ドナドナドーナ
以前、前歯が曲がっているコンプレックスを述べたが、わたしには他にもコンプレックスがある。
前歯は、口を開けなければ分からないし、マスクをすれば完全に見えない。
わたしには隠したくても隠せないコンプレックスがある。顔に。しかも顔の真ん中に。
わたしの顔の真ん中には、黒黒していて、ぷっくりと膨らんだ生きボクロがある。これが結構な存在感なのだ。
顔の真ん中。両目の間。鼻の付け根にある。
この世に生まれ堕ちた瞬間からある。
「あら~!顔の真ん中にホクロ!これは食いっぱぐれないホクロだから取っちゃダメよ~!」と、生まれたてほやほやのわたしを取り上げた先生が言っていたらしい。自我が芽生えたあとに小児科へ行ったときにも、また別の先生から「これは食いっぱぐれないホクロだし、急所だから取っちゃダメだよ」と諭されたこともある。
"いいもの"だとされているわたしのホクロ。
けれど多感な年頃には、からかいの的になったのは言うまでもない。
初対面の相手には「ホクロ、生まれつき?」とだいたい聞かれたし(わたし自身が子どもだったので聞きやすかったのだろう)、友人にはホクロを押して遊ばれた記憶が残っている。
小学校中学年の頃、スイミングスクールへ通っていて、風邪で休んだ振替として違う曜日に行かなくてはならなくなった。
いつもは土曜日なのだが、水曜日だか木曜日だかに送迎のバスにゆらゆら揺られ、人見知りのわたしは、友達のいないスイミングスクールへ行くのを憂鬱に思い、心持ちはまるで売られていく子牛のようであった。
スイミングスクールに到着して、透明な殻に守られているかのように、誰とも話すことなく水着に着替え、準備体操をする部屋へ移った。
水着のため空気に触れる肌の面積が多いからから、奇妙な空気が充満しているのをひしひしと感じずにはいられなかった。
「だれ?あの子」
「知ってる?」
「違う曜日の子かなあ?」
ひそひそ話は、鋭い角度で人と人の間を縫うように、わたしの耳へ届く。
だって、風邪ひいちゃったんだもん。
お金が勿体ないから振替に行けってママに言われたんだもん。
周りの人間に、自分に、心の中で言い訳をする。
「こいつ、鼻のとこにでっかいホクロあるぞー!!」
酸素がなくなったのかと思った。
2つくらい年下に見える少年の人差し指が、わたしに向けられていた。
右手人差し指だったので、彼はきっと右利きだ。
いい獲物を見つけた、と顔に書いてあった。
「うーわ、ホクロ!でっかいホクロ!」
「押し潰したら何か出てくるんじゃねーの?!」
「でっかい鼻くそみたいだなー!」
男の子の声が響き、周りの子どもたち20人程は、「標的になって可哀想」という同情を含んでわたしをじっと見つめていた。
わたしは体育座りをした足元へ顔を埋め、男の子が飽きるのを待つしかなかった。視界が水分を帯びて滲んでいた。
あれから20年は経ったが、眼鏡をかけても、マスクをしても、お化粧をしてもやはり隠せない。
成長と共に小さくなることも、萎むこともなかった。
今もわたしの顔の真ん中に鎮座しているホクロ。
これさえ無ければ、わたしはもっと、もっと、可愛かったんじゃないかと、化粧後の自分を見て、何度悔やんだか分からない。
せめてぺったんこのホクロだったなら。
せめて肌の色と同じ色のホクロだったなら。
化粧の練習をしてどれだけ上手になっても、ワクワクしながら新しい化粧品を試しても、ホクロによって努力が台無しになっている気がしてならない。
けれど今のところ、食いっぱぐれた経験はない。
このホクロのおかげなのかもしれない。
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