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キラキラとは程遠い。5

 保健室特有の青ざめた匂いが鼻をさす。体を動かそうと全身に力を込めてみたけれど、重力にやんわりと押さえつけられ抵抗するのをやめた。そのままの状態でぼんやりと真っ白い天井を眺める。深く呼吸し、もう一度瞳を閉じる。

 思い出したくないけれど、ナツミのことを考えてしまう。

「私たち友達だったじゃない」

 彼女は確かにそう言った。意地の悪い笑顔を浮かべながら。そう。私たちは友達だったのだ。昔のことのように思えるけれど、1年と少し前までは。

 私たちの関係に誰がヒビを入れたのかは、明確だった。全部私のせい。正しいことを言うことが全てじゃないと分かっていたのに、あの時私は口を開かずには居られなかった。

 小学校の卒業式の練習をしていた時だった。まだ肌寒い体育館で、ずらりと並べられた椅子に座りながら私はナツミを含め、仲の良いグループの女子とお喋りをしていた。

 「寒いね」とか「早く終わらないかな」とか「本番はどんな服を着るの?」とかそんなたわいもない話を、先生に怒られないように声を潜めて。

 そんな中、ナツミが一つの提案を出してきた。

 「みんなで思い出作ろうよ!」

 「わぁいいね~タイムカプセルとか?」

 グループの内の一人が言うとナツミはその意見をフンと鼻で笑った。

 「タイムカプセルなんて古いよ~。もう中学生になるんだよ?もっと面白いことしようよ!」

 「面白いこと??」

 首をかしげる私たちに、彼女は嬉しそうに言い放つ。

 「誰かにドッキリを仕掛けるの」

 身を乗り出し、声を更に潜めるナツミにグループ内の女子たちも一緒に頭を寄せ合った。

 「嘘の告白とか面白くない?」

 彼女の屈託のない笑顔からは悪意なんてものが全く感じられなかった。ただ純粋に楽しんでいるように見える。

 「えっ!好きでもない人に告白するの?」

 誰かがあげた驚きの声に「まさかぁ」とナツミはヘラヘラと笑った。

 「ラブレターを書いて誰かを呼び出すんだよ。で、そいつがまんまとやって来たら超面白くない?だれもいないのに」

 「え~なにそれひどーい」

 口ではそういうものの、グループ内の女子の会話はヒートアップしていた。くだらないと思いつつも私は口を挟まなかった。誰がどうやって傷つこうと私には関係ないことだもの。

 「で、誰に仕掛けるの?」

 そう聞かれナツミは大きな瞳をぐるりと回して少し考えを巡らせたあと、「あっ!」と声を上げた。

 「タケオとかどう?地味だし。あいつなんかが告白される訳ないのに、来たら超うけるでしょ」

 「たしかに~」

 にやにやと笑い合う友人たちの会話に、無関心だった私の心が少しだけ傾いた。

 小学生最後のクラス。タケオと私は同じクラスだった。そしてナツミも。

 聞こえるか聞こえないかの距離で座っているタケオの方を見る。彼は俯いているだけだった。固く結ばれた唇からは表情を読み取ることは難しい。

 小学校の六年間、彼と喋ったことなんてそうそうなかった。席替えをして、給食を食べる班が同じになっても会話らしい会話をした覚えがない。

 でも、なんとなくお姉ちゃんの彼氏のイツキさんに似ていると思った。人見知りをするところとか、他の男子と比べて物静かなところとか、給食をお昼休みの時間まで食べているところとか、ほんの少しだけ似ていると思う。

 たったそれだけ。たったそれだけの事で私の口は勝手に開いていた。

 「そんなに興奮してバカみたい。くだらないと思わないの?」

 私がそう言い放った時のナツミの顔が忘れられない。大きな瞳をより大きくして、口元を強ばらせていた。とっさに「しまった」と思ったけれど、凍り付く周りの空気がもう元には戻れないと示していた。

 なにかひどい言葉で言い返されると思っていたけれど、ナツミは意外にも「ひどい」と小さく呟いて、イスにおとなしく座り直しただけだった。それっきり私たちは今日まで一度も口をきいていない。

 そのまま小学校を卒業し、中学でクラスが離れ、彼女との確執を忘れかけた頃。二年へ進級し、私たちは再び同じ教室で出会った。周囲には気づかれない程度に私とナツミは自然と距離を置いていたはずだった。他の人には見えない張りつめられた細い糸。

 それが今日、嫌らしい敵意で断ち切られた。ナツミの言葉によって。

 きっと私とタケオが付き合っていると知って、記憶に埋められていたナツミの感情が蘇ったのかも知れない。

 今は何時なのだろう。携帯を探そうとようやく体を動かした時、制服のままベットに寝かせられていると気がついて、体を起こした。スカートにシワが着いてしまう。

 シーツが擦れる音がやけに大きく耳に入った。さっきまでナツミと対峙していた教室とは全然違う。心地の良い静けさ。生暖かい風に翻るカーテンですら耳で感じられるようだった。

 カラカラと床が擦れる音がした。きっとイスに付いているキャスターの音だろう。足音が近づき、ベットを囲うように締め切られていたカーテンが細く開いく。

「ユメちゃん」

 ふわりとした高い声に私は少し驚いた。保健室のおばあちゃん先生が来ると思っていたのに、そこにいたのはタケオだった。

「こらダメでしょ」

 後を追うように、先生の声がした。

「ワコウくん男の子なんだからいきなり覗いたりしたら。開ける前に声をかけるのが礼儀ってものよ」

 タケオは先生の方を振り返り「すいません」と小さな声で謝った。

 顔を見なくてもどんな表情になっているのか手を取るように分かった。きっとしょぼくれている。

 「やだぁ、もう。そんな顔しないで、先生は怒ってないわよ。ほらユメちゃんに謝りなさい」

「あっごめん」

 タケオは私に向き直り、ペコリと頭を下げた。いつものようにそのまま黙りを決め込むのかと思ったけれど、彼はつまづきながらも言葉を続けた。

 「ごめん。さっき気づいてたんだ。ユメちゃんが僕のことに関して色々言われてたこと・・・。僕がこんなんだから色々言われてるのに、何もできなかった。ごめんね」

 下を向いて絞り出される言葉に私は驚きを隠せなかった。彼は一体何を謝っているのだろう。今回のことに関して、タケオは何も悪くない。ナツミが私を陥れようとただタケオを利用しただけだった。言ってみれば彼は被害者なのに。こんなに一生懸命謝らなくたって良いに。

 「なんで謝るのよ」

 ただ疑問を口にしただけだけれど、自分の耳に入ってくる声があまりにも不機嫌そうだったから後悔をした。ほらね、タケオがいつもの調子に戻ってしまう。視線を更に下げて、眉間に皺を寄せている。

 「いや、その。ごめん。迷惑だったらごめん」

 「迷惑なんかじゃない」

 「え」

 私の言葉に彼はようやく顔を上げた。見開かれた両目はまっすぐ私をとらえていた。そんなに驚かなくたっていいのに。

 ナツミと対峙していた時、私は完全に孤独だった。しびれるように冷たくなった指先を握ってくれる人なんて誰も居ないと思っていた。けれどタケオは今ここに居て、私のことを心配してくれている。その事実だけで、心がだいぶ救われている。

 あの騒がしい教室に味方なんて誰もいないと思っていたから。

 「だから、迷惑なんかじゃない。一応、その、ありがと」

 そう言うと、あのタケオが微笑んだ。閉じていた蕾がゆっくりとほころぶような笑顔だった。穏やかで温かい。その顔を見て私もなんだか笑ってしまった。保健室のおばあちゃん先生もニコリと微笑む。そしてその口が勢いよく開いた。

 「じゃ、ワコウ君は戻りなさい。授業はとっくに始まってるんだから」

 「あ、え。でも」

 「でもじゃない!ユメちゃんはお母さんが迎えに来るからもう大丈夫よ」

 「え、え」

 キッパリとした口調に何も言い返せず、追い出される形でタケオが保健室から去り、おばあちゃん先生はベットの隅へ腰をかけた。

 「ワコウくん。ずっと心配してたのよ。ただの貧血だから大丈夫って言っても全然聞かなくて。いつもは挙動不審で頼りないのに、意外と頑固なのね」

 彼女はいたずらっぽく笑った。恋の話をする時、人はどうしてこんなにも眩いのだろう。

 「そうみたいですね」

 「ユメちゃんとワコウ君はお付き合いしているのでしょう?彼のそういうところが好きなの?他に好きなところは?」

 少女のように身を乗り出して聞いてくるおばあちゃん先生に私は戸惑い、そして懐かしい感覚に襲われた。

 むかし、私もお姉ちゃんに似たような質問をしたことがあった。

 「イツキさんのどこが好きなの?」

 あの時のことを覚えている。ずっと憧れだった。もし自分がその質問をされる番になったらお姉ちゃんが言ったみたいに言おうと、何度も心に誓った。「私にしかわらかない魅力があるのよ」って。私はお姉ちゃんが見せた、花がほころぶような笑顔を作ろうと試みた。

 でも。

 「分かりません」

 口からついて出たのは、憧れたそれではなく冷たいほどにそっけない言葉だった。

 キラキラとはほど遠い私の世界。

 私はタケオのことを何一つ知らない。

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