婚約指輪折半の話題 雑感
・2000字強
・婚約指輪折半の件をどう思うかを教えて
・く、苦しい……
・レス一覧を見てみるとわかるが、多くの日本人は、常識神を信仰する常識教徒なのである……そしてそれは一神教なのである……
・918件もついたレスを飛ばし飛ばしにいくつか読んでみたけど、誰一人として、客観的説明をしようという意志を持つ人は見受けられなかった。詭弁と感情論のオンパレードである。ついでに言うと「自分は他人とは違う切り口のレスをしよう」という意志すらないので、冗長的である。大喜利坊主のリプ欄みたいだ。
・「彼女に17万のooをプレゼントしてくれと頼まれて、折半にしてくれと言ったら、ありえないと言われ機嫌を損ねられた」というエピソード、ooの部分に何を入れても理不尽だと思うのだけど、ooが婚約指輪になった途端、文化によって正当化されるのだから怖い……
その「彼女」の部分を「彼氏」に置き換えたら成立しないもの怖い……
・本来は「貰えないのがデフォルトで、貰えると嬉しいもの」だったものが、「貰えるのがデフォルトで、貰えないと悲しいもの」になっていないか? もしそうなら、それって哀しいことじゃないか?
・私は、文化によって意味づけられた客観的な幸福でなく、自分の心の中に定義された主観的な幸福だけを追って、ノーコンテキストに生きたい……
肉を食べ、槍を投げ、太鼓を叩きたい……
・婚約指輪の件は価値観のずれによって発生したのであって、仕方のないことだと思う。
投稿者による補足からもわかるが、この人もこの人で、筋道だった価値観を持っている。
ただ婚約指輪という文化を懐疑的に思っているだけなのに、ケチだの甲斐性なしだのと蔑まれているのだ。
・はじめにだけど、「悪い」という言葉は抽象的なので悪い表現だ。私が文章を読むとき、悪いという言葉が出てくると、悪いから何? 悪いって何? というモヤが晴れない。以下の文章内に限っては、「悪い=改善すべきこと;」と定義する。
・番の間で価値観のずれが発生したとき、どちらの価値観が一般常識的に悪いことなのかを逐一決める必要はなく、譲れる方が譲ればよい。
例えば、番の一方Ⓐが一方Ⓑに対して、「異性のいる飲み会に参加しないでほしい」と思っていた場合、Ⓐが不満を我慢するか、Ⓑが異性のいる飲み会に参加するのを我慢すればよい。そして双方がどうしても譲れない場合は、折衷案を考えるか、相性がよくないので別れればよい。解決策はこの4つの他に存在しない。
そして、別れる可能性が脳裏によぎったときに初めて、「そのどちらが一般常識的に悪いのか」を決めるメリットが出てくる。
例えば、どこかでアンケートをとった結果、Ⓐの考えをおかしいと思う人が80%いたとしよう。それを知らずにⒶがⒷと別れた場合、Ⓐは次のパートナーとの相性が合う確率が、高くても20%である。パートナーリセマラ(造語)を繰り返すうちにⒶは自分の考えを改めるかもしれない。でもそれは非効率的だ。最初から「ⒶとⒷのどちらが一般常識的に悪いのか」という情報がわかっていればⒶは早々に考えを改めていて、パートナーリセマラを繰り返す必要もないのだ。
結論:「男女で価値観のずれがあったときに、一般常識的に悪いとされる方が意見を改める」という行為のメリットは、パートナーリセマラを減らせることである。そもそも、価値観のずれについて一方が我慢できるなら、一般常識を参照する必要がなく、我慢できる方が我慢すればよい。
ここから言えるのは、パートナーリセマラを行う気がない人や、行えない人、あるいは「自分は絶対に自分の価値観を変えないので、自分の価値観を受け入れてくれる人を探して交際する」という考えの人などは、一般常識を参照する必要がないということだ。
・↑自分の価値観を変えない、というと聞こえは良くないかもしれないけど、アブノーマルな性的嗜好を持っていて、それをパートナーへの絶対条件としている人はそれに当てはまったりするかもしれない。
・価値観のずれが発生していない場合も、一般常識を参照する必要がないと思う。例えば、互いに浮気を認めている番がいるとしたら、その二人においては浮気をしてもなんら問題はないと思う。婚約指輪を買わないことで互いに同意している番がいたとしても、同様である。逆に、婚約指輪を買うことで互いに同意している番がいたとしても、「男女不平等だ!」と口を挟んでいい筋合いもない。反論どうぞ。
・私はそういう考えの持ち主なので、件の「婚約指輪を折半したいと提案したら…」についたレスたちを読んで、甚く哀しい気持ちになった。
男から女に17万円の石を送る文化を懐疑的に思う価値観を尊重しないでもいい根拠は、それが文化だからとしか言いようがない……
婚約指輪がなければ発生しなかった悲しみがそこにはある。文化って、それでいいのか?
・おわり