もう人形は踊らない 1
パントマイムは黙劇とも呼ばれている。
言葉ではなく、動きだけで人を魅了するそのさまは、少しの違和感と子気味悪さを兼ね備えている。喜劇を演じるのが最近の主流だけれど、彼女の踊りはどちらかというと悲劇に近いのかもしれない。はっきりと言い切れないのは、「操り人形」という演目の内容のせいではない。彼女のまとう雰囲気がそうさせるのだ。
舞台に立つ彼女はいつだって人の心をとらえ、そして逃しはしない。
けれどそれは人を虜にするというものとはまた違う。
異形のものや、自分の理解に及ばないものが目の前に現れた時、人は逃げることよりも先に理解しようと努力する。きちんと把握して納得をし、人はそこで初めて安全だと感じる。
だが、彼女はその隙さえも観客に与えない。
訪れる者たちはたいてい、彼女の演技に思考が追い付かないのだ。
圧倒されながらも、次々と目の前で起こる不思議に、嫌でも釘付けになってしまう。
骨が折れているような座り方、瞬き一つしない瞳、関節が逆に曲がり、押しつぶされたように倒れては、重力に反するように動き出す。観客は彼女が身を翻す度に、声を漏らし、息を飲んだりとせわしない。
けれど誰一人として彼女から目をそらすものは居ない。
細部まで彼女が脳に焼き付いたころ、舞台に幕が降りる。
細い四肢に、白い肌、闇夜も飲み込む黒い髪。大きな瞳はいつもガラス玉のように輝いているが、決して誰とも交わらない。そしてルージュを纏った三日月の唇。
張り付いたようなその笑顔は、完璧なまでに美しい。でも、機械的な彼女の動きにはひどく似合わない。そのアンバラスさが、また人を引き付ける。
彼女の演目のあとの拍手は決まって少しの間が空く。それは次第に大きくなり、称賛と共にテントに鳴り響く。
「ここは海の底みたい」
彼女が初めて舞台に立った時、そう言った。いや、正確には、書いた、と言った方が正しい。彼女が入れられている檻にはいつもメモとペンを置いていた。彼女はそこに文字を書いて他者とコミュニケーションをとる。彼女は誰の前でも口を開かないのだ。殴られようが、蹴られようが、うめき声すらあげない。表情も変わらない、ただ幸福そうに微笑んでいる。
ドール。
収容所で彼女はすでにそう呼ばれていた。
本名は実に平凡なもので、係員に説明されたものの私はすぐに忘れてしまった。もしかしたら半分聞いていなかったのかもしれない。それほどまでに衝撃的だったのだ。
コンクリート壁がむき出しの狭く湿った汚い部屋で、ベッドにもたれている彼女は、子供に忘れられてしまった人形のようだった。今のように完璧な笑顔はなかったものの、散逸していると錯覚してしまうほどに投げ出されている四肢に、零れ落ちそうなほどの大きな瞳。陶器のように滑らかな皮膚。まっすぐに伸びる艶のある髪。パーフェクトだった。
私は震える手で団長に連絡をした。すぐにでも彼女を受け入れる手はずをしてほしいと頼んだ。
その一か月後、ようやく彼女は私たちのところへやってきた。私はこの日を心待ちにしていたけれど、ほかの団員は曇った表情をしていた。みんなの前で彼女が紹介されたとき、警戒心や嫌悪感を露骨に表すものも居た。でも彼女は表情一つ変えず、美しいかんばせで前を向き、じっとしているだけだった。それがさらに気に障ったのか、団員たちと彼女の溝は深まるばかりだった。そして、その名残は横たわるようにしていまも残っている。
彼女が舞台に上がるたび、団員たちは舞台の裏で囁き合う。暗がりで映し出される舞台映像のモニターを見ながら、その口はあざ笑うように歪められ、言葉には軽蔑が込められている。
顔がいいだけでしょう、技術じゃないわ。ヘタクソだもの。そういったどうしようもなくみっともない陰口が、よどんだ空気に乗って何度も私の耳に届いた。そしてそれらはこの言葉で締めくくられる。
「殺人鬼のくせにね」
と。
その言葉を聞くたびに、私の背筋に震えがはしる。恐怖なんかじゃない。快楽に近いような、不思議な感覚が私の身を包むのだ。脳がぴりぴりと痺れ、彼女の見とれるほどの美しい顔を思い出す。
恋というものがどんなものかはわからないけれど、この感情はそれに近いような気がする。それもとびきりビターなもの。純度の高いチョコレートのように、彼女に対する私の思いが透き通っていればいるほど、すべての感覚が麻痺してゆく。この「苦い恋を齧る」たびに私の身体は喜びだす。このままだと、どうなってしまうのだろうと他人事のように時々思う。
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