キラキラとは程遠い。2
金曜日の玄関は甘い匂いがする。イツキさんが来るから、ママが張り切ってお菓子を作るのだ。
クッキー、マドレーヌ、フォンダンショコラ。レパートリーは沢山あるけれど、全てホットケーキミックスで作られているから、どれも似たような味がする。そのことに私とお姉ちゃんは少しうんざりしているのだけれど、文句を言うほどの事でもないので、ママの作った甘いお菓子をイツキさんと一緒に食べるのがお決まりとなっていた。
お姉ちゃんの彼氏のイツキさんは、毎週金曜日に私の家にやってくる。
出会った頃、私は彼のことがキライだった。一見地味に見える彼はよく見ても、冴えていない。なぜだかいつもメガネが汚れているし、服には必ずシワがある。ご飯を食べるのだって遅いし、初めて会った時なんて、私に人見知りをして目さえ合わせてくれなかった。
「イツキさんのどこが好きなの?」
前に聞いたことがある。その時中学生だったお姉ちゃんは、驚いた顔をした後、吹き出すようにして笑いだした。少し前までは活発な女の子だったのに、すっかり伸びた黒髪をゆらゆら揺らしながら口に手を当てて笑っている。太陽に焼かれていた肌が、制服を纏うたびに透き通るように白く変化してゆくのが小学生の私には不思議でならなかった。
「秘密だよ。私にしか分からない魅力があるのよ」
「なにそれ。答えになってないじゃん」
「もう少ししたらきっとユメにも分かるようになるよ」
彼女の言葉を、小学生だった私はもちろん理解できずにいた。正直なところ今もよくわからない。
だから分かろうとしたのだ。
二時間ほど前のタケオの姿を思い出す。あの体育倉庫で私はタケオに告白をした。「告白」というにはあまりにも攻撃的なものだったと思う。どちらかといえば「宣戦布告」と言ったほうが正しい。実際これは戦いなのだ。タケオを利用して、未だに理解できずにいる感情の正体を知るための。
それに私にはどうしても欲しいモノがあるのだ。
心の中に深く根を張っていて、今でも鮮明に思い出せる。忘れられない光景。
あれは、いつもと同じ金曜日。甘い香りのする玄関を抜けて、自分の部屋へ行く途中お姉ちゃんの部屋から、こぼれ落ちるような話し声が聞こえた。何気なく覗き込むと、お姉ちゃんとイツキさんがカーペットに寝転がっていた。斜陽が降り注ぎ、辺は柔らかな雰囲気で包まれている。私は声を掛けようとして開きかけていた唇を閉じ、何か繊細なモノを見守るようにその光景から目を離せずにいた。
イツキさんはカーペットの上に無造作に散らばっているお姉ちゃんの髪の毛を撫で、そしてクルクルと指に巻きつけていった。お姉ちゃんは柔らかに、春の木漏れ日のような微笑みを見せた。そして、二人はなんの示し合わせもなく、自然な感じに、そうすることが当たり前みたいにキスをしたのだ。まるで呼吸するみたいだった。
何かいけないものを見てしまったと思って、私は自分の部屋に駆け込んだ。目を瞑るとフラッシュバックするように二人の光景が浮かんでくる。心臓が高鳴って仕方がなかった。
私の知らない、キラキラとした二人だけの素敵な世界。
それを手に入れたいと思うのに時間は掛からなかった。
ホイップバターとメイプルシロップがかけられているホットケーキをナイフで切り分けながら、向えに座るイツキさんに目を向ける。彼はフォークでホットケーキのカケラを口に運んでいる所だった。手につままれているピンクゴールドのフォークは私が使っているものと同じなのに、一回り小さく見えた。隣にはお姉ちゃんが座っていて、時折二人は目配せをしながら笑っている。
私はイツキさんに「恋のようなもの」をしていた。けれど、イツキさんだけが好きなわけでないのだと最近にになって気づいた。
あんまり見すぎたのだろう。イツキさんが私の方に顔を向けて「何?」という表情をした。私は無邪気に笑いながら言う。
「ねぇイツキさん。私、お姉ちゃんと一緒にいるイツキさんが大好きなの。だからずっとお姉ちゃんと一緒にいてね」
この発言にイツキさんの視線は空中をさ迷い、お姉ちゃんは顔を赤くした。上機嫌なママだけが楽しそうに笑っている。
そう、私は二人一緒なのが好きなの。どっちが欠けていてもだめなの。
それは素敵な世界。私はどうしたってそれが欲しい。