【日記2023/1/4】「人生において大切なのは何だと思う?」という質問はカス
・2800字強。
・質問に答えていきます。
・質問というのは、ありがたいですね。
アタマを使わず受動的に文章を書けるので。
・何も思いつかないわ。ここまで丁度なんも思いつかない質問もなかなかないよ。
・ごめん、この時点で既に日記を書き始めて30分が経過してるけどマジでなんも思いつかない。
・かわいいものの類型なら100個思いつくよ。例えば「Pixelated Glass Doors」で検索して出てくる猫画像群とか。カタコトの外国人とか。とある一日に示し合わせたように恵方巻を購入して、次の日に売れ残った恵方巻には目もくれないような、哀れなミーハーたちとか。露出度の高い、若い女性キャラクターのイラストとか。水族館のタコに触れるコーナーで、多くの客にプニプニされて、呆れながらも一応客の手に吸い付いてやる程度のエンタメ性を持ち合わせたタコとか。パートナーとか。
・しかし「かわいいと感じるものとは何か」という質問に答えられる程度に、全てのかわいいものを包括して抽象化したような答えは出せないな。それくらい困る質問だ。
・簡単な例で言うと、「貴方はどんな物を黄色いと思いますか」と訊かれても困るでしょ。私が学校のペーパーテストを受けていて、そんな設問があったら、その一問で1時間くらい浪費すると思うよ。「え、レモンと、たくあんと、ひまわりを黄色いと思います」とでも答えるかい。
「貴方はどんな物を黄色いと思いますか」という質問をしても、結局の所「黄色いと思うものの一例を挙げてください」と読み替えられて解釈されるので、最初からそう質問した方が混乱を招かないと思うよ。
・ここまで、たかだか700文字書くのに80分かかってるのよね。
・ここまで私を混乱させるのはなかなか至難の業だと思う。
・アホくさすぎ。
・これはあるあるだと思っているのだけど、私は以下の様な経験が何度かある。
大人に「人生において大切なのは何だと思う?」「会社を経営する上で、最も重視すべき資源は何か?」「コミュニケーションにおいて一番忘れてはいけないことは何か?」の様な、複数解釈もできるし複数回答もあるような抽象的な質問を投げられて、私が自分なりに考えて「こうだと思います」と答えたら「いや、違う」と否定され、正解と称した主観を述べられて、うんざりし、「このような大人にはなるまい」と思った経験。
そこの貴方も👆の様な経験があるのではなかろうか。
解説するのも野暮だが一応解説しよう。その様な大人は、持論を語りたいという欲が先行して、その持論を語る前座として答えに興味がない一方通行の質問をしているのだ。そういった質問は、答えに興味がない故に、答えやすい形に整形された質問文になっていない場合が多く、回答者は困る。
・さて、ここでチンコを出そう。
・回答者に親切な質問をするのは難しい。
・プログラミングにおいては、質問をする能力もプログラミング力に含むと思う。
一度でもプログラミング作品を完成させたことがある人間ならわかると思うが、バグの原因がわからなくて他人に相談をする際は、「どのような環境で」「どう動作させることが目的で」「バグはどのような挙動をしていて」「エラー文には何と書いてあって」「どういうデバッグを試したけど直らなくて」「何を変更するまでは正常に動作していたか」などを詳細に書かなければ回答できない。
なぜ回答できないかというと、考えられるバグの原因が無限大にあるからだ。考えられるバグの原因が無限大にある場合、回答者にできることといえば、バグあるあるを思い浮かべて「どっかに全角スペース入ってない?」などと適当に返事することくらいだ。
プログラミング力が高い人と接していると、日常会話においても、複数解釈の余地がないような、回答の照準が定まりやすい質問をしてくれる場合が多く、話していて楽だ。定義不足な指示もしない。
「プログラムは思った通りに動かない。書いた通りに動く」という、界隈では有名な格言が存在する。コンピュータというのは自分で考える能力がなく、人間がどう動作して欲しいと思っているかなど、知る余地もない。コンピュータという物分かりの悪いヤツと普段から向き合っているプログラマは、人間相手でも、こちらの物分かりの良さに期待したような曖昧な命令は出さない場合が多い。
・プログラマと結婚すると、夫婦間の齟齬が少なく済むと思う。
・ごめん、個人的にプログラマという生き物が好きだからって、褒めすぎた。
・カードゲームオタクとも、齟齬のないコミュニケーションが取れる場合が多い。カードゲームオタクは普段から「複数の解釈の余地がないテキストの例」を見慣れているからだ。
・さて、出していたチンコをしまおう。
・「回答者に不親切な質問の例」としてもう一つ思い浮かぶのは、「なぜ○○しないのですか?」という質問だ。
・しないというのはデフォルトの状態だ。例えば「なぜ貴方はクリスマスにケーキを食べないのですか?」などと訊かれても、そこに理由はないだろう。「しない」というのはデフォルトの状態なのであって、特に理由がないから「しない」のだ。
・私は「なぜ○○しないのですか?」という質問をされると、毎回返答に困る。「しないというのはデフォルトの状態だからです」と回答するのが最も簡潔なのだろうけど、往々にして、質問者はその回答を理解できる知性を持ち合わせていない。
「なぜ○○しないのですか?」という質問は、価値観を押し付けるような文脈の質問だったり、あるいは「する状態がデフォルトだ」と思い込んでいる人間による質問である場合が多い。
例えば「なぜ親孝行しないのですか?」「なぜ結婚しないのですか?」「なぜテレビを観ないのですか?」など。
その様な質問をしてくる人間に対して「しないというのはデフォルトの状態だからです」という旨の回答をする場面が人生で何度かあったが、釈然としない反応をされる場合が多かった。
・ところで、生と死ではどちらがデフォルトなのだろうか。
生死を「生きる」「生きない」という言葉で表現するなら、人間は理由があるから生きるのであって、理由がなければ生きないのがデフォルトと捉えることができる。
逆に、生死を「死ぬ」「死なない」という言葉で表現するなら、人間は理由があるから死ぬのであって、理由がなければ死なないのがデフォルトと捉えることもできる。
・なんて、そんな哲学はチープだ。
・皆さんは、風邪をひかないように、湿度を高めて、厚着をして、寝る前にハチミツ入りホットミルクを飲んでストレッチをして屁こいて早寝をしてください。
・引き続き質問を募集しております。
・質問という行為のハードルとグンと上げるような日記を書いておいて、果たして気軽に質問してくれる読者はまだ残っているのか微妙な所ではありますが、募集するだけタダなので募集しておきます。
・投稿者が誰なのか推測できないような、普遍的な文体でお願いします。
・おわり