カス会話の記憶

・2200強


 大学生のとき、私が学生寮にいると、管理人に「学生サポートデスクの人が玄関に来ていて、君を呼んでいる」と呼び出され、寮のラウンジで話を聞くことになった。

「もぐうま君、君は内定を貰ったのに、母に就職先を伝えてないのかい? 君の母親は君に『就職先を教えてくれ』と何度もメールしているのに、君は無視を決め込んでいるというのは本当かい?」

「ええ、そうです。どこでそれを?」

「大学の事務に君の母から問い合わせがあって、そこで聞いたんだ。そして、『うちの子の就職先を教えてくれ』と言っている。教えてあげてくれないか」

「いいえ。教えません」

「そうか……私はここに来て長いけど、こんな事例を見たのは初めてだ。大学としては、この場合、『うちの子の就職先を教えて』という親と、『就職先を教えたくない』という子と、どちらの意見を優先した方がいいのかわからなかった。そこで、事務手続きの規定書を隅々まで読んで見た。そしたら、こういうケースがあった場合、学校としては親の意見を優先して、君の就職先を教えなければいけないという規定になっていた」


――この会話を思い出すと、後から怒りがこみあげて来た。確かに私は内定に関する報告書を大学に届け出た。でも実際、報告書は義務ではない。先輩がそういうデータを残してくれていたら、後の学生が就活するときの資料として使えるから、内定の決まった学生は善意で「この就職先は、こういう形式のテストがあって、面接では何を聞かれましたよ」というようなことを紙に書き、提出するのだ。義務ではないので、提出しない学生もいる。

 私が善意で提出した報告書が、私にとって不利な使われ方をしようとしている。それでいいのか?

 じゃあ私は、たくさんの後輩にそのエピソードを話して、「みんな~! 報告書を善意で提出しても、恩を仇で返されたよ~! 報告書を出すメリットないよ~!」と触れて回るけど、それでいいのね?


 という怒りは、後日になって湧いてきた。しかし後日になって気づいても遅い。鉄は熱いうちに打たなければいけない。理不尽は、言われた瞬間に捲り返さないといけない。私たちにできることは、このようなカスの会話を定期的に思い返しては、「次回、同じような会話の流れになったら、こう反論しよう」という弾丸を、1発1発丁寧に磨いて装填することだ。


 ともかくその場では、私は困惑したような返事を返していた。すると、学生サポートの人はこう続けた。

「なんだかんだで母親とは今後も長い付き合いになるのだから、仲良くしてあげたらどうか」

「いえ、母とはもう縁を切っているので、連絡も例外なく全て無視します」

「しかしこのままだと、私は君の就職先を、君の母親に教えることになる。とはいえ、大学としては、あまり君の意志に反することはしたくない。できれば、学校からでなく、君の口から教えてあげてくれ」


 そこで閃いたのは、「母には虚偽の就職先を教えればいい」ということだ。そして実際そうした。

「仕方ありませんね。わかりました、そうします」



 それで用事は済んだはずなのだが、彼はこう続けた。

「私はたくさんの学生を見てきたけどね、」

 思えば、この時点で地雷臭を嗅ぎ取れていればよかったのだ。

 第一、私が敬語で話しているのに、彼は学生に敬語で話さない。その時点で、私も敬語をやめればよかったのだ。怒りがある。過去の自分に対して。


「私はたくさんの学生を見てきたけどね、君のように母親と絶縁しようと言っている人は見たことがない。誰だって、親と仲が悪くても、無視はしない。これまで22年もお世話になったのだから、表面上だけでも仲良くしたらどうだい」

「いえ、お世話になってはいません。母は、母親として当然すべき義務を怠っていました」

「そうは言っても君は、母の用意した飯で立派に育っているじゃないか」


 ここからは会話のループが続く。抽象化すると「親に感謝しろ」「いや、親に感謝する義務はない」以降繰り返し。”こういう系” の人と会話がループしたことは、1度や2度ではない。

 自分が汚したら自分が拭く。自分が壊したら自分が弁償する。自分が子を産んだら自分が世話をする。自分が生んだ義務を自分がこなした所で、褒美はない。円満な家庭でぬくぬくと育った人間には、それがわからないのだ。


「私は経済的虐待を受けています」

「でも実際、君は大学に通えているじゃないか。経済的虐待を受けていながら大学に来ているなんて、そんなことはないだろう」

「いえ、学費は母でなく、母方の祖父母が出しています。そして母は、実際の学費がn円であるところを、2n円であると虚偽の金額を祖父母に教えて、差額のn円を懐に入れている。つまり、私が大学に進学したことを言い訳にして祖父母の資産を吸っている。その証拠に、……」


 会話すればするほど、私は自分の家庭についてベラベラ喋ることになっていった。間違っても、「傾聴して貰ってスッキリしたい」というモチベで話しているのではない。人の心のない人間に傾聴して貰っても、なんら嬉しくない。このときのモチベは、「目の前にいる、”自分の知っている常識が全てだと思っている奴” の鼻を明かしてやろう。奴から『確かに、それなら母親と絶縁するのも頷ける』という言葉を引き出せたらクリアだ」というモチベだった。

 しかし、ダメだった。


 (そして、このエピソードからどのような教訓を得たかをつらつらと書いたけど、蛇足に思えたので消した)


・おわり

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