Zoom時代を生きる

コロナ禍のなかで、zoomが一般的に使われるようになって早4か月ほどが経ちましたかね。背景変えれるやん!とコロコロと変えて遊んでいたころも懐かしく、私たちの新しい生活様式のなかでだんだんzoomが馴染んできたような、そんな今日この頃のように思います。

私自身、大学の授業でzoomを使うことが多いのですが、それに加えてzoomを通して、興味のあるセミナーに積極的に参加するようにしています。今日は男女共同参画についてのセミナーに参加してきました。
前の私だったらバイトやサークル、友達との遊びを理由に、なにより移動距離や時間、コストを理由に、そういったものには足が重かったように思います。

zoomの良いところは自分の意見を発しやすいことのように思います。設定によってはたくさんのの参加者を写すことができますが、ほとんどの場合で無機質な画面に向かって自分の意見を述べたり、またチャットに書き込むことになるため、私にとっては比較的ハードルが低いです。
きっとこれが対面形式だったら、講義室の空気感や、みんなの視線、初対面の人と話すダイレクトな緊張感や威圧感を気にして発言できなかったんじゃないかなと思うことが多々あります。(友人のなかではzoomでのディスカッション等は話しづらいという子もいるのですが、皆さんはどう思われますか?)

しばらくして対面形式の授業が一部再開したのですが、zoomのときのなごりが残っているからか、以前より発言するようになった気もしています。私はなにも発言することそのものを今まで恐れていたのではなく、その時に生じる空気感を恐れていたのかもしれません。

一方でzoom飲み会なんてのも何度かやってみました。私はこれはちょっと違ったかなぁ、なんて思います。
自分の他愛のない話に全員が一気に耳を傾ける状況になんだか気が引けました笑 飲み会での他愛のない会話って、近くに座った人、目の前に座った人と徐に始まっていることが多い気がしています。気づいたら5人で飲み会に来たはずが3人と2人で話し込んでる、なんてことありますよね。その二つのグループが合流したり、席を移動してまた違う組み合わせになったり、そう考えると飲み会というのはある意味『流動的な』あつまりなのかもしれません。そして飲み会や友人との集まりはその和やかで楽しい空気感がその醍醐味だったのだと感じます。

こんなZoom時代を楽しく生きていくために、移動は自粛でも、心と知的好奇心はフッ軽にしていければと思っています🐢
そしてあの暖かな空気感に浸れる日が早くきますように。