【日記2022/12/9】直線引くのに超苦戦
・2800字弱
・日記を、書いて行きます。徒然と、つらつらと、大胆不敵に、そして優雅に書いていきます。
劇団四季によるミュージカル「アラジン」を見て来た
・劇、興味はあるけどお高いな……と思っていたのだけど、友人に引きずられて観に行った。よかった。
・会場はめっちゃ女性客の比率が高くて、トイレも女性用と男性用で規模が違ってて、すげっと思った。男性客について観察していると、マジで例外なく全員が女性と来ていて、ソロ男性がいなかった。(←いるだろ)
直感的に考えて、観劇というエンターテイメントは性別問わず楽しめそうなものなのに、なんでだろうね。
・もぐぐうままは「声優で観るアニメを決める」とか「俳優で観る映画を決める」という思考原理に共感ができなかった人間なんだけど、それがちょっと共感できるようになった。
このアラジンもジーニーも、劇が終われば飯食って屁こいて寝る人間なのだなという重みがあって、質量~~! と思った。
性差別と思われたらごめんなんだけど、確かにコレを女性が好んで見るのはわかるなと思った。劇はキャラに質量を感じるという点において映画より優れているけど、逆に言えばそれ以外の点においては劇より実写映画の方が表現の自由度も高かったり、自宅で観れたり、価格も安かったりと優れている。アラジンには実写映画もアニメもあるのに、あえて劇という媒体を好む人に女性が多いのは、なんかわかるな。
私の知り合いに観劇が趣味の人間が3人ほどいるけど、3人とも他人の人間関係を安全圏から観察するのが好きな性格みたいな所があるな。
・媒体の話だけど、「劇」が「実写映画」と明確に違う強みは、質量のあるナマの人間が、なにも遮るものがないマジの目前で演じているという点にある。
映画を観ていても「まぁ録りなおしを何度もした上でのこのアクションをこなしているのだろうし、CGも使ってるかもな」という前提があるので、どんなアクションが発生しても驚くことがない。
実写映画と違って、録りなおしも効かない、CGも使えない、背景も凝れない「劇」という媒体でできることはせいぜいこのくらいのことだろう、という先入観を持って鑑賞していた分、その先入観を上回る舞台装置やアクションが出てくると、すげ~~となった。
・手品、いいな。
もともと私は「手品というエンターテイメントって、手品単体で楽しむより、他のエンターテイメントと組み合わせたときに真価を発揮するのではないか?」と漠然と思っていた。
だって「今から意外なことが起きますよ」と言われて意外なことが起きても、その意外って想定内の意外だよなと思っていた。
劇で、魔法を表現するのに手品が使われていたのは、美しいと思ったね。手品はすごいのだけど、あくまでその手品はお話を引き立てるための道具なのだ。そこにはタネも仕掛けもなくて、ただ魔法があるだけだ。
・媒体への感想ばかりになってしまったな。
アラジンの感想になるけど、「ジャファーさんがエロい」の一言に尽きる。良いシーンは色々あったけど、見終わって帰りの電車で考えていた感想の8割は「ジャファーさんがエロい」だったな。
・公式があんまりジャファーさんの高解像度写真をネットに上げてくれていないな。
・日によって誰がジャファーさんを演じてるか違うのだろうけど、いや~エロかったなあのジャファーさんは。
歩き方や所作だけで地位の高い悪人っぷりが伝わってきてすげえなと思った。おれが同じコスプレをして同じセリフを読んでもジャファーになれるというわけではなくて、あの振る舞い含めてジャファーさんなんだよね。
・アラジンを説得しようとするシーンからシームレスにミュージカルに突入する瞬間とか良かったな。「ハイ、今から音楽流しますよ」というタイミングがなくて、気づいたら曲の中にいたな。
・「ダイヤの原石」という曲、ジャファーさんが相手の顔色を窺いながら話術巧みにゴマをするようなシーンで流れるタンゴ調(?)の曲なのだけど、しとやかにエロかったな。それまで派手で大声な歌が多かったので、余計にしとやかな曲に思えた。
・作曲において、低音と高音を埋めることが大事なのだとネットで耳にしたことがある。低いベースの上で高いピアノが跳ねるような曲というのは美しい。それは歌においても同じで、高い声+低い声というのはバランスがよくて美しい。
「ダイヤの原石」という曲は、ジャファーさんの低い声とイアーゴの高い声がハモってて、「あえ~~~~」となった。
・皆さんも観るといいと思います。
・さて、恒例の質問返しコーナーをやっていきます。
食べるのが好きな肉とは書かれてないので加工方法が好きなお肉を答えますが、ミンチとか成型ステーキが好きです。屑肉という不揃いな肉が、ミンチや成形ステーキという揃った形にされていく様は美しいですね。ちなみに好きな木材はおがくずです。燃料になるのが美しいですね。
・過去の日記で触れたことがあります。と言おうと思って検索をかけたけどなかった。これについては色々考えたけどそれらしい結論が出ていません。
・「母国を応援したいという価値観の持ち主」が、その理由を言語化してくれればてっとり早いのだけど、なかなかそういう人はいませんナ。
・理由を3つほど考えました。
1.哺乳類が群れで行動するにあたって、群れの内部の同種を味方だと認識し、群れの外部の同種を敵だと認識した方が生存に有利だったから。そのなごり。
2.「勝負を鑑賞するにあたって、誰でもいいから誰かに感情移入して、そいつが勝ったか負けたかに注目しないと熱くなれない」という価値観が前提にあって、感情移入する先が誰でもいいなら、特に拘りもないし母国かなという程度の理由。
3.自分と近い遺伝子の持ち主(→母国のサッカー選手)が、自分とは遠い遺伝子の持ち主(他国のサッカー選手)に勝利するということは即ち、自分の遺伝子が優れているということを象徴するからなのではないか。
例えば、「日本人の遺伝子を持っていないけど日本国籍の強いサッカー選手」がいたとき、仮にその人が日本代表でワールドカップに出場したら、怒る人は怒るのではないか。
・マ、なんにせよ、帰属意識の強い人は、それ以外のどこかしらの点において私と会わない場合が多いです。
特に「ラグビーで日本が優勝しそうと聞いた途端に、それまで興味もなかったラグビーに急に興味を持って、ルールも知らないままラグビーの動向を追う人間」なんかは、それ以外のどこかしらの点において私と著しく合わない場合が多いです。
(また読者を選別するような発言をしてる)
(ダメなんだよ、そういうことを書いちゃあ)
うせ!
・引き続き質問を募集しております。
・投稿者が誰なのか推測できないような、普遍的な文体でお願いします。
・次回はとあるゲームのレビューをします
・おわり