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死にたい私のために

こんにちは、もげです。

なんだか物騒なタイトルで、こんな可愛らしい画像をお借りしてしまって、少し罪悪感。

【ももろ illustrator 絵本】さんからお借りしました。

現在そういった願望があるとか、鬱々としているとかそう言うことではないです。

念のため、先に断っておきますね。

短いスパンで言うと、ここ1週間くらい気分が落ちていて、長いスパンで見ると7月頃から長引く胃の不調や息苦しさ、背中の痛み、最近だと頭痛に悩まされています。

30歳を目前として、身近な人の死や妹のガン、自身の原因不明の不調など、死を隣に感じることが多くなりました。

私もいつまでも生きてるわけじゃないんだよな、みたいな。

まだまだ若い年齢だとは思うけれど、実は昔から、自分そのままで生きることの難しさを感じていたように思います。

その結果、自分の死(自死を含む)というものがなんとなく頭の片隅や意識の奥にある状態で過ごしてきました。

急になんの苦しみもなく人生が終わるなら、それでも良いのかもしれないと思ったのも、1.2回ではありません(痛みも苦しみも感じずに死にたいと言うのがなんともせこい笑)。

これまでは「なんて暗い人間なんだ」と、自分にガッカリすることもありました。

でも最近は、まぁ、根暗も良いよね、と思ったりして。

生きるのが大変だと思うことも、別にダメじゃないし。

あと、せっかくこんなに「死」を身近に感じられるのだから、反対の「生」にもそれなりに執着してるのでは、と言う考え方とか、いろいろ。

明日生きてる保証って誰にもどこにもなくて、それをわかっているつもりの私は、今日もいつも通りに過ごしました。

少し先の未来に死が待っている、それをしっかり自覚する人だけが、きっとそれまでの生き方を深く考えることができる。

明日いきなり死ぬことと、病気などで死ぬことがわかっているからそれまでを大切にすること、それぞれの良し悪しがどうというわけではありません。

身体、精神ともにとても健康な方も、何十年後かわからないけど自分は必ず死ぬ、そういうことがちゃんとわかってる人は、自分なりに毎日を大切にできるのかなと。

でも毎日全部を大切になんかしてたら、大変だなとも思います。

とりあえず、私はたいした活力を体にも心にも秘めていないので、ほどほどに過ごすのがいいのかな。

生物としての最低条件ってきっと、「まず自分が生きていること」だと思うから。

あとは、大切な人たちの生や、そのコミュニティで安心することも自分が生きていくことのためには、必要かも。

生きている状態そのものと、今以降の未来も生きていくために必要なもの。

何かを成し遂げるとか、やりたいことをやるとか、充実した毎日とかってそういうことじゃなくて、一旦は、今日を生きたまま終えてみる、明日を迎えてみる、そんなことで良いのかなって思いました。

物的に恵まれている国に生きるからこそ、こんなことで悩めるのかもしれないけど、今は置いておいて。

反省会とか、誰かを責めるとか、気を使うとか、全部後回しにしよう。

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