【日記2024/8/2】みらくる!ぱんぞう青い石のひみつ
・1200字弱
・買ってしまいました。
・みらくる!ぱんぞう青い石のひみつ
2004年印刷、つるおかけんじさん作の絵本。読者の年齢想定は、かいけつゾロリよりやや下くらい。
中古で1,426円で買ったのだけど、正直1,426円あったらもっと別の面白い本が買えると思う。でも今回重要なのは、ぱんぞうの唯一の書籍が「永遠に参照不可能な状態」にならなかったということだから。
ずっと前からバリューブックスに在庫が1冊だけあったけど、それは私が買ったから、もうAmazonでは手に入らない。
どうしよう、これって私の手元に置いておいていいのか? もう読んだので、バリューブックスに返した方が保存環境としてはいい気もするし、ぱんぞうの本を読みたがっている別の人のためにもなるのかもしれない(そんな人はいるのか?)。
私は、人々がぱんぞうを忘れゆくのが怖いのだ。ぱんぞうにお世話になった人は、「現在20代のパソコンオタクくん」たちを中心に、軽く百万人はいると思うのだ。小学生の頃の私も、ぱんぞうに数百時間は溶かしていると思う。
ぱんぞう、小学館のサイトにコーナーが特設されて、NHKで5分アニメ*20回分が放送されて、GBAのソフトまで発売されているのにさ、ファンアートをpixivで検索しても2件しかないだなんて、そんな悲しい話がある?
作品はいつ死ぬと思う? 人に忘れられた時さ……
世の中には、もう見ることが永遠に叶わないコンテンツががたくさんある。でもほとんどの人々はそれを意識しない。需要がないからだ。需要があるコンテンツは「見ることが永遠に叶わない状態」にはなりづらい。電子書籍化がされるかもしれないし、VHSなら誰かが勝手にYoutubeに無断転載するかもしれない。しかし、ただ忘れられ行くコンテンツはたくさんあるのだ。単行本化されていないなら尚。Flash作品なら、いとも簡単に消滅する。
私はそれが悲しくてしょうがない。それらを作っていた人は今頃、創作とは全く関係のない職業で暮らしているかもしれないけど、かつて作った作品には、確かに心血が注がれているのだ。作品は誰かの生きた証なのだ。そして一度はたくさんの人々に愛されているのだ。作品は、作られた時にだけ脈動するのではなくて、鑑賞されたときにも脈動し、呼吸をするのだ。観賞されている限り、作品は生きている。観賞する手段が全くなくなり、忘れられ行くとはどういうことか? それは、とある創作者が生きた証が一つなくなるということでもある。
私たちが、江戸時代の人々の見ていた光景を完全に再現して見ることはできないのと同様に、今から20年後に20歳を迎える人々が、私の見ていた光景を完全に再現して見ることはできない。Flashの終了に伴って数々のサイトが閉鎖したからだ。
哀しいよ……
・おわり