歌う!社会見学*1曲目-『ホテル』
有料記事設定…には理由がある
我々日本人は、古くは万葉集から歌に心を映しながら、善くも悪しくも自分の内面を昇華させようとしてきた。
特に流行歌は、当時の多くの人々に親しまれたもので、個人的な心情だけでなく社会そのものを映しているといっても過言ではないだろう。
さて、最近は昭和歌謡が『エモい』そうだ。
確かに旋律も歌詞に紡ぐ言葉の扱いも、昭和歌謡は丁寧で物語性が高いものが多い。が、過去の文化が改めて見直されて流行るということは、我々の青春時代は歴史に分類されるほど遠のいた…ということでもある。
「青春時代が~夢なんて~あとから~ほのぼの~思うもの~」
森田公一とトップギャランと一緒に歌い上げてい懐かしんでいるうちが花。すっかり忘れて思い出そうとしても出てこない。なんてったってもう『歴史』だもん。単語カードに書いて忘れないようにいておかなきゃと書き留めておきながら開くことも忘れちゃう…そういうものになっていく。
エモいと流行る一方で、令和時代の今ではNG!と言われる歌詞も多い。
日常の言動や行動ではとてもできないことだからこそ、歌という治外法権エリアに避難させ文化・芸術として嗜むことを考えた人間の知恵は素晴らしい。私は長いことそう思っていたが、今は文化・芸術の一部であるエンタメの世界でもNGルールが増えている。
社会は多様性の理解が進んでいるはずなのに、今の常識に反すると認定されたものはなぜか多様の一部とされない。
増える一方の規則とルール。いちいち細部を指摘してクレームをつける風潮と「違いを認める」が矛盾してはいないか…。
『一億総ケチ付け民』とは言われたくない。
ボヤいても仕方ないから明治時代の流行した
オッペケペ オッペケペッポー ペッポーポー
と歌ってみたら、明治の時代を生きた人たちの気持ちが少し分かった気がした。歌には人の心が映されている。
…ということで、流行歌を口ずさみながら世の中を考えたり人間の本質に向き合ったりしてみようと思った次第だ…と言いたいところだが、ただふざけてみたいだけ。
過去の流行歌には今ではとても口に出せないことがてんこ盛りだ。
世の中に出してはいけないものの中に人間の本質があるし、ヒトは本来、「禁句」を言いたい生き物だ。だから、幼い子供たちが「うんち~!」「おならプップー!」と言ってはしゃぐのだ。
だから、せめて歌ぐらいは自由に歌って今の時代の禁句を叫んでみてはどうだろう。
でも、noteという媒体で書きたい放題書くと黒塗り対象になりそうだ。透視力を使おうと目を細めても何もお見せできなくなるだろう。一方で、書きたいことは書きたいので、このコーナーは有料記事という制限をかけることにした。
『歌う!社会見学』は読み手に配慮せず、書きたいことを好きに書きながら社会を考えていこうと思うので、それでも読んでみたいという稀有な方がいたら読んでいただきたいと思う。感謝と愛はお届けするが文句は一切受け付けない(笑)ので悪しからず。
『ホテル』(1984年) から考える…男と女の間柄
1曲目は1984年にテイチクから立花淳一氏の歌唱でリリースされ、80万枚の大ヒットとなった『ホテル』。翌年、キングレコードによる島津ゆたか氏バージョンが出てさらにヒットした昭和の人間で知らぬ人はいない名曲である。
ちなみに立花淳一バージョンのB面(昔のレコードはA面とB面、2曲が1セットであった)のタイトルは『泣いて人妻』である。曲は聴いたことはないが、A面『ホテル』に登場するサレ妻の報復・制裁ソングか?!
私は島津バージョンを聴いていたので、こちらをご覧いただきたい。
歌詞は以下を参照を↓↓
「なにこの曲?プリの恨み節?」
いまは不倫相手の女性のことを「プリ」または「プリン」と言うそうだ(知らなかった)。みんな日なたに出てきた一億総活躍社会。愛人を持つのは男性に限ったことではなくなった。実際、私の身近にいる女性の中にも「いい仲」をこさえている場合はレアじゃない。
社会に出れば出会いも増える。出会いも増えれば心も動く…か。
『ホテル』…この曲を聞くと、当時、表現されていた「日陰(の女)」がピッタリな日陰感がある。「プリ」プリプリーン♪のような軽快さや可愛らしさはない。
社会全体で女性を男性の後ろに立たせて、地味に目立たずでしゃばらず…と、後方支援ばかりにまわしていた時代だ。(そんな中でよく頑張ってきたな…ジブン…)
1985年はエモいかもしれないが、いまとは大きく違う。
なんてったって『ホテル』のほかにヒットしたのは伝説の歌姫といわれた台湾出身の歌手テレサ・テンの『愛人』そして『つぐない』だ。
愛人と~ホテルで逢瀬~バレてからの~つぐない~
不倫3大ステップみたいなものだ。今となればとんでもないが、大した時代だった。
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