1日の終わりを黄昏れる
タイトルそのまんまですけど
何やかんや忙しく過ごした1日の終わりに
夕日があまりにも綺麗だったりするのを
見つけたら
今日1日色々あったけれど
全て報われた気持ちになります
こんな綺麗な夕日を見れたんなら
もう、それだけで良いじゃんか!と
有り得ない失敗をして
こっぴどく怒られた事も
うっかり口滑らして険悪になった気まずさも
理不尽ばっかりの世の中に何でなん!
って憤ったり
そんな明日に持ち越したらとても浄化
出来ないモヤモヤを
それでも1日働けたじゃあないですか
偉いよと
祝福された気になります
映画「君の名は」でも紹介されてましたが
黄昏時には
黄昏(たそがれ、たそかれ、こううん)は、一日のうち日没直後、雲の無い西の空に夕焼けの名残りの「赤さ」が残る時間帯である。黄昏時(たそがれどき)。黄昏れる(たそがれる)という動詞形もある。
夕暮れの人の顔の識別がつかない暗さになると誰かれとなく、「そこにいるのは誰ですか」「誰そ彼(誰ですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味である。
とあったから姿の見えない凄い人に祝福されてる??勘違いも
さほど間違いでも無さそうだなと
にんまりします。当てつけですが。
さらに比喩として
「最盛期は過ぎたが、多少は余力があり、滅亡するのにはまだ早い状態」を表す。
とありました。
良いですねぇ。比喩の方が哀愁漂っていて
私にしっくり来ます!
滅亡するには早すぎる!
まだまだこれからこれから!
さぁ明日!巻き返してやりますよ!!
今回も拙い記事読んで下さって
ありがとうございます!
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