タイガーとバーナビーとヒーローの定義
これはタイバニ2後半クール配信時の2022年10月、最終話を観終えた直後に書いたタイガーとバーナビーに関する感想です。
重大なネタバレを含みます。
もしかすると少数派的な感覚かもしれないので、ご覧になる際はご注意ください。端的に申し上げると「あの終わり方をそこまで悲観的に捉えなかった人間の感想」です。
以下、言い回しを多少変更・加筆しておりますが、殆どその時のままの文章です。
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まず予防線を張るようで申し訳ないけれど、自分は仙石昴推しでブラック&HIT推しな人間なので
「主人公バディ最推しではないからそんなこと言えるんだ」
と言われればそれまでかもしれない。
ただ、推しキャラのファンである以前にTIGER&BUNNYの物語を気に入っている市民の1人としての率直な感想をポロポロ書く。
先に言ってしまうと、タイガーの能力完全消滅、今までと同じようにヒーローとしてバーナビーの隣に並び立つことはないかもしれない、という事実をそこまで悲観的に捉えなかった。
ユーリさんが己はレジェンドの息子であると告白するシーン。
虎徹さんは、能力が無くなって例え自暴自棄になったとしてもぶん殴ってでも止めてくれる仲間が隣にいる、自分はレジェンドのようにはならないと告げる。
まずここで、例えこの街が定めるヒーローの規定から外れたとしても、彼はずっとバーナビーと共にヒーローで居てくれるのだと感じてすごく安心した。
もうとっくに素顔も本名も割れているのに最後まで徹底して「鏑木虎徹とワイルドタイガー」「ヒーローの自分とヒーローでない自分」を区別してきた彼だから、ワイルドタイガーの格好をしていない自分自身をそれでも尚ヒーローだと認識するのは容易いことではない、と想像する。アイパッチとPDAを交互に眺めて目を閉じる姿が脳裏に浮かんでしまう。
そんな彼に、ヒーローでなくなった自分をも受け入れてみせると言わしめたのは他でも無いバーナビー。
ヒーロースーツやPDAじゃなくて、もっと奥の、底の、見えないくらい深い所で彼らはバディを組むヒーローとして揺るぎないんだ、もう何があっても絶対解けないくらい強い結び目があるのだと感じて嬉しかった。
「正義の仮面だけが、ヒーローの証じゃない」
作中でタイガー&バーナビーの能力減退の話題になる度に頭の中でこの一文が浮かんだ。
TIGER&BUNNY2 THE COMIC がWEBサイトで連載されていた時の煽り文。ハローグッバイのメットの絵と共に書かれていた。(#3、昴がSBのヒーローを目指すと決意した回)
この一文にもかなり心が助けられていたところがあったと思う。
タイバニ2全体としての数あるテーマの1つが「ヒーローの定義」かなと思って、それを頭の隅に置いて観ていた。
シュテルンビルトで管理、統制された上でどういう条件を満たせばヒーローでいられるのか。
または、システム関係なく各々が何を思って私はヒーローである、と謳うのか。
後者については結局定義とかそんなもんねぇよ、なんだろうけど。
能力を失い行く虎徹、能力値が基準を下回ったバーナビー、ヒーロースーツを着ないで捜査をするヒーロー達、ヒーローに対抗意識を持つ警察、消滅寸前の2部リーグヒーロー、平和な町で小さな事件を解決するヒーローをやっていた昴のような地方ヒーロー、ヒーローになれなかったけど警官として町を守るロドリゴ、レジェンド、オードゥン、ルナティックの存在そのもの……
予告PVでも「ヒーローとして、誰かを救いたい」という虎徹さんのセリフが使われていた。「ヒーローって良い人じゃなくてもなれるんだ」ってセリフもあったね。
ヒーローってなにで、どういう状態の人のことを言うんだろうな。
と、ヒーロースーツ着てなくても能力が無くなっても鏑木虎徹は一生ヒーローで絶対にバーナビーの相棒でいつまでも側にいる、というようなことを言いたかった。
のだけど! それはそれとして、ラストのレジェンドオブヒーローの絵は「能力を完全に失ったタイガーがそれでもヒーロースーツを着て、バーナビーの隣で活躍、その姿はまさに前人未到の伝説である」……ってことだと思いたくなる。だって寂しいじゃん。
タイガーは能力なしでも相当動ける、能力減退の際にそれを補うように並々ならぬ努力をした、と作中で言及されていたし、その辺りが希望につながってほしいなあと思った。めっちゃ動ける技巧派ワイヤーおじさん、みたいな。
なんかグダグダ書きまくったし、TLから何も接種して居ない状態のまっさらな感想がこれだったのだけど、やっっっっぱり虎徹さんの能力が消えなくて、30秒だけでも残ってて、ネクスト持ちのヒーローとしてそれでも足掻いて頑張ってるぜ!!!みたいなのが!!!良かったな!!!なんて気持ちはめちゃくちゃある!!!
こんなぐちゃぐちゃ考えることもなく、公式から差し出されたものがそれだったらどんなに楽だったろうか、なんて。でも、製作陣に恨み言を申したいわけではないんだ。これは「そうなるように仕向けられたお話」ではなく「物語の彼らのたった一つの人生」なのだと思う。
底抜けのハッピーにならないのがタイバニの渋さで深みなのかな。だから好きなんかな。タイバニ観た後って、雨上がりに足元にある水溜り越しに晴れ間をぼんやり眺めている、みたいな気分になる。明るくなってきた空をなんとなくすぐには直視出来ない。
この終わり方について納得しているし物語としてかなり好きだし寂しさもそんなに感じなかったんだけど、0ミニッツを掲げてワイルドに吠えるぜ!してたり無線越しにバーナビーをサポートする参謀役になってるみたいな姿をチラッとでも見せて欲しかったなあと、これは今になって、この文章を書きながら思う。
でも本当なんだろうな、タイバニが好きなんだよな。
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この後、桂先生による読切にて相談所やってる虎徹さんと側にいるバーナビーが見られてとても嬉しかった。あ、タイガーさん諦めてない! って気がして嬉しかった。やっぱ「タイガーアンドバニー」でいて欲しいもんね。