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50歳から始める終活 vol.01_激動の時代に生き抜くために

時代のシフトと『終活』ブーム

第一次ベビーブームに誕生した団塊の世代が定年を迎えるタイミングと時を同じくして『終活』ブームがやってきた。『終活』という言葉が世の中で知られるようになったのは2009年に刊行された週刊誌の企画記事らしい。
令和時代のいまでは「60歳はまだまだ現役」と思う人が多いだろうが、実際には不景気による早期退職制度が推進されたり、65歳までの継続雇用が約束されても業務内容や給与面では現役感のない待遇を受けるため、還暦を迎えると社会から退いた感を抱く人が多いのではないだろうか。そこで自分の人生を振り返り、引退後の第二の人生とその先に関心を持つようになるのは自然のことだ。また、60歳前後であれば親の介護や見送りを経験をした人は多く、親世代の様子を見ながら自分の人生のしまい方を考えるようになるだろう。
 
さて、かくいう私はいま、この記事を書いている時点で年齢は54歳。アラフィフからアラカンへちょうど移行する時期である。
いまでは誰もが男女関係なく会社で活躍する世の中だが、周りにいる同世代の友人は、この社会を切り拓いてきた。産休や育休を取りながら定年まで働き続けてきた人が半分、そして残りの半数は結婚や出産で一度は現役を退き、子育てが落ち着いてから復職して活躍している。私たちの親とは全く違う社会システムの中で生き抜いてきたたくましく凛々しい人たちだ。
私たち50代半ばの人間は『定年』がチラリと見えてはいるもののまだまだ現役活躍中。戦争を知らない平和な時代に生まれたとはいえ、激動の世の中を生き抜こうとしている。バブル崩壊やリーマンショックに伴う就職氷河期、日本各地で起きた大きな災害、新型コロナウイルス騒動などで、死生観を大きく見直される機会に遭遇してきた。

今を生きる…から自分の最期をみつめる

変化が激しすぎて、この先で何が起きるか分からない。めまぐるしく変わる世の中に振り回されながらついていくので必死だ。マイペースでいることが得意な私だが、さすがに世の中の流れを知らなければ取り残されてしまうと思い、いろいろな情報を入手して学ぼうとしては混乱し、ついに息切れ…。
結局、「これ以上はもう無理」だと悟り、諦めと開き直ることを決めた時、『今を生きる』ということの意味が腑に落ちた。

あれこれ不安になって憂いても仕方ない。今に自分の心と体の軸を合わせて「あるがまま」に生きること。その積み重ねの先に老いや死があるのだから抗うのは無駄なこと…だから、今の自分を精一杯大切にしようと心の中で宣言した。

『今を生きる』ということとまだ起きていない自分の最期を想定する『終活』は矛盾していると思われるかもしれないが、私はけしてそうは思わない。逆に、終活によって自分の生き方が定まるのだと思う。生き方が定まれば「今を生きる」ことをそのまま実践できるのだから。
 
生きている人すべてが必ずこの世から去る日がやってくる。起きるか起きないか分からないことではないのだ。必ず起こることだからこそ、その時を想定して今の自分にフィードバックすることは、これからの人生をより豊かにするための生きる知恵だと思う。
 
私がこれを書く理由は、歳を取って体の自由がきかなくなり、日常生活が思うようにできなくなってから「こんなはずじゃなかった…」と嘆きながら晩年を過ごしている母の存在が大きい。
長年、自分の思うままに家庭を切り盛りしていた母は、加齢によって思い通りにならないことをひとつひとつ受け入れなければならないことが難しく、ストレスを募らせて心も体も病んでしまった。周囲から見れば十分な生活状況なのに、本人にとっては不幸極まりない状況である。私はそんな母にどうすることもできないもどかしさを感じながら、ただただ嘆く姿を見守るしかない。
この経験を残念なこととして済ませたくない…自分のこれからの人生を豊かにするために、そして、同世代の人たちにとっても何かしらのヒントにしていただきたい…そうすることで、母の嘆きは意味のあるものに変えられると思い、記事を書きながら50代ド真ん中の私の終活を残してみようと思った。

つづく…

▼▼▼最上川えつこのエッセイ第2弾『アラフィフ歌会始』▼▼▼
読んでみてね~♪


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