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#06憶えてないから、一から始めよう(梅木春幸)
奈良市の漢國神社の神主(禰宜)である梅木春幸さんにインタビューしました。私とは同世代であり、共に二児の父で家族ぐるみの付き合いですが、普段は与太話しかしない仲。東京のベッドタウンのサラリーマン家庭の子である私や青木真兵君とはある種対照的な、奈良の神社の子である彼は、何を感じて同時代を生きてきたのでしょうか。
網戸越しに見る
茂木 梅さんは1981年生まれで、生まれも育ちも奈良市ですね。いちばん古い記憶ってなんでしょう?
梅木 なんかこう、家に網戸があって、その網越しに見える外の景色をやたら覚えてんねんな。
茂木 あー、なんかわかる。うちの網戸は緑色だったんだけど、その緑越しに外を見てたの覚えてるな。何を見てたってこともないと思うんだけど。
梅木 そうそう、そんな感じ。茂木ちゃんは?
茂木 おれはね、片手を床につけて、それを軸にしてぐるぐる回ってたのが最初の記憶。3歳ぐらいだと思う。
梅木 なにしとったんやろなあ。
茂木 なにをしてたんでしょうね。
神社の長男、絶望の10代
茂木 古い神社の家に生まれて、小さい頃はそのことをどう思ってましたか?
梅木 嫌やったよ。めちゃめちゃ嫌やった。
茂木 継ぐということはぜんぜんイメージしてなかった?
梅木 うん、ぜんぜん。ガム屋さんになりたかってん。
茂木 ガム屋さん?
梅木 幼稚園で将来なりたいものを絵とともに発表するみたいなのがあって。ノンタンの風船ガムみたいな絵本があったんやけど、それ見てガム屋さんになりたいと思って、ガム屋さんて書いてん。でも神社をしなあかんのやろなあと思うとめちゃめちゃ嫌やって。
茂木 まあそうでなくてもガム屋さんにはならなかっただろうけどね。
梅木 あと父親が高校の教師で、平日は教師の仕事、土日は部活か神社だから、ぜんぜん遊んでもらったことなくて。他の子は映画とか遊園地とか連れていってもらってるのにぜんぜんなくて、神社嫌やなあって。
茂木 その後も中学高校とずーっと嫌だった?
梅木 嫌やった。ぜんぜん継ぐ気はなかった。でも継がなあかんのやろうなというのはなんとなくあって…
茂木 これをやりたいっていうものはなかったの?
梅木 中学のときは芸人になりたかった。
茂木 あ、そうなんだ。すごいしんどくて身体もおかしくなってたときにお笑いに救われたって言ってたけど、それはこの頃?
梅木 そうそう。中二のときにおじいちゃんが死んで。そのときよく知らん親戚のおっちゃんから、「お前が継がなあかんのやからな、わかっとんな?」みたいなことをめっちゃきつい感じで言われて。
茂木 これはきつい。
梅木 じいちゃんが死んだことでも、人って死んだあとどこ行くねやろとかウワーっと考えて気持ちがギューってなってて、そこへそんなこと言われたから絶望的な気分になって。それからお腹痛くなったり吐き気がするようになってさ。そのときにG★MENSのコントをテレビで見てワーっと笑って、そしたら治ってん。シンドバットってコンビも好きで、そんなの見てたらしばらくお腹痛いのとかなくなった。
茂木 じゃあそのへんの芸人さんに憧れて芸人目指した?
梅木 うん、中学出たらNSC入るつもりだった。高校行かんつもりやからぜんぜん勉強してなくて、親もなんでこの子はこんなに成績悪いんやろって。通知表が中三の二学期で国語以外は2やったんちゃうかな。
茂木 勉強してないなあ。
梅木 そんで親にNSC行きたいって言ったんやけど、いいわけないやろって。
茂木 (笑)
梅木 頭おかしいんかみたいな感じで、誰も許してくれへんの。そんで、嘘やろ高校いかなあかんの?ってなって。塾とか行ってみるけどぜんぜん成績上がらんの。で大阪でいちばんアホな私立のマンモス男子校に専願で入って。卒業生が間寛平と板尾創路。
茂木 エリート校だ。
梅木 そんなとこだからみんなアホなことばっか話して笑ってて、そんでちょっと気が楽になったんやけど。
茂木 そのときも芸人になろうとは思ってた?
梅木 うん、自分の部屋でネタ書いたりしてた。でも全然おもんないの。
茂木 (笑)
梅木 パクリかほんまに意味わからんこと言ってるだけみたいな感じで。生徒手帳の自由ページとかに書いててんけど。
茂木 生徒手帳、アホっぽいねえ。
梅木 もう絶望して。ほんでまあ大学に行くねん、おもろいやつ探そうと思って。
茂木 あ、そういう目的で。
梅木 そしたらほんまにおもろいやつ見つかって。しゃべる言葉ぜんぶおもろいの。こいつと組んだら絶対いけると思って。で卒業の前に一緒に吉本行こうって言ったら絶対いややって。
茂木 (笑)
梅木 おれらぐらいのおもしろさのやつはごまんといる、その中で飛び抜けたやつらだけが残っていく世界なんだから絶対無理やと。
茂木 ものすごい冷静だ。
梅木 おれらそんな下の方なんか、って絶望して。
茂木 よく絶望してるなあ。
梅木 そこで唯一の夢が途絶えたからどないしよ、もうなんもないなって。それからはバンド組んだりとか、なんかフラフラしてたな。
神道は知らんけどみんなの場所として
茂木 神社のことはまだ考えなかった?
梅木 うん、継がんでええもんやと思ってたから。でも27歳ぐらいのときに、ずっと実家にいたから、親が年老いていくのを見てこれはアカンのちゃうかと思いだして。家を潰したらアカンなって。
茂木 そういう感覚はあったんだね。
梅木 そんで資格取りにいって。それでもまだ、誰かが継いでくれて俺は補佐でええみたいに思ってたんだけど、そんなことありえへんことも薄々わかってて。そこをちょっとずつ、30代を全部かけて受け入れていった感じやなあ。
茂木 古い神社の子でも、継がないっていう人もいるの?
梅木 いるいる。食っていかれへんから。
茂木 あなたブックオフのバイトとかしてるもんね。発掘現場とかも。
梅木 うちはそうでもないけど、家族と過ごす時間がない人も多いだろうし。365日営業みたいなもんやし、副業もせなあかんし。
茂木 子どものときはそれで辛かったんだもんね。
梅木 だからなんとなくやってて…今は、家族とか友達が帰ってくる場所として神社を残しときたいって気持ちはあるな。20代の終わり頃にみんなで集まって鍋とかよくやってて。姉ちゃんと弟も好きなように生きてるんやけど、帰ってこれる場所としてあったらええかな。そう思い出したのが30代後半。
茂木 それまでは本当に後ろ向きに鬱々とやってた?
梅木 うん、嫌やなあとしか思ってなかった。家族もできて、そんなこと言っててもなあみたいなのもあって、やっとなんとか…
茂木 神道自体への関心は…
梅木 ない。
茂木 即答だ(笑)今でも?
梅木 今でも浅いんちゃうかな、他の人より。
茂木 あくまで職業としてって感じ?
梅木 うーん、でもやるからには生半可な気持ちでやりたくはないから。
茂木 基本的に真面目だもんね。だからしんどかったんだろうけど。
梅木 やっと最近、今年の秋ぐらいから、その頃春日大社の手伝いに行かせてもらったんやけど、それぐらいから神社の仕事がしっくりきはじめて。仕事の話がきたら、おおやるやる!みたいな。なんでかわからんのやけど。
ファンタジーの中に住みたい
梅木 時代的に、今でこそ神社って言ったらおおーって感じあるけど、あの頃はぜんぜんで。誰が来るんやろこんなとこって思ってたな。
茂木 お寺と比べても神社は影が薄い感じはあるよね。
梅木 お寺はキャッチーやった。
茂木 仏教ブームってけっこう繰り返されてるし。
梅木 神社ブームはなかったなあ。『天地無用!』ぐらいかな。
茂木 あれって神社の話だっけ?
梅木 うん、ほんとにあれぐらいしかない。お寺はいろんな題材になってるけど。
茂木 子どもの頃は近所でも神社の子っていう扱いをされてたのかな?
梅木 そうやね、悪さとかしたくなかったな。すぐバレるから。
茂木 友達からもそういう目で見られてた?
梅木 それはなかったな。なんかでも、同級生おもんないなあって思ってた。
茂木 あー、そういう視点もあったんだ。
梅木 ほんまに人嫌いやったから。なんで遊びに来んねんとか思ってた。
茂木 そこまで引いて見てたか(笑)なにしろ近所付き合いは濃かったんだろうね。
梅木 濃い濃い濃い。濃い。ぬかるみの中にはまってる感じ、ずっと。年取ってきたら楽しめるようになってきたけど。
茂木 俯瞰できるようになってきた?
梅木 うん、落語的に見るというか。でもやっぱり子どもの頃はしんどくて、ずべずべな付き合いの世界に対して潔癖症みたいになってて。なんかアニメとか好きだったのって、その世界に住みたかってん。
茂木 あー、わかるなあ。
梅木 世の中の汚いことがみんな嫌やって。いろんな事件とかも、身の周りでいじめもあったし。神戸の震災もあって。
茂木 おれも『スレイヤーズ』の世界に住みたいと思ってた。
梅木 下町とか人情とかも大嫌いで。極端に避けててん。寅さんも嫌いやし落語も嫌いやし。特に上方落語が嫌いやった、ベーベーベーベーしゃべりやがって。
茂木 (笑)
梅木 特撮も嫌いやったな。あれは現実やから。
茂木 あー、それもわかる。お笑いはおれも、最初はスタイリッシュなコントが好きだったな。ラーメンズとかバカリズムとか。
梅木 バナナマンとおぎやはぎの『EPOCH TV SQUARE』ってあったよな。
茂木 CSでやってたやつね。マンションの部屋っていうワンシチュエーションで毎回コントする。おれも大好きだったよ。
梅木 ああいう世界に住みたいと思っててん。ああいうネタを作りたいんじゃなくて、あの部屋に住みたかった。
茂木 今は江戸落語が好きだよね?
梅木 それはファンタジーの世界から現実に戻ってきてから出会ったんよな。戻ってきたらより濃い人情味がほしくなって。今もそれが続いてるけど。でも江戸落語はファンタジーとしても好きやな。あの世界に住みたい。
テレビとラジオが濃かった
梅木 江戸だけじゃなくて今の東京の笑いにも憧れみたいなのがあるかもな。
茂木 爆笑問題も好きだもんね。
梅木 そうそう、ラジオも太田さんの本もめっちゃ好きやね。
茂木 おれは逆に関西を知らないから、憧れと怖れみたいなものがあるな。いま関西のテレビ見ても独特だなって思う。深夜のテレビとか見てた?
梅木 いつ頃やったかな、ヨーロッパ企画って劇団と芸人がコントやる番組があって、めちゃくちゃおもろかったなあ。
茂木 ヨーロッパ企画ね、おれが舞台やってた頃に東京に出てきて、彗星のごとく現れたって感じだったな。
梅木 90年代のテレビってけっこうめちゃくちゃやっとったよなあ。
茂木 そうだね、エロとかも思い返すと信じられないぐらいえげつなくてアホなことやってた。
梅木 お笑いもほんまに尖ったことやってた気がするわ。あとオカルトも好きやった。『サイキック青年団』てラジオめっちゃ聴いてたな。
茂木 おれはオカルトは通ってないな。
梅木 ラジオでやる怖い話とかほんまにめっちゃ怖くてさ。なんとかって言葉を聞いたら老婆が殺しに来るみたいな話があって、もう夜寝たら逃げられへんと思うんやけど親には言えへんし、おれが起きてるしかないと思って寝れへんかった。
茂木 今はそういうのに対してネットでいろんなつっこみを書かれちゃうからね。出典とかも出ちゃったりして。
梅木 そうやね、なんか不気味なものがぜんぜんなくなってもうたな。
茂木 テレビやラジオは90年代後半になると急激に自主規制が強くなって、無難なことばっかりやるようになっていったと思うんだよ。バブル崩壊した80年代末ぐらいから、本格的に社会が行き詰まった感じになる95年ぐらいまでの、その谷間の時期がおもしろかったんじゃないかな。
梅木 あー、そうかもしれんね。
茂木 野球中継なんかも、日本テレビ系列だと露骨に巨人贔屓の実況するんだよ。打たれると「無常にも打球はスタンドへ消えたー!マウンドでうなだれる桑田!」みたいな。
梅木 今は一応フェアな感じでやるもんなあ。
アダプターを舐める
茂木 ファミコンはやってた?
梅木 やってたやってた、『ファイヤープロレスリング』ばっかりやってたわ。あと『ダブルドラゴン』ってゲームがめっちゃ好きやって。Ⅱが出たときに、お金なくて買えへんねんけどとりあえずお店に見に行ってさ。あったんやけど、店員さんがいるカウンターの後ろの棚に置いてあって。パッケージ見たら主人公の足が蜘蛛みたいになってんのよ。
茂木 蜘蛛?主人公は人間だよね?
梅木 普通の人やねん。いや普通かどうかわからんけど人間やねん。それが蜘蛛みたいな足になってて、気持ち悪っ!と思ってもうやりたくもなくなってきて。あとでわかったんやけど、パッケージの下のほうが棚の陰になってよく見えなくて、背景の柵みたいなのが足に見えてたんやな。
茂木 よくわからんけど、お金ないのにただゲームの箱を見に行くっていうのも、店員さんの後ろの棚にあってよく見えないっていうのも、当時の感じだなあ。あの頃のファミコンは抱き合わせ販売あったよね。
梅木 あったなー。ドラクエとか絶対抱き合わせやねんな。
茂木 今は禁止されてるし、いくらなんでもそりゃだめでしょと思うけど、当時はそういうもんだと思ってたな。
梅木 プラモとかも抱き合わせあったね。
茂木 これは伊集院光さんがラジオで言ってたんだけど、抱き合わせにも良心的なのとひどいのがあったと。いちばん良かったのはガンダムとザク。ザクはまあジオラマ作るなら何体いてもいい。次は1/100ガンダムと1/255ホワイトベース。縮尺が違うから同じジオラマには入れられない。最後はガンダムと姫路城。
梅木 ガンダムの背景に城!
茂木 もう縮尺とかの問題でもない。最後の店は後に潰れたんだって。
梅木 正直な商売してるとこが生き残るんや。ええ話やなあ。
茂木 まあ抱き合わせ自体が今の感覚で言うとまともじゃないんだけど。でもなんとなくそれで許されてたのも、許容する余裕があの時代にあったんだなーと思うな。
梅木 あ、ファミコンに戻るけど、アダプターあるやん?
茂木 電源取るACアダプターね。
梅木 あれを舐めとったんよな。
茂木 あ、おれも舐めたことある!
梅木 ほんま?なんか舐めたらどんな感じなんやろと思って。
茂木 おれも、なんでだか舐めてみたくなって、コンセントに挿すところをペロっと。普通に金属の味だったと思うけど。
梅木 あ、そっちか。おれはコンセントに挿した状態で、ファミコンに挿すとこを…
茂木 え、そっち?危なくない?
梅木 なんかビリってなった。
茂木 ごめん、同じだと思ったけどだいぶ違うわ。
グツグツをたれ流し
茂木 なんかグツグツしてるけど何したらいいかわからなかった10代っていうことだけど、お笑い見る以外には何かしてた?
梅木 中学のときは身体鍛えてたな。ヨーグルトとかプロテインとか食べて、当時はまだあんまり知られてなかったチューブトレーニングとかやって。
茂木 本格的だ。
梅木 パンクラスの食事法とか取り入れてな。鍛えて何をするでもないんやけど。
茂木 ただ鍛えてるんだ、ピュアに。
梅木 中学はサッカー部やってんけど、3年間幽霊部員で。試合が嫌やったから。
茂木 試合が?
梅木 ラフプレーが散見されるスタイルやって。
茂木 ガラ悪い学校だったんだ。
梅木 サッカーてこんなかと思ったら嫌になって。あと目が悪くなってきて、でもメガネはダサいと思ってたからかけてなくて、見えへんから適当に蹴ってたらパスが敵に渡ったりして。もう試合は嫌やってなった。でも練習は皆勤。
茂木 メガネはかけないし試合はボイコットするのに練習は皆勤なんだ。やっぱり変に真面目な感じあるよね。青木真兵君は逆に試合だけ行ってたらしいけど、対照的だなあ。
梅木 卒業するときユニフォーム着て写真取るんやけど、試合出てないから俺だけ持ってなくて後輩から借りて。こんなやつ初めてやって言われた。
茂木 鍛えてたのがサッカーに活かされることもなく。ただただ鍛えてたのって、とにかく何かがグツグツしてて、それを発散したかったんだろうね。
梅木 ほどほどでやめられへんのよな。なんかもうたれ流しやねん、べべーっと。
茂木 やり場がないものをただ出すしかないんだよね、べべーっと。
子どもと一緒に一から始める
梅木 でもほんまに一つ言えるのは、俺記憶がまじでなくて。30代の後半までの。
茂木 いま話したことで全部ぐらいの感じ?
梅木 ほんまにそう。それでさえうろ覚え。たしかそうやったかなぐらいの。
茂木 結婚ぐらいからやっと自分の人生になってきた感じかな?
梅木 そうやな。だからだいたいマイナス10年で考えてんねん。人が20代でいろんなことして楽しかったっていうのが30代で来て、30代で落ち着いてっていうのが40代で来て。
茂木 それは俺もそうだな。10代のわけわからん、ただやみくも感じが30過ぎまで続いてたから。それまでのことってなんだったんやろって感じ。
梅木 何かがたぎってたんやろな。なんかもっと楽しくなりたいって思ってるのかもなあ。見方ひとつでなんでもぜんぜん変わるやんか。
茂木 そうだね、ほんとそれが全てと言ってもいいぐらい。
梅木 子どものいる知り合いがさ、自分は子どもの頃にこういうことしてもらって嬉しかったから自分の子にもやってあげるんだって言うんやけど、おれ自分がしてもらわなくて嬉しかったこと一切思い出せへんねん。
茂木 あー、おれもおれも。しんどいことはいっぱい思い出せるけどね。
梅木 だからまっさらな状態から始めるしかないよな。
茂木 子どもと一緒に一からね。なにが楽しいかやってみよ、って。父ちゃんもわからんから、一緒に探すしかないね。