【9/1】火ぃ通したらヒートになった
・ハッピーフィート観た
・歌劇シーンは良かったけど他はいまいち
・以下、低評価レビューを書くことになってしまうが、まあ、悪い作品の悪い点を探すのも自戒になるのだ。
・皇帝ペンギンのキャラがいっぱい出て来たけど、みんな見た目が同じで見分けがつかなかった。
・音だけバリバリ「ダンス上手いですよ」みたいなタップダンスの音が出てるけど、音と映像が全然合ってないし、音を消して視聴したらそんなにダンスが上手いわけではないのだよな。タップダンスばかりしてたけど、ダンスってもっと派手にやった方が面白くない?全編通してずっとそうだった。
・ダンスの面白さって「身体の開放」にあると思うのだけど、ペンギンって人間より体の可動域が少ないので全体的に見ていてモヤモヤするダンスだった。映画「ペンギンズ」くらい思い切ったモーションにして欲しい。
・いや待てよ。ハッピーフィートとペンギンズってそこまで体の可動域に違いがあるわけではなくて、ただタメツメ(検索してね)の有無が大きいというだけの話だな。ハッピーフィートはタメツメがなかったので、悪い意味で現実味のあるモーションだった。
・映像は現実寄りなのに設定は非現実的で、お話も現実と非現実の間を揺れていたので、どっちかに振り切って欲しかった。
・人間が豪勢なヘリコプターでペンギンを視察に来るシーンがあるのだけど、その目的が不明で、ただ「作者がその場所に人間を置いときたかったんだろうな」というご都合だけ伝わってきた。主人公が南極に戻ってこれた理由もご都合的。
・色調って大事なんだなと思った。映画「リミット」では、最初から最後まで90分くらい主人公が地中の棺桶の中にいるので映像が変わり映えしないのだけど、炎や電灯のオレンジの光、携帯の青い光、サイリウムの緑や赤の光で画面に変化をつけ、退屈を防いでいた(サイリウムというアイテムはシナリオを全く左右しないので、本当にただ色調を変えるために作者が入れたアイテムなんだと思う)。しかしハッピーフィートは前編通して青白に偏ってたので、場面が変わっても「場面が変わった気」にならなかったというのはある
・シナリオに関わってくる「ダンス反対派」の言い分が「貴様らがダンスをするから魚が減るのだ」みたいなよくわからん理屈だったのに、かなり皆から支持されていて、何故?と思った
・頑固で主人公のことを否定してくるキャラが3人?ほど出てくるのだけど、皆、なんか特に理由もなく時間経過で主人公のことを認めるようになっていって、作者のご都合を感じた。いや、きっと「主人公のダンスに感化されて心変わりする流れ」というのを描きたかったのだろうとは思うが…
・勉強になった
・「ダンス」から連想して思い出した記事がある
・明石家さんまさんについて熱く語っている記事だ。私は明石家さんまさん自体にはこれっぽっちも興味がないが、この記事は私の脳内の神棚に飾っている。
人間ぶっちゃけ普段生きててそんな大声出すことなんて無いじゃないですか。笑うにしろ怒るにしろ悲しむにしろ。
感情の動きを肉体のダイナミズムで表現する人って見てて気持ちいいし好ましいんだよね。
そこには恐らく、普段私たち自身が解き放ちきれない感情の開放がある。その開放感の肩代わりをテレビ画面を通して芸人達にしてもらってるって部分があるんじゃないかな。
・なるほど。
・画面の中のキャラが大声を出したり右へ左へ動き回ったり、ただの説明シーンでも大袈裟に身振り手振りするのを見ていて気持ちがいいのはそういうことだったんだな。
・スーパーポテトバトルの面白さも、言語化するとしたらそんな感じでしょ。会社のオフィスでジャンプして大声を上げて髪を振り乱してる人って見ていて気持ちがいいよね。
・スーパースコーンバトルも見ろ
・昔の私は、「ダンスの良さはよくわからんけど、MMDでダンス動画を作るなら、もっとダンスに適したモデルを作って使えばいいのでは?人間の体なんて体のパーツや関節とかその可動域に限りがあるんだから、もっと自由度の高いモデルを使った方が美しいダンス動画を作れるのでは?」と思っていた。
・しかし違うんだよな。ダンス動画の面白みって「身体性の開放」にあると思うので、人間が感情移入できないモデルではいけないのだ。
・おわり
・ギリギリ、ダジャレにも回文にもならなかった文章「内向的な抵抗器(ないこうてき なていこうき)」