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「パズドラ」とスクールカースト~スマホネイティブ第一世代の葛藤①~


 僕らの根底にある、同調圧力への適合本能や、それができない人への差別意識、そして陰陽二元論(世の中は陽キャの下に陰キャが置かれているという平成的価値観)…。それらを潜在的に形成したのは、もちろんあの放課後の、通学路の、帰りの電車の、部室の、休み時間の、それらの経験の積み重ねである。

 あの頃の僕らは何を考えていたのか。何に優越感を感じ、何に劣等感を覚えていたのか。そんな昔のことは思い出せないか?嘘をつけ。忘れたいだけだ。だって、あの時は、スポーツなりアイドルなりの女性有名人の容姿に、本当は興味もないのにケチをつけたり、かわいいと持ち上げてみたり、そんな世界についていくことだけだったじゃないか。それを無視していたとしても、きっと無視することに使ったエネルギーが、お前のバイアスを形成しているだろうが。違うと言い切れるなら、君が、君の環境が中心からズレていただけだろう。(共学であれば、性別や世代と問わず本質は変わらないんじゃないだろうか)

 このリベラル社会を当然のように内面化したと思い込む、僕らの根底にある欺瞞の正体は、あの頃にある。残念ながら、目を背けることはできない。

 本題に入ろう。2010年代前半。まだ、大衆はアルゴリズムによって細分化されきっていなかった。スクールカーストは、明らかに存在していた。サッカー部は、野球部は、バスケ部は、その所属だけで一定の存在感を保証された。そういったコミュニティには、共通言語がある。民族が言語で団結するように。つまり、よくある身内ノリというやつだ。
 明確に存在していた“それ”を越境し、分断を生み、統合する存在が、デジタル社会の到来を予言する様に、生まれたのを覚えているだろうか。


『PUZZLE&DRAGONS』だ。



パズル&ドラゴンズは、2012年よりガンホー・オンライン・エンターテイメントから配信されているiOS・Android・Fireタブレット用ゲームアプリ。略称は『パズドラ』。基本プレイ無料でアイテム課金が存在する。

 みんなパズドラの話をしていた。僕たちには誰も内実がなかったから。島田紳助が引退し、地デジ化が完了し、テレビは共通の話題としての地位を失いつつあった。「20世紀後半型の中高生のコミュニケーション」は終わったことが、暴かれつつあった。

 僕らはコミュニケーションの指針を失いつつあった。ポケモン?野球?モンハン?…そんなのは古いし、みんながみんな好きなものじゃないよね。じゃあ、どうするの?そんな問いに、回答がもたらされた日を、明確に記憶している人は誰もいない。昭和初期の日本で、ファシズムの靴音が、ゆっくりと聞こえてきたように、あの流行はいつの間にか到来していた。

 誰かが言った。「パズドラ、フレンド登録しようよ」。


 自分の学校で、それを最初に言った記憶がある人間は皆無だ。誰が火をつけたかも、誰に火をつけられたかも知らないまま、それは僕らの可処分時間を根こそぎ奪っていった。

 僕らは、パズドラに熱中していたのだろうか?違う。みんながやっていたから、話題を合わせるために始めただけだ。ヘビーユーザーになっていた人もいるだろう。しかし、みんながやっていないゲームだったら、そこまでの時間をつぎ込んではいない。別にこれはつまらない普遍的な事だ。みんながやっているから優劣がつく。その優になりたくて、「熱中しているつもり」になるという陳腐な話。

 パズドラは、全ての人に門戸が開かれていた“ように”見えた。だって、不細工でも、コミュ障でも、運動部じゃなくて、パズドラの話には入れたから。



 そう、iPhoneならね。


 サッカー部の帰り道は、どこまでクエストが進んだかの話で持ちきりになった。野球部の部室は、どいつもこいつもフレンド登録済だった。

 インターネットの普及と、マスメディアの衰退。そのことを最初に告げたのは、テレビ局の広告売上高推移でもなく、ニコ動の登録者増加率でもなく、普通の中学校の何気ない話題の移り変わりだった。

 ある日、サッカー部の中心人物I君が桜JR横浜線(桜木町行)でキレた。「どいつもこいつもパズドラの話ばっかりしやがって!」。彼がキレたのは、スマホを持っていなくてパズドラが出来なかったんじゃない。


 そう、iPhoneでないからね。

2012~2013年頃、まだiPhoneの方が多くのシェアを占めていた。アプリ会社はiPhoneユーザー向けメインで商売をしていた。AndroidユーザーとiPhoneユーザーが同数になってきたのは最近のことだが、みんな覚えているだろうか。


 iPhone配信済のアプリが、Androidでは配信されていないのは、あの頃は当然だった。流行のアプリはiPhoneで配信され、その後Androidで配信されていた。
 流行初期、Androidユーザーはパズドラが出来なかったのだ。“みんながやっている”パズドラがやりたくて、iPhoneに機種を変えた人も一定数いたはずだ。それでも出来なかった人たちがいる。なぜか。


 当時、docomoユーザーはiPhoneを購入機種として選べなかったのだ!


 Androidユーザーは、マイノリティーであり、流行に乗る事ができない弱者であった。実際に、僕のLINEグループ一覧には当時のandroidユーザーの同級生らを集めて結成したグループ「Androidでもいいじゃない」が残っている。

 国内最大手、国営企業であったNTTに加入している我々がマイノリティとはおかしなことであるが、Softbank組とau組の連合に挟み撃ちされ弱者扱いされた、三国志の赤壁の戦いを彷彿とさせる現実がそこにはあったのだ。

 なお、普通に最大手だからという理由以外にも、当時の中学生の多くがdocomoユーザーだった訳がある。僕ら90年代後半生まれは、キッズケータイ第一世代でもあるからだ。当時は、防犯上の理由もあり、親が子供にキッズケータイを買い与えることが多かった。しかし、ゼロ年代後半、キッズケータイといえばシェアのほとんどがdocomoだったので、多くの子供のキャリアはdocomoにならざるを得なかった。
 
 Androidとは、カウンターカルチャーであり、僕らに少数派としての自意識を根付かせ、後の人生に多大(多大とは言ってない)な影響を及ぼしたであろう。あの頃、僕らがなにより機敏に反応したワードは「Android先行配信」だった。

android派は団結し、android先行配信のアプリとかで遊んでiPhone組とは別路線を確立すべきだ!という思想に基づき政治結社として設立した。10年も前に出来たグループなので、人がもう4人しか残っていない。もっと多かったと思うのだけれど、もう元の人数を知るすべはない。

 時は流れ、パズドラはテレビCMを開始し、Androidでの配信が始まった。全体主義の到来である。スマホを持っていない同級生は置いて行かれた。どこもかしこもパズドラだった。
 余談であるが(全て余談であるが)、パズドラが中高生の共通言語となる中、運営会社のガンホーの株価はさほど上がっていなかった。大人たちは、この歴史的ブームに気が付いてなかったのだ。中高生での普及が行くとこまで行き切って、ようやく株価が急騰(100倍くらいだったような気がするが誇張だろうか?)したので、大人の言う「市場」とかいうシロモノはなんて鈍感なのだろうと驚いたのをよく覚えている。

 この全体主義は、多くの中学校を一変させた。パズドラをやってない人間は、スクールカースト上位~中堅の輪には入れなかった。ここで注意しておきたいのは、本当のスクールカーストトップ数人や、スクールカースト下位はパズドラをそこまではしていないことだ。本当の上位層と、それなりの規模の下位層が「大衆」を形成しないのは、どの世界でも歴史の常であろう。

 パズドラをやっているだけで、文化部や、帰宅部や、なぜか文化部扱いされてる運動部(もちろん、卓球部や陸上部などを指します)も、うまくやれば運動部の輪に入れた。一方、運動部であってもパズドラをやっていないというだけで、輪の中心から外される遠心力が働き始めた。士農工商の身分制社会に、明治維新が起き、立身出世の時代が来たのである。(士農工商って後付けの概念で江戸時代にそんな制度はなかったらしいね)
 
 高度経済成長期に形成され、団塊ジュニア以下の世代の自意識に大きな影響を及ぼした「スクールカースト」は、インターネットによる解体が現在進行形で進んでいるが、その嚆矢はこの時だったと言ってもいいかもしれない。

 パズドラは、スクールカーストを越境した。パズドラは、クラスの話題(※男子のみ)を統合した。パズドラは、デジタル大衆社会に適合するかどうかを、僕らに突き付けて、分断を生んだ。

 言うまでもなく、僕は大衆に媚びることを選んだ。好きなマンガを読む時間を惜しんで、パズドラをやった。ある程度は進めておかないと、大衆に入れなかったからだ。(もちろん、それなりにゲームとしても楽しんではいたが、思春期真っ盛りの自分にとって最大の娯楽が、あんな単調なゲームだったわけがないのだ)。あなたは、どうだっただろうか?

 もちろん、ここまで書いたことは偽史だ。だって、そもそも、本当に全てをぶち壊したのは、パズドラではないから。怪物は、海の向こう(韓国)から、やってきた…(575)。


そう。LINEである。


 6人までの一斉送信という制限的な「放課後コミュニケーション」(メール文化のことです)をぶち壊し、中高生の集団コミュニケーションは自由化され、オモシロサ能力主義の時代が到来した。
 もはや、サッカー部にいるから、バスケ部にいるからで、生き残れる時代ではない。封建的スクールカースト(所属部活で地位が決まる)の崩壊は、新自由主義的スクールカースト(人間力で地位が決まる)の到来をもたらす。
 封建的スクールカーストは、終身雇用制と一体化した社会主義国家(新卒の時に偶然入った会社で地位が決まる)であった日本社会に対応するように存在していた。学校の人間関係も、日本社会の転換に対応して能力主義化したのである。これは、あまりに、あまりに、恐ろしいことであった。

 陰キャ陽キャなんて言葉もなく、世界が教室だったあの頃。僕たちの命運は、テクノロジーの下賜という運に左右されていた。ただ、無自覚に、歴史的運命に身をゆだねるだけだった。

次回、『スマホネイティブ第一世代の葛藤②』

「LINEという革命。教室のネット弁慶は、現実を制す」。



あの頃の記憶を風化させるな、ボケる前に。

これは、97年生まれ男性、郊外の自称進学校に通っていたN=1が下調べゼロで書いた懐古録です。ネタなので真に受けないでください、いや多少は真に受けてください。偽史だけが解釈されうるのです。

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