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「AIにイラストを描かせて何が楽しいのかわからない。絵は自分で描くから楽しいんじゃないか」←これ

・3400字強


#コロモー でAIイラストに関するトピックを見て行くにょ~


・AI絵師に代わるいい名称をアゲて


・みんなAI「絵師」って名称に納得いってるのかが知りたい

・批判というのは改善案とセットでなければ非建設的だ。AI絵師という概念に名前がついていないと、AI絵師を批判する意見すら書きづらくなる。AI絵師という呼称が気に入らない人間は、代替案を出すべきである。

 chichi-puiというAIイラスト投稿サイトではAI絵師でなく呪文者と呼称しており、私もそれが最も丸いと思うのでそれに倣っている。

 とはいえ、今後はイラスト以外の媒体(動画、3Dモデル、テキスト、音楽など)でのAI出力も発展していくことだろうから、そうなると「AI調教師」「AI術師」「呪文者」などでは他の媒体と区別できない。呼称にイラスト要素を入れようとすると、AI絵師という呼称が最も適当なのではとは思う。


・つか、AI絵師が「AI絵師です」と名乗ってるの見たことないかも。専らAI絵師について議論する人がAI絵師という呼称を使っているので、「絵師じゃないのに絵師を名乗っていておかしい」という批判にあまり共感できない。



・AI絵師批判の主張が全く分からないのでどういうことかを教えて


・AIイラストやその絵師をどう思うかを教えて


・AI絵師についてどう思うかを教えて


・最近AIイラスト・AI絵師についての質問多いけどぶっちゃけどう思ってるかを教えて


・はえ~




・呪文者に対して、「AIにイラストを描かせて何が楽しいのかわからない。絵は自分で描くから楽しいんじゃないか」と意見する人間がネットでは多い。これがいかに空虚な意見なのか解説しよう。


・例えば、滝が重力に逆らって下から上へと落ちていたとする。それに対して誰かが「水が下から上へ落ちるのは科学的におかしい」と文句をつけたら、その滝は自らの過ちに気づき、上から下に落ちるのか? そうはならないだろう。

 観測した事象が科学に反していた場合、間違っているのは事象でなく科学だ。事象は修正できないのだから、修正できるのは科学なのだ。


・自然現象に文句を言っても変えられないのは誰でも自明にわかることだが、対象が自然現象でなく人間になると自明ではなくなってくるらしい。自然現象は非難しても変えられないが、人間は非難すれば変えられそうだからだ。

・例えば同性愛への批判だ。誰かが「同性を愛しても生産性がないのだから、生物学的におかしい」と主張すれば同性愛はなくなるだろうか?

 もし「同性愛は生物学的におかしい」と主張する人間がいるなら、「その場合、間違っているのは同性愛でなく生物学の方だ」と反論するのが適当だ。同性愛は人間以外にも1500近くの動物種で観察されているという。同性愛が淘汰されていないということは、そこには何かしらの理由があるのだ。滝の例と同様である。

・観測された事象より科学の方が正しいと思っている人間たちが、地動説を弾圧したのである。


・私がこの話をどういう結論に持っていきたいのか察しがついたことと思うが、結論に飛躍せず、もう少し中間式を書く。


・誰でも、「共感のできない趣味」というのはある。例えば私なら、聖地巡礼という趣味に共感ができない。しかし聖地巡礼を楽しむ人間は確実に存在する。

 しかし私が聖地巡礼オタクに対して「聖地巡礼を楽しむのはおかしい。聖地巡礼は何も楽しくない」と言った所で、「確かに言われてみれば聖地巡礼は楽しくないな」と心変わりするオタクが一人でもいようか?

 「自分の直感」と「観測された事象」が異なっていた場合、間違っているのは自分の直感なのである。

・「野球観戦の何が楽しいのかわからない」「収集癖の何が楽しいのかわからない」「ヘヴィメタルの何が良いのかわからない」など全ての趣味においてそうだ。

・滝に文句を言っても滝は変わらないという例は誰でも自明にわかるのに、対象が自然現象でなく人間になった途端にそれがわからなくなる人間が多いらしい。自他の区別がついていないためである。


・もう言うまでもないが、結論として言わねばならない。「AIにイラストを描かせて何が楽しいのかわからない。絵は自分で描くから楽しいんじゃないか」という意見の発信者は、「AIにイラストを描かせるのが楽しい人もいる」という事実を認められず、自分の直感を、観測された事実に押し付けることで自分の内部の矛盾を解消しようとしているのである。

 そもそも、AIイラストを非難したいという意志はあるのに、AIイラスト出力はなぜ悪いのかという理由すら説明できていない。非難したいという意志が先行し、非難のための材料を後から考えているからそのような空虚な意見が出てくるのだ。

 自分がなぜ呪文者を非難したいのかという理由すらわかっていないのだろう。自分がなぜ呪文者を非難したいのかについてもう一度自問自答して言語化し、ぜひとも本質的な非難をして欲しい。

 例えば詐欺師を批判する際に、「詐欺師ってなぜ金を騙し取るのかわからない。金は自分で稼ぐから飯が美味しいもんだろう」というアプローチで意見を述べても、その意見は何の情報量も持たない。もう少し頑張れば、詐欺師に対する本質的な批判が言語化できるだろう。






・個人的に、人間が絵を描く理由は、以下の3軸に大別できると思う。

①承認欲求を満たしたい。有名になりたい(さらに2分するなら、「有名になれるなら何でもいい人」と、そうでなく「努力の結果が正当に評価されることにのみ承認欲求が満たされる人」がいる)

②ものづくり全般が好きで、その一つがお絵描きであった

③自分が本当に見たいものは自分にしか描けないため、仕方なく描く

④金銭を稼ぎたい(←この④は①②③のどれかと必ず複合し、独立しないので、絵を描く理由として挙げるのはあまり適当ではないような気もする)

他にあったら教えて欲しい

・このうち、②はAI絵では満たせないことがよく指摘されるけど、①と③に関してはAI絵でも満たせると思う。これが「AIにイラストを描かせて何が楽しいのか」へのアンサーになる。

・絵師の中でも、主に③の理由で絵を描いている人はAI絵にそこまで忌避感を覚えないことと思う。

 ③を持たず、①と②によって絵を描く人は、AIに強い忌避感を覚えることと思う。

 イラスト市場の顧客がAIに流れれば、相対的に絵師の市場価値が下がる。絵師はAIほどコンスタントに高クオリティな絵も描けないために顧客は流れ、焦燥や怒りを覚える。手作業の職人が、ファクトリーオートメーションに顧客を奪われ、自分が修練して来た技術が無為に帰して怒っているのである。これは技術の発展に伴ってあらゆる分野で起こってきた成長痛なのであって、イラストだけが特別ではない。顧客には、製品が手製なのか工場製なのかは判別できず、判別できたとしても興味がない。顧客は、より安価で良質なものを求めるだけである。


・Twitterやコロモーの意見を見ていると、やはりAI絵師批判をしている絵師は、絵を描く理由として「③自分が本当に見たいものは自分にしか描けないため、仕方なく描く」が欠如していると思う。

 私の場合、自分の描いた絵柄が、最も私の感性に沁みるので、AI絵を含めて世界に存在する絵柄の中で一番美しいのは私の絵柄だと思っている。

 美しい絵の定義は自分の中にあるので、自分の描いた絵が客観的に見て美しくなるよう練習する必要はなく、主観的に見て美しくなるように練習すればいいのである。

 AIイラストに嫌悪感を催す絵師は、美しい絵の定義が自分の外にあるのだ。Twitterでフォロワーの多い絵師の絵や、pixivデイリーランキングで上位に来る絵を美しい絵と定義し、そこに向かって努力する。そのような人間は、漠然と上手くはなるが、判で押したような絵柄で、美形男女ばかり描き、絵にヘキがない。私はそのような絵には用がない。

 模倣はGANが得意とする分野なので、模倣力ではAIには叶わない。現時点で絵師がAIより優れている点は、美しさの定義を自分の内部に持ち、模倣の先にある守破離ができることである。

 AI絵よりも自分の絵の方が美しいと盲信する変態だけが生き残り、他は淘汰されれば良い。承認欲求を満たしたり、ものづくりがしたいだけなら他にいくらでも手段はあるだのから。


・おわり

#AIイラスト #AI絵師 #呪文者

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