現代文で習ったテクニックに反した文章を書いても良い
・2300字弱
・私は、現代文で習ったテクニックに反した文章を書くことがある。
例えば、先生は私の書いた「いま私が抱いている」という文章を添削するとき、「”いま” は漢字にしましょう」と指摘した。他にも「さっそく開けてみようと」の「さっそく」とかも。が、今の私はそうは思わない。
漢字と平仮名は、交互になっている方が可読性が高いと思う。例えば「所詮開けた所で」みたいな文章があったとき、脳内で一旦「所詮開」という言葉があったか検索し、ないことがわかると、送り仮名に目をやって「所詮」「開けた」と分割した方が自然だと気づき、ようやく正常に処理できる。が、「しょせん開けた所で」の方がそのノイズが少ない。
顕著な例だと「この先生きのこれるか」「アフガン航空相撲殺される」「低温やけど注意」とかがある。
・余談だけど、👇のニュースタイトルをつけた人間は、意図して誤読を誘発していると思う。
速水もこみちの幻覚が強い pic.twitter.com/gvRchyTaf0
— ナゴルノ阿波尾鶏(受験勉強) (@RichardSoviet) November 27, 2022
「持ち込み」を平仮名に開く人は、「早速」も開くでしょ。早速を開かずに持ち込みを開くのは、やってるとしか言いようがない。
・話を戻そう。
確かに「いま私が抱いている」という文面を見ると、「今」は漢字で書きなさいよという違和感がある。それは否めないけど、違和感は慣れれば消えると思うし、可読のストレスを減らす文章にした方がいい気がしている。
日本語は英語と違ってスペースで単語分割ができないので、平仮名と漢字が交互に出現することで、英語のスペース替わりになっていた方が可読性が高いと思う。「皮ふ」とか「障がい者」とかは可読性が低いと思う。
というのを当時は言語化できなかったので、ここに供養。
漢字や平仮名が交互に出せないときは、英語に倣って、半角スペースを開けてしまうのも手ではなかろうか?
初代ポケモンは漢字を使えるほどメモリがなかったので「かがくの ちからって すげー!」のように全てひらがなでセリフテキストを表示していたけど、スペースなしで「かがくのちからってすげー!」と書かれるのと、スペースがあるのとでは可読性が著しく違うと思う。
私は漢字と平仮名が交互に出せないときは読点をねじこむことも多い。「早速開けてみようと」は「早速、開けてみようと」だ。これは初代ポケモンのセリフと本質的に同じである。
他にも、現代文の講義に反したことをしていることがある。
例文として「ここでの問題点は3つあって、①~、②~、③~という3つの問題だ」という例文があったとき、「問題が3つある」という情報が重複していて違和感があると習った。
↑の文章でも、「例文として~~~という例文があったとき」という重複を孕む構文になっている。
その構文を抽象化すると、「①今から述べるセンテンスは、どういうセンテンスなのかの説明、②センテンス、③今述べたセンテンスは、どういうセンテンスだったのかの説明」というサンドイッチになっていることがわかる。
①と③が同じ内容なので、どちらかを消した方が良いと習ったけど、私はそうは思わない。
改善案を挙げる。
「ここでの問題点は3つあって、①~、②~、③~という3つの問題だ」という例文への改善案は2つある。
改善案A:ここでは、①~、②~、③~という3つの問題がある。
改善案B:ここでの問題点は3つあって、それは①~、②~、③~だ。
Aを読んだときは、①②③を読んでいる間、その①②③が何を指しているのかが不明で、最後の「という3つの問題がある」まで読んでようやく①②③が何を示しているのかがわかる。これはストレスなので、Bの方が若干良いと思う。
しかしBにも問題点はある。読者は①②③を読み終わったあとに、今読んだ①②③が何を示していたのか忘れるのだ。①②③のような本題のセンテンスが長文であるほど、それを読み終わったときに、今読んだセンテンスがどういう文脈で出てきたセンテンスだったのか忘れがちだ。と思う。
・いや、忘れるなんてことあるだろうか? この私の考え方は、読者の読解力を低く見積もりすぎだろうか?
しかし私はね、「読解力の低い人向けに書かれた文章は、読解力が高い人にとってもストレスなく読める文章になるから、読者の読解力はとりあえず低く見積もった方がいい」と思っているよ。
とにかく、AもBも問題があるので、両方を採用したサンドイッチの構文の方が読みやすくなると思っているよ。それが美しくない文章だったとしても。
・関係のない余談
・ゲームのカード落としちゃった!について
「ゲームのカードを落としちゃった」というセリフ、カードゲームを知らない人にも伝わるよう「ボル武者を落としちゃった」でもなく「ものを落としちゃった」でもなく「ゲームのカード」という適切な抽象度の言葉を選べてるあたり、文章力が高い。
しかも「カードゲームのカードを落としちゃった」では重複表現になってしまうので、違和感を受け入れてでも「ゲームのカード」という端的な表現を選んでいるのは、トレードオフの機微を感じる。(実際には、カードゲームでなく筐体ゲームのカードなのかもしれないが)
「ゲームのカード」という語には違和感はあるけど、ではどう言い換えるのが適切なのかと言われたら、皆もパッと思いつかないのでは。強いて言うなら「トレーディングカード落としちゃった」が適当だけど、直感的でない。
何にせよ、ゲームのカードを落としちゃった人は、伝わりやすい言葉を選ぶ能力が「ゲームのカード」という7文字に詰まっているので、ライターに向いてると思う。
・おわり