【12/4】毎日のように出入りー
・2900字弱
・雑多日記
・コロモーに「子供向けにしては展開が重すぎない…?と思った作品をアゲて」というページがあって、一通り読んだけど、なんかなぁ。「重さ」とか悲しみって、本来バリエーションが豊富で、色んな種類の重さ、色んな種類の悲しみがあると思う。のだが…そのページでは、重さというのが「主要人物の死」と「家庭環境の悪さ」に大別されているような気がする。なんかなぁ。
・そもそも「子供向けアニメで重い展開は基本ない」という固定観念が間違っている気がする。アンパンマンでさえ重い展開はあるので…(「勇気の花がひらくとき」を見てください全人類)
・大人になってから打撲って全然していないから、急にどこかを打ち付けて強い痛みが発生すると「あっ!子供の頃の!」になる。脳内で「痛み」と「幼少期」が紐づいている。
・コンビニとかスーパーで売られてるおにぎりって無限に胃に入らないか。コンビニおにぎりって満腹中枢が満たされる感覚が全然なくて、腹が「もうおにぎりは入らないよ」と言っているときでも、脳は「まだおにぎり入るよ」と言うんだけど。なんでなん。
自宅で白米が炊けているし海苔もあるのに、わざわざ外出してまでコンビニおにぎりを食べたくなることがよくある。
・私は他人へのプレゼントを選ぶのが苦手(≠下手)なのだけど、この前ようやくその理由が言語化できた。
仮に友人に2万円のヘッドホンをプレゼントしたとする。2万のヘッドホンって、音楽を生業にしていない一般人からしたら結構手を出しづらいが、しかし貰ったらしっかり2万円分は楽しめる商品だと思う。
しかし…2万のヘッドホンを与えるということは「相手がそれ以上のヘッドホンは使っていない」と見積もっている前提がある。「君は2万超過のヘッドホンは普段使っていない人間だろう」と思っていないとプレゼントできないものだ。
その上、仮に相手が2万円のヘッドホンが壊れるまで数年間使用するなら、その数年間は「もっといいヘッドホンを買う」という選択肢を友人から奪うことになる。
という私の持論を読んだあなたは「何言ってるんだ。2万のヘッドホンを貰ったら私なら嬉しいぞ」とお思いかもしれない。う~ん自分で読み返しても考えすぎなのはわかるんだけど、しかしなぁ…なんにしてもプレゼントを選ぶのは苦手だ。本人に何が欲しいのか聞かなければ買えない。
欲しいものリストを置いといてくれればわかりやすいのだけど。
・韓国のりがおいしすぎて食生活が破綻しそうだ。みんなも、韓国のりが合法なうちにたくさん買いだめておくといい。私はアマゾンのブラックフライデーでいっぱい買った。
・フォレストガンプ
・友人と観た。私の好みではなかったけど、学ぶことはあったのでメモ。
・この映画では、主人公フォレストくんが多少の知的障害を抱えているという前提説明からスタートして、フォレストくんの人生を追体験するような作品だ。オチとかサビのある映画でなく、人生を追体験して楽しむのが見どころだと思う。
・この作品では、終始フォレストくんは目的らしい目的をもっておらず、他人に何かを勧められたらやる、他人と約束をしたらそれを果たす、といったように受動的に行動するし、あまり喜怒哀楽を示さない。これは感情移入を促すための工夫なのだろうなと思った。
・ポケモン赤緑の主人公って、最初から最後まで無口を貫いているのだけど、それも感情移入を妨げないためだと思っている。アンテの主人公が中性的な見た目であるのもそうでしょ。
・仮にRPGをプレイしていて、操作している主人公が「てやんでいっ!鬼を退治しに行くだぁ?オイラも協力してやらぁっ!」みたいな自我のある発言をしだしたら、プレイヤーは主人公と意識が乖離し、意識がゲームの外につまみだされてしまうと思う。主人公が感情や判断力を持った途端、「プレイヤー≠主人公」になってしまうのだ。
・これはいつかの日記にも書いたかもしれないが、コロコロのギャグ漫画のツッコミ役にも同じことが言えると思っている。
コロコロで連載されているギャグ漫画のほとんどは、ボケ役とツッコミ役がセットになっている。「じーさん&孫」「ケシカスくん&ボウズ」「ベッカム&なおと」「ボンビー太&ひとし」「ピッピ&レッド」等…
ツッコミ役のキャラは基本的には、積極的に選択判断をして物語を動かすことはせず、与えられたギャグに対するリアクションをするだけだ(当然例外も多々あるが)。ツッコミ役がいなくてもギャグ自体は成立するが、ツッコミ役がいるからこそ、読者の座標が漫画の中に引き込まれるのだ。
主人公がじーさんだったとしても、あくまで読者の感情移入先はじーさんでなく孫である。
多くのギャグ漫画において、ボケ役はコマの真ん中でボケをし、ツッコミ役はあくまでコマの端でツッコミをしている。その構図も味噌だと思う。ツッコミ役は向こう側(奥側)を向いている場合が多い。これは読者と視線の方向を合わせるためだろう。ツッコミが①あっちを向いてるか②こっちを向いているかでニュアンスも変わってくる。
・以上の考察を自分の創作に落とし込むために抽象化するとこうだ。「キャラの奇行を描きたいとき、その奇行の観測者もセットで置いておくとよい」「観測者は物語に積極的に介入すべきでない」
・話が戻りに戻るが、映画フォレストガンプにおいても、主人公自体よりも主人公の人生を見て欲しかったから、あくまで主人公を「主人公の人生の観測者」のように描いたのだろう…と勝手に思うなどしている。
それから、フォレストガンプでは全編が主人公目線のみで物語が進んでおり、主人公不在のシーンはなかった(と思う)。これも、感情移入している鑑賞者の気を逸らさせないためだろう。なるほどねぇ~~~
・ま、好きじゃないけど学べることはあったよ(藪蛇)。
・クリスマスカンパニー
・ついこの前までアマプラでタダだった。
・一文で説明するなら、ナイトメアビフォアクリスマスみたいなチャーリーとチョコレート工場からテルマエロマエしてきたような映画だった。
・起承転結のある作品において、転と結の部分が面白くなるのは当然なのだが、起と承の部分が退屈になりがち問題があると思う。起承にどれだけ見所を詰め込めるかも勝負である。
その点、クリスマスカンパニーはよかった。起の部分では、サンタとその従業員たちが、物理法則を無視した方法でプレゼントを続々と作っては梱包している、異世界的な描写から始まるのがよかった。
承の部分では、サンタが人間界にやってくるのだけど、サンタは人間の価値観も貨幣制度も法律も物理法則も知らず、天然のすれ違いギャグを重ねながらお話が進んでいくのが面白かった。サンタが「なんで人間はそんなことをするんだ?」「私何かした?」とでも言いたげな無表情をするカットが挟まるたびに、愛くるし~と思った。あと物理法則は守ってくれ。
お話の主軸は弱いというかちょっとご都合的ではあるけど、全体的に面白ポイントが多々あったので、エンタメとして完成度が高かった。
・おわり