんじゃねぇ!誰がお前みたいなやつ好きになるかよ」
その慌てようを見て、メグミは思わず吹き出してしまった。
ワタラセくんは相手に何かを伝えることが物凄く下手なのかもしれない。憎まれ口をたたくのも、もしかしたら照れ隠しなのかもしれない。それにしても、ワタラセくんのあの照れよう。見ものだ。
「笑ってんじゃねぇ!」
メグミは慌てて口を押えた。けれど、どうしても笑ってしまう。
「あれだね、ワタラセくんはもう少し考えてものを言った方がいいよ。まぁ、話す友達が居ないと、練習もできないんだろうけど・・・」
「うるせぇ!」
ワタラセは舌打ち交じりに言うと、また足早に歩き始めた。
「ねぇねぇねぇ、私のこと気になるってなあに?助けてくれるってこと?どうやって助けてくれるの?あと、これからどこ行くの?ていうかマユちゃん帰っちゃったけど、追いかけなくてもいいの?ねぇねぇ」
矢継ぎ早に来るメグミの質問に、ワタラセは露骨顔をしかめた。
「質問が多い」
「説明不足なのはそっちでしょ」
メグミの指摘にワタラセは短く舌打ちをした後、面倒くさそうに頭をガリガリとかいた。
「お前に会わせたいヤツが居る。そしてチバが怒ってる原因もソイツだ」
「ソイツって誰?マユちゃんと関係があるってこと?」
「いちいち聞いてくんな!いいから黙ってついて来い!」
「あー!ほらまた説明不足!」
そう言いながら、メグミはワタラセの後を小走りで追った。