思っていたよりも"生産"していた。
こんばんは、もげらです。
「生産性」を考えてみたら、意外なことに気がついた話。
眠っても1、2時間で目が覚めることがある。
今日もそうだった。でも眠気はある。厄介なパターン。
ベッドに横になってみて、眠れなくて起き上がってみて、スマホのゲームをしてみたり、ストレッチをしてみたり。
またベッドに転がってみたり、また起き上がって今度は本を読んでみたり。
それでも今日はうまく眠れなかった。
夕方までそんな感じで過ごしてしまって、諦めた。
そして散歩に出てみた。
改めて書き出してみると、なかなか酷い一日。
ほぼひきこもりほぼニートだからできるようなもので、ものすごく罪悪感がある。
自分の罪悪感で死ねるならとっくに死ねていてもおかしくない。
散歩しながらもそんなことを考えていた。
罪悪感を抱えているのに、結局、毎日毎日ムダにしている。
そして「本当に、生産性のない日々だ」と思った。
『生産性がない』
一時期、話題(?)になった記憶。
「いやいや、生産性がないってのは私みたいなのやで……」なんて思っていた。
ここで、そもそも生産性とは
私は現状、「何もしていない」。
労働 → 成果物 の比率、となると、社会的に"仕事"、"労働"といったものをしていないので、成果物ができるはずがない。
つまり私は「生産性がない」といって正解だろう。
ただ、気付いたことがある。
労働、成果物という言葉をインプット、アウトプットと置き換えたとき。
私はほぼひきこもりほぼニートなので、いわゆる"社会人"に比べて圧倒的にインプットしている量が少ないと思う。
私にできるインプットといえば、
・本を読む
・テレビ(ニュース、ドラマ、アニメ)、映画
・インターネット(TwitterなどのSNS含む)
まあ、せいぜいこれくらい。
しかも例えば「本を読む」に関しても年間200冊読んでます、とかいうレベルでは到底ない。
そしてネットがあれば大体のことはわかるといっても、実社会から得るものとはなんか違うような、とも思っている。
つまり、【限られた世界】しか私は取り込んでいない。
(まあ、【生活すべてがインプット】と考えられなくもないんだけれども)
それでも、今のところは毎日noteを書いている。
つまりアウトプットしている。
『ガクテンソク奥田さんのスリーピース』という1つのインプットから、1つのアウトプットだってした。
……例えが微妙なのはそっとしておいてほしい。
良い例が思い浮かばなかった。
今の時点で50くらい(かな?)のnoteを生産していることになる。
インプットに対するアウトプットの比率、ということは、インプットが極めて少ない中で毎日更新(アウトプット)しているのって、ある意味生産性が高いといえるのでは?
いや、すみません、ちょっと調子こきました。
まずインプットが極めて少ないとかわざわざ言うことじゃない。
アウトプットしているといっても、それが社会的に価値があるかないか、生産性があるといえるのかは、謎。
私には判断できない。
もしも、読んでくれたかたの誰かひとりにでも「価値がある」と思ってもらえたのなら、アウトプットの意味はあるかもしれないけれど。
まあまあ、少なくとも、"生産"はしていたようだ、と気付いた。
noteの運営さんが使う『クリエイター』という表現。
「私なんかクリエイターってものでもないなぁ……」と思っていたけど。
noteを書かれているかたはみなさん、クリエイト(創造、生産)しているわけなので、ああ、なるほど、ってちょっと納得できたような気がする。
(noteを書いている人のことを『noter』と呼ぶことを最近知ったけど、noteにおける『クリエイター』と同義でいいのかな)
「……で? noteを書いてるからなんなの?」っていう問いは残るんだけども。
noteを毎日書いているからといって「私、生産性ありますけど(ドヤァ)」なんてならないんだけども。
私のnoteに価値があるのかないのか、書いてる意味があるのかないのか、それはわからないままなんだけども。
有料記事を書いていて、それが売れているのなら——、と思ったけど、それはお金が発生することで、生産性の話とはちょっと違うような気もした。
(自信とか、そっちの話かなぁ)
少なくとも『「何していない」わけじゃなかったのかぁ』って、ちょっとだけ思えたっていう話。
読んでいただき、ありがとうございます!
2022.07.27 もげら