「推しの結婚」の衝撃の正体について考える

なぜ推しの結婚報道に心をかき乱されるのだろう。


あの5月からずっと考えていました。


そもそも以前から、推しには幸せになってほしいし、いい人が見つかって結婚したらいいな、とは漠然と思っていました。(急速に変わる価値観の昨今、幸せになる=結婚とかいう考え方すらも今現在から考えるとヤベーなとは思うのですが、まあそれくらい前に思っていたと察してください)


それなのに。
いざ結婚報道をされると動揺し、ショックを受けてしまう。

別に自分が結婚したかったとか思っているわけではないのです。


以前書いた記事でも少し触れましたが、プライベートな情報はそのアーティスト・俳優の表現を受け取る際に不要だし、雑念が入るので、普段から交際報道や本人の言葉で語られないプライベートな部分(週刊誌の記事など)についてはあまり耳に入れないようにしていました。


それがね、こと「結婚」となると、暴力的に目に、耳に、飛び込んでくるのです。うわー!


でもわたしが嫌なのは結婚をしたという事実ではなくて、その人の作品や表現を受け取る際に、素直に表現だけを受け取れないこと、言葉を言葉通り受け取れず、その裏を邪推というか想像・妄想してしまって余計なことを考えてしまうことが嫌なんだと思うのです。
これは、わたしが特に先入観が入りやすいタイプというのを自覚しているからかもしれないです。


ところで先日、会社の後輩くんが社内の新人の〇〇さんと付き合っているという話を同僚から聞いて、その時も似たような衝撃を受けました。

別に彼は推しではないです。

ただ、「彼女いねー」とボヤいていた頃しか知らなかったし、仕事では彼とよく話すので、急な展開にびっくりしたと共に、休みを合わせているようだとか聞くと、どこか行くのかなとか、仕事後とか会ってるのかなとか、この前の休みに出かけたと言ってたのは彼女とのデートだったのかとか、それまで思ってもいなかった雑念が自分の中に芽生えてびっくりしました。


わたしは会社でも噂話をあまり耳に入れないようにしています。
一度誰かから悪口を聞いたりすると、自分が体験したわけでもないのにそういう悪い人だと先入観を持って接してしまうので(とてもよくないと自覚しているけどどうしても影響されてしまう)、あえて色々な噂話には触れないよう行動しているのです。

で、今回、悪口ではないもののプライベートな情報を聞いてしまって、やっぱり行動に影響が出ました。


だから。
誰かと仕事をする時、誰かの作品を受け取る時、本人から聞かされたわけではないプライベートなことや噂話は聞きたくないし、聞いてしまったら、忘れたい!と思います。



あとなんか、この2例についてじっくり考えたのですが、この衝撃の正体は「自分の知らない側面があるのだと、思い知らされること」なのだと思います。


推しについてインタビューもいっぱい読んで、考え方も知って、その人を知った気になったけれど、結婚に至るほどの色々がそれまでにあったんだと、全く知らない側面を持っていたということを分からされて、それがちょっと寂しい。

そうだ、推しは神でも偶像でもアーティストという人種でもなく、1人の人間だったんだと。知ってたようで知らなかったと、思い知らされる。

でもそれでいい。全部を見せなくていいし、私たちが知らないことをいっぱい抱えてて欲しい。
推しには、あえて言わなくてもいいプライベートなことを、ファンに気を遣って言わせてしまった。ありがたい。申し訳ない。勝手に幸せにもなってて欲しい。


後輩の彼も、会社にいる彼だけではなく、見えない部分も存在する1人の人間だったのです。普段の会話から、勝手な枠をはめて見ていました。よくない。反省。



…まあなんとなく、1、2ヶ月くらいすると、その人を見てそこ(結婚)だけを思い浮かべることもなくなるので、わたしはある意味「忘れる」ことには成功しているのかもなー!



とにかく、あなたが幸せでいて欲しい。

ただ幸せが1日でも多くそばにありますようにと、願わずにいられないのです。

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