#05:アラフィフ女の健康づくり~堪忍袋を携えよ~
できれば穏やかに生きていきたい
50代に入ると、かつて労働へのモチベーションとなっていた物欲はすっかり無くなり「平穏無事」が何よりで、そこに楽しい時間が加わればもうこれ以上望むことはないと思うようになった。
満足することよりも目標や意義ばかりを考えて落ち着きなく過ごしていたのは、未来への期待?希望?…人生の余白が多い若さのおかげだったような気がする。アグレッシブに行動すれば山あり谷ありの刺激が多く、若い頃はそれをあえて好んで選んでいたようだ…あぁ、若かったな。
ところが、人生の先が見えてくると、1日の中にあるささやかなハッピーで満足してしまうから不思議だ。半径5m内の幸せ見つけをしている自分に「もう少し世の中を見たら?」と思うこともないことはないが、もう先がないぶん、手前(=自分の心)を大事にする以外に求めるものはなくなり、できるだけ穏やかに過ごしたい…それが歳を取るということなのだろう。
体をリラックスさせて心をほぐす
先日、友達とラクーアスパに行ってきた。
ウチから比較的近くにあるのに一度も行ったことがなく、初めて訪れた私は素敵な施設と充実したサービスに大興奮。プチ旅行気分を味わった。
裸になる…というのは物理的な話ではなく、心もオープンになる。サウナや岩盤浴を楽しんでプールサイドのラグジュアリーなスペースでリクライニングチェアに寝そべりながら互いの近況を話していたらどんどん内容が深くなり、タオルで拭うのは汗か涙か分からなくなっていった(笑。
うん、うん…と聞いてくれる友達の笑顔に安心し、気づけば私は丸裸(心ですよ…笑)になって今の自分の心情を話していた。その中で、私が
「…いろいろ大変だったけど、どれも今の自分になるために必要な経験だったなって思っているんだ…」
と言うと、友達から意外な言葉が返ってきました。
「そうね。でも、ちょっと待って。そんなふうに自分で自分に言い聞かせているってことはない?本心は別にあるんじゃない?たとえば、イヤならイヤだと言いたい。やりたくないことは『No!』と言いたい。頭にきた!イライラした!らそう言えばいいのに、「これも学び」とか「いい経験だったことにしよう」と言い聞かせているってことはない?本当に言いたいことはどこに置いてきてるの?」
そんなこと、考えたことはなかった。
私は、自分のこれまでの経験をすべて「良かったこと」で着地させたくて『学びがあった』という展開にして伏線回収を創作していたことに気づいたのだ
ところが、それで納得できていないから友達にあれこれ話しているわけだ。納得して昇華(消化)できていたらもう頭の中から消えて無くなっているはず。そこを友達はちゃんと感じてくれていたのだ。
「自分の本心のまま行動していいのよ。本当はどうしたいかで決めてイイのよ。そこから分かることがあるはずだから」
熱いサウナの中に冷風がブーンと差し込んできたような感覚。
うわ~。清々しい~♪
そこで、思い出した落語の演目、『堪忍袋』を…。
演目を見たことのない方に笑福亭風喬さんの『堪忍袋』を紹介しておこう。
内容を簡単に言うと、
ケンカが絶えないある夫婦の話である。堪忍袋という袋を作って文句があればその袋に向かって叫べば気持ちが治まる…と言われた妻。
確かに、堪忍袋に向かって話すと気持ちが落ち着く…のだが、どんどん袋の中身が膨らんで…最後に破裂する…というオチである。
『堪忍袋』を携えて袋の中身を確認しよう
「えつこちゃんのことだから、ブラックな自分を奥の奥に閉じ込めているでしょ。ブラックえつこはどこにもいないって言える?出していいのよ、ブラックな自分を…。行動に出せなかったら、自分一人の時に言葉に出したり書き出したりすればいいのよ」
「つまり、アレね…。落語で言うところの『堪忍袋』を持っていればいいのね」
「そうよ!それそれ!」
できれば『善く生きていきたい』という思いが強いばかりに、ブラックえつこをなおざりにしていた。でも、常にブラックえつこは心の奥にいるのだ。だって人間だもの…。
本当はどう思っているの?・・・その質問をブラックえつこに投げかけるが、その前に善く生きていきたいと願うホワイトえつこが防音シャッターを下ろして私とブラックえつこの間を遮断する。
過去のことはもういい…として、今、現時点の事柄については、ホワイトえつこが防音シャッターを下ろす前に、堪忍袋を取り出して自分の率直な思いを吐き出すことを意識してみた。
ひとつ気づいたのは、演目『堪忍袋』は夫婦間の話。私は、常に夫にストレートに話すので袋の中はたまりません。最も気を使わないでいられる相手だということは、相方としてはまあ悪くはないことなのかもしれない。
私の堪忍袋の扱いはもっと深い部分での話で、自分自身に対することについても袋の中に(言葉は悪いですが)ぶちまけました。
始めは難しかったこの作業。日々の些細な事に対しても、堪忍袋を持ち出すことを意識したら、ブラックえつこの欲求不満に気づくことができるようになり、その声に耳を傾けるとホワイトえつこのシャッターがどんどん開かれていくのが分かった。
できれば善く生きたい…は、誰もが望み目指すものだし、世間はそれを「良きこと」というだろうが、それが正論・正義とは限らない。混沌としたこの世の中に正論や正義なんてはっきりしないのだから、自分がどうありたいかを確認するだけでいいわけだ。
50代の半ばになり、開き直りや諦めも素直にできるようになったのだからこそ、「我がまま(自分のありのまま)」に生きよう。
堪忍袋を携えて言いたい放題に袋の中に放り込んで、ときどき中身を取り出して確認して、ブラックな自分も愛しんであげようと思った次第だ。
それが意外と人生後半でもっとも有効な健康法かもしれない。
▼▼▼最上川えつこのエッセイ第2弾『アラフィフ歌会始』▼▼▼
読んでみてね~♪