【日記2024/7/6】なぞかけについて考える日
・2600字強
・会話を整える Kindle版
・ねづっち著。前半はなぞかけのやり方を解説し、そのメソッドを応用して後半では会話術を説いているという奇妙な本。読む前は「なぜ、なぞかけと会話術を一冊に……?」と思った。
それでは、読んでいきます……
おもしろすぎる
・第一章、例としてコーヒーだけでも9つ作ってるの、おもしろすぎる。
何者も彼に追随できない……
・TV番組「深イイ話」で知った話なんだけど、あるイベントでねづっちが、観客から「りんご」というお題を連続で出され続けるというドッキリを仕掛けられるも、6回連続で出されて6回とも見事な回答をして観客を驚かせたというエピソードがあるらしい。
(このエピソードをネットで書いてるブログは一件だけ見つかった)
カリスマだよなぁ~~~~。
・なぞかけやダジャレってあくまで即興でやってるからお見事なのであって、本や記事でやっても「そのシャレって熟考して出したんでしょ」と冷めてしまうことがよくあったのだけど、ごめん、ねづっちは違った。コーヒーだけで9個作ってくるとは思わなかった。文章上でもしっかり天才だったわ。
第一章、イマイチななぞかけとウケるなぞかけの特徴について述べている。
イマイチななぞかけの特徴(p.41~)
・ただの同音同義語であり、共通点を述べただけ。
・言葉尻が整っておらず、自然言語として不自然。
・理解するまでにワンテンポかかる。直感的でない。
ウケるなぞかけの特徴(p.45~)
・かかっている部分が複数個所ある
・ただの同音異義語でなく、「従いたくなる/舌が痛くなる」のように、区切り方が違う文章同士がかかっている。
・時事ネタをからめる。
・下ネタ。
・個人的には「時事ネタを絡める」というのが最も重要である気がしている。時事ネタというか、「今自分たちが置かれているシチュエーション」に絡めた方が自然である気がする。
本来、大衆からの注目を浴びながら「はい、今からこの人が面白いことをします!」という状況で面白いことをするのは、自然界には存在しないシチュエーションでの笑いだと思っているので、もっと、笑いが発生することを予期していない、日常生活とかで不意に発生する笑いの方が自然な笑いになると思う。そういう意味で、日常的に不意にシャレを言い出すなら、そのシチュエーション(汗をかいている/二十階建ての建物にいる/ちょっと良いごはんを食べている、など)に合わせたシャレを言った方が、すげ~となる気がしている。
第一、一般的名詞を組み合わせて、一般的によくあるシチュエーションについてかけたシャレってある程度テンプレ化して暗記問題みたいになってしまう(そして手垢がついてしまう)ので、ちょっと特殊なシチュエーションで、固有名詞も組み合わせて即興で言うシャレの方が、シャレてると思う。
・そういえば、なぞかけについてググっている最中に、大阪教育大学による研究をみかけたんだけど
なぞかけについてのアンケートを178人からとった結果、仮説①『「複数の語句が掛かっているなぞかけ」は、うまいと感じる人が多い。』仮説③『下ネタは男性の支持が集まりやすい。』という2つの仮説は当たっていたが、仮説②『「切れ目違いのなぞかけ」は、うまいと感じる人が多い。』についてはあまり当たっているとは言えないらしい。
そうなの?
・一章の最後、さすがねづっちである。私はねづっちに対して「観客からお題を貰ってなぞかけをやってたら、全く整わなくて30秒の沈黙ができてパニックになる日があったりしないの?」とよく思っていた(皆もうっすら思っていることだろう)。
でもそういう時のリスクヘッジとして、ワイルドカードのアンサーもたくさん用意してるんだね。
いま、脳内でねづっちに「クロロニトロベンゼンとかけて?」と聞いてみたんだけど、「血液とときます。その心は、どちらも蚊が食う物質(科学物質)でしょう」と返された。はぁ~~そうなのかぁ~~クロロニトロベンゼンが何かよくわからなくても行けちゃうのかぁ~~~
これはただの予想なのだけど、ねづっちが観客から「りんご」と20連続で出されるというドッキリを受けても、「りんごとかけまして、役所手続きととく、そのこころは、どちらも勘弁(簡便)にしてください」みたいなことを言って、ひとウケとりながら自然に流れを断ち切る気がする。
・本の中で、芸能生活二十数年通しての自信作を12連発している。すげ~~~サービス精神溢れてる! かかってる部分が7箇所あるネタあるやん、エグ!
・後半の会話術、あたりさわりのない、よくある会話術だった。
・読了ッ!
・ねずっちは同音異義語を得意としているけど、「ダジャレではなくて比喩表現によるなぞかけ」もあるよね。
聞いたことがあるやつだと「ミニスカートとかけて、結婚式のスピーチと解く。その心は、短いほど喜ばれる」とか「ローカル線とかけて、30代の縁談とく。その心は、一つ逃すと次がなかなかきません」「たんぽぽとかけて、おやじの頭ととく。その心は、やがて白くなって抜けていくでしょう」とか。
これに関しては、確かに面白いのだけど、どういう仕組みで面白いのかわからない。
無秩序に秩序が通っていく感じが好きなのかな。
・なんで一度謎を挟むことで面白くなるのか、よくわかっていない。なぞかけの構文は、順番を変えるだけで面白さが失われる。
「寄り道とかけます。心は、かえるとちゅうでしょう。呪いを解く方法とかけました」
「ローカル線とかけます。心は、一つ逃すと次がなかなかきません。30代の縁談とかけました」
私が日常会話でシャレを言うときも、一度謎の時間を挟んだ方がウケが良いという実感がある。
でもなんかそれって、労力がかからない割には簡単にウケがとれてしまってずるいんだよな~。
漫画における伏線もそうだ。「よし、この物語の切り札となるキャラの名前を "進撃の巨人" にしよう。タイトルもそれにするけど、しばらくそれは読者には黙っておこう」と思いつくことは全く難易度が高くないのだけど、読者は「うおおおおここでタイトル回収は熱い」と熱狂するのだ。
それでいいの? なんかチョロくない?
・なぞかけに関する考察は、今後も続けていきます。参考文献があれば教えてください。
・おわり