読まれた、という実感
6.11. 08:40
とりあえず何かしよう、とりあえずnote始めよう、とりあえず1つ書こう、
そうして書いた最初のnote。
既にいろいろ修正したい気持ちに駆られていますが、今はまだグッと堪えます。3時間くらいはかかって、これでいいのかと迷い、不安に襲われながら書いたnoteなので。
あれ書けばよかった、書かなかったらよかった、
そういうものは無限に沸いてくるのでキリがありません。
そんなnoteに、まだ半日も経っていないけれど、
『スキ』をいただいてました。
ありがとうございます!!
どうして読んでくれた? どう思った? なんで『スキ』くれた?
聞いて周りたいくらいです。
ちょっと嘘です。
その答えはなんでもいいのです、たぶん。
ただ、『スキ』をもらって、シンプルに
読んでくれている人がいるんだ、と実感しました。
どこの誰だかどんな人だかわからない、でもそこに存在している誰かが、
どこの誰だかどんな人だかわからない、でもここに存在している自分が書いた文を読んでくれた。
読まれなくてもいい。
ただ『とりあえず何かしよう』と始めたnote。
何を書こうか、どう書こうか、何も定まっていないnote。
不格好でペラペラなnoteを誰かが読んでくれた。
誰にも読まれなくても、と思っていたわりに『読んでもらえた』と実感すると嬉しいものです。やっぱり。
これが人間というものでしょうか。
そしてそれを実感したことで、読んでくれているか、どこかの『あなた』に文字をつづっていくのも悪くないかもなぁ、と思ってみたり。
でもきっと、誰かのために書こう、とか、自分のために書こう、とか決めたところで、
そんなものは書きたいこと、書こうと思った瞬間によっても変わってくるんですよね。
結局は 誰かのために書こうと思っている自分のために書く のじゃないでしょうか。
屁理屈っぽ! めんどくさ!
とりあえず始めたんやから、そんなことはいちいち考えずに、とりあえず書けばいいやんけ!! って感じです。
我ながら面倒な性格です。
方向転換はいつでもできるでしょう。
好きにしよう。
基本ネガティブでも妙なところはポジティブです。
まあ、noteに関しては『とりあえず始める』を達成したので、その分の荷物は降ろせたような気がします。
とか言いながらも
方向性くらいは決めた方がいいのかな、いやでもそれに縛られてしまう気がするな、いやでも少しくらいは縛りがあった方がいいのかな
そういう思考も無限です。ぐるぐるぐるぐる、ぐじぐじぐじぐじ。
厄介なものです。
きっと欲をかくとスキの数やフォロワー数に一喜一憂してしまうので、
やっぱり"とりあえず"くらいの気持ちがちょうどいいのかも。
ここまで 08:40に書いてました。
今は 21:00。
投稿したnoteはビュー数が確認できるんですねぇ。
ということはやっぱり『スキ』の"数"に、こだわることはないのです。
自分的には。
そりゃあ、ミスタップで開いちゃったって方もいるでしょう。
それでも見たは見た です。
謎ポジティブを発動しておきましょう。
あれ? でもやっぱりわざわざ『スキ』を押してくれたということは、その数は確かに読んでくれた証と受け取っていいんですかね。
改めてありがとうございます。
こう、なんでしょうね、こういう、書く? 発信する?
そういうものを始めたすぐの時は
あ~~っ、これ書きたい! あっ、あれも書きたい! ってなりませんか。
その勢いに任せて書いてしまうべきか。
むしろ、冷静に落ち着いてじっくり書くべきか。
勢い任せだとすぐに飽きてしまったり、枯渇してしまうんじゃないか。
落ち着いて書こうとすると、その瞬間の熱を失ってしまうんじゃないか。
結局、今更書いてもなぁと思ってしまうんじゃないか。
今、このnoteを書いている瞬間は勢いが勝ち気味。
また、そんなことでぐるぐる。
12時間前には『とりあえず書けばいいやんけ』『好きにしよう』と思っていたのに。
自分でも自分の脳内はどうなってるのかと疑います。
とりあえず、今日もnoteを書けたので良しとすることにします。
はい、これで良し!!
2022.06.11 もげら