それは悪ではないよ
・1700字弱
・狩猟採集時代に培われた本能や直感が、現代でも運用されている。科学捜査技術と司法制度は急速に発達し、人類のアタマはそれについてこれていない。道徳を本能や直感で決めてよいものだろうか。道徳は、理性で決めるものではなかろうか。
・最近よく考えている仮説は、人の脳内の「この人とは仲良くしない方が良い」と判断する回路は、「この人は道徳的に悪である」と判断する回路と隣り合っているのではないかという仮説である……
例えば、何かしらの漫画作品において、「この漫画の作者は女性をモノ扱いしている、昭和以前のような価値観の持ち主なのだな」と思えるような、軽率な性的描写があったら、直感的に嫌悪感を催す人も多いのかもしれない。その嫌悪感は、「このように女性の扱いを軽視している作者、およびそれを好き好んで購読している読者とは仲良くしたくない/近寄りたくない/交際しない方が良い」という嫌悪感だと思う。
しかしそこから、さらに一歩踏み込んで「自分が嫌悪感を覚えたのだから、この作者は道徳的に悪いことをしている」という推論をする人は、あまりにも多いと思う。
そういった「他人にストレスを与える行為は、道徳的に悪い行為である」という推論のしかたは、もう少し吟味された方が良いと思う。(倫理学を齧っている人からしたら「そんなの吟味され尽くしていることだ」と思うのかもしれないけど、私含む、大衆の中では吟味されていない)。
人には「有害な人を、自分が被害を被る前に察知する」偏見センサーがついている。有害な人を察知したときにすべき対処は、実際に害を受けたときにすべき対処と同じである(対処:その人から離れる。その人をコミュニティから追放する。その人を攻撃する)ために、いままで(:司法制度ができるまで)の人の脳の中ではその2つを区別せず、同じストレスを脳内で流す作りになっている気がする。
でも、そこは区別しないといけないと思う。
このようなエッセ~~~を突発的に書いたのにもトリガーがある。
ここ数日、「n日後に正体を明かす有名活動者」というアカウントがバズバズにバズっていた。そのアカウントが有名活動者である保証なんて1mmもないのに、やけに皆の耳目を集めていて、正体を明かす直前でもそのフォロワー数は10万を超えていた。この手のアカウントには見覚えがある……
・こういうの。いくつか観測したことがあるけど、期待を超える面白い結末になっているのを見たことはない。
・その「n日後に正体を明かす有名活動者」というアカウントに対しては、熱烈な誹謗中傷リプと、陰口が飛び交っている。そのアカウントは、別に誰に迷惑をかけているわけでもなく、ただ痛々しいだけなのにだ。
何の努力もせず耳目を集めることに成功している人や、それを拡散する人に嫌悪感を催すのはわかるけど、その嫌悪感と「道徳的な悪」を区別していない人はあまりにも多い。過半数の人は、「嫌悪感を催す人への対処」と、「道徳的に悪いことをしている人」への対処が同じだと思う。
多くの場合、炎上の規模の大きさは、対象者がどれだけ道徳的に悪いかよりも、対象者とどれだけ仲良くしたくないかに比例する。「うっせぇわ」の人が「プリキュア5、スマイル go go!」を歌ったときにバッシングしてる人がちょっと多かったときを思い出すと、かなりそうだと思える。
その誤った対処が、誹謗中傷にとどまらず、現実を動かす力を持ち始めてくるとまずい。
一番でかいのは「気に入らない創作物の規制(おもにフェミニズムやジェンダーに関して)」だけど、日常生活でも「本質的には悪いことをしていないのに、悪いことをしたのと同等の冷遇を受ける人」は発生する。
それは、いかんとおもうよ。
・みんな、前に進もうよ
・疲れているよ、ずっと
・小学生の頃からずっと疲れている。
・猿の群れに混じって、倫理観を猿に合わせながら生きていくのが。
・おわり