【日記2023/8/8】読書感想文
・2800字強
・なげ~
・シジュウカラ語研究の世界的権威とゴリラ研究の世界的権威の対談本。ゆるくわかりやすい。
・手が滑って電子書籍じゃない方を買ってしまった。物理書籍の致命的な短所は、読み返したい部分には、付箋でも貼らない限り検索ができない点だ。
二人の対談の根底には、「どういう風に世界を見ているかも、動物によって全然違うよね」という価値観があり、それについての言及もたくさんされている。
鳥は紫外線も見えてるし、GPSみたいに地磁気を感じ取れるし、チンパンジーは人間より短期記憶能力が優れてるし、コウモリはソナーで見えている世界があるし、犬は情報が嗅覚ベースである故に鏡像認識ができない。
互いの姿が見えない森で、飛行しながら情報伝達するシジュウカラは言語が発達するが、互いの姿が見えやすい場所で安定して情報伝達するカラスは、非言語的コミュニケーションの割合が大きい。
ずっと美しい文章だった。
・私は元々アニポケが若干嫌いだったのだけど、この本を読んだおかげで、アニポケがもっと嫌いになれた。アニポケのポケモンはどれも、体や性格の部分こそ個性豊かだけど、思考の根底の部分はまんま人間だ。ポケモンには人間と同じ価値観や感情があり、人間と同じ五感を持ち、人間と同じ認知能力や言語処理能力がある。
それはさておき、この本の最後らへんは特によかった。
ここ50年ほどで、ネットが急速に普及して、コロナもあって、人間は急激に独特のコミュニケーション形態になりつつある。人類がホモサピエンスに分岐したのは30~20万年前のことだ。進化ってそれくらいの規模でゆっくりするものなので、こうも急速に環境が変化してしまうと生きづらくならないだろうか、みたいなテーマの話があって、ずっと良い文章だった。ずっと良い文章だった。
あまりにも全部良い文章なので書籍の全文を引用したくなってしまう(それは剽窃です)。
・関連した別の話だけど、ゆる言語学ラジオのとある回で、「現代では、メールのレスが早い/事務作業が正確/遅刻や寝坊をしない/マルチタスクができるみたいな能力が基礎能力だとされているけど、それって本来はすっげえ局所的な能力でしかない。その局所的な能力がない人が、病気だとか無能だとか思われてるのが引っかかる」「マルチタスク能力って森では使わないですよね」みたいな話をしていて、わかる~と思った。
文明の発展の速さに人間の進化がついて来れていない。でもこの社会が数万年とか続けば、そういう事務作業能力のない人とか早起きができない人とかが淘汰されて、社会に適応できる人間になっていくのだと思う。私はどこかで淘汰されそうな側の人間だ。
・ひろゆきの配信のとある回でも「無人島に放り込まれて3か月間生き残れって言われたら、先進国の人はほぼ無理だけど、発展途上国の人だと3か月くらい何の問題もなかったりする。有能か無能かっていうのは状況とか文化によるんじゃないかなと思う」という旨の話をして、ええこと言うやんと思った。
・私は、全ての国が先進国にはならないで欲しいと思う。先進国の人間は、もはや野生では生きていけない体になっているので、文明に何か重大な欠陥が発生して、例えば火力発電が完全に使えなくなったり、全ての暗号が破られたりして、まともに文明を維持できなくなったとして、「文明の力なしでは、自分の飯を自分で用意することすらままならない、ただ事務作業能力やマルチタスク能力があるだけの人類」は生きていけるのか? やはり個人的には、ここ50年での文明の発展は速すぎて怖いので、リスクヘッジとして、発展途上国の人類には、電気を使わずに生きて行く能力を持ったままで居て欲しい。
・ #君のクイズ
・抽象的な #ネタバレ 感想
めっちゃ面白かったー!
クイズ番組で、問題がまだ1文字も読み上げられていないのに正解したことで優勝した人がいて、それを訝しんだ準優勝者がその謎を紐解いていく話。
セントラルクエスチョンにここまで引きがある小説ってなかなかないよ。「殺人が発生したが、犯人は誰なんだ?」みたいなセントラルクエスチョンとは比べ物にならないくらい興味が引かれるし、その期待を裏切らない納得のオチがある。
これはミステリ小説だと随所で紹介されているけど、情報がフェアに提示されるわけではないので狭義のミステリではないです。広義のミステリの定義で言うとONEPIECEもミステリです。
クイズプレイヤーや出題者の思考を熟知していないと描けないような、クイズという競技の特性がトリックに活きている、巧妙な作品だった。
恐山さんの日記で紹介されていたのが決め手になって購読に至ったのだけど、その日記では本の内容でなく「この文体、めっちゃ修辞技法をそぎ落として端的にプロットだけ見せていてすごい」のような旨の、文体を褒めるプレゼン文を千字以上書いていて、わかり味があった。文体も良い。
私は個人的に小説の情景描写とかレトリックのほとんどを面白く感じず、もっと「プロットを味わうための情報」の密度が濃くあって欲しいと思っているので、それ故に、大体の小説のことを面白くないと思っている。全ての小説は星新一のように端的な文体であって欲しい。
・よくわからんけど、小説家の中には「端的にプロットだけ書いてしまっては重厚感がなくて痩せた文章に見えてしまうから、贅肉をつけることで小説然とした小説にしよう」みたいな機微があるのかな。
・まだ「プロジェクト・ヘイル・メアリー」の余韻がある。
・幽霊が非科学的なのは、再現性がなく仮説検証ができないからなのであって、幽霊に再現性があって仮説検証ができるなら幽霊は科学的である。その意味で、プロジェクト・ヘイル・メアリーは非幽霊的(?)なフィクションだった。作中では、作者の考えたオリジナルチート生物についての話をずっとしているのだけど、それが面白い理由はやはり、その生物の特性には再現性があり、仮説検証を繰り返すうちにその生物に関する体系だった知識が増えて行き、それを応用することで問題解決につながるからだ。そうでなかったら、ただオリジナルチート生物の設定を聞かされても面白くなかったはずだ。
フィクションってフィクションなのになぜ面白いのか、というテーマの長文を書いあと、メモ帳に移行させました。
・おわり