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第40首:まだできる もうできないの せめぎ合い 気持ちの問題?! どんなもんだい?!
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いちど立ち止まってみた…
今の自分は日々の積み重ねでできあがっているので、従来から大きく変わる出来事に遭遇しないかぎり、10年前、20年前とは“さほど変わっていない”と思い込んでいます。
でも、ひさーしぶりに会った人や、ひさーしぶりに出向いた街などを見ると
「うわっ…変わったなぁ…」
と思います。
つまり、小さな変化の中に居ると、人はその変化に気づけないということなのでしょう。
以前なら、駅のホームで電車到着のアナウンスとともに、改札を抜けてひとっ走りすれば余裕で電車に乗れました(注:危険なのでマネはしないでください)。いまは、到底間に合わないし、足も軽快に動かせないので、次の電車に乗ると決めてゆっくり改札をくぐります。急いでも転んでケガをするのが関の山だからです。
気持ちはまったく変わっていないつもりでも、変わったんです。しかも、すっかり…。
アラフィフ以降を快適に生きるには、変化の自覚と受容が必須で重要なんですね…。
変化は生きること・流れていくこと
何か行動するときに、「あれれ?昔は簡単にできていたのに…」と思うことが増えるのがアラフィフ世代あるあるです。身体能力はもちろん、脳や心の柔軟性だってうっかりするとカッチカチな頑固になっているかもしれないんですよ。
自分のコトを棚に上げて言うのもなんですが、同世代で考えると男性のほうが心の「カッチカチの頑固さ」に気づかずにいるケースが多い気がします。昔から“頑固おやじ”という言葉があるとおり、仕事中心という生活パターンが一定で、しかもコミュニティが限定的なことが多く、自分の考えを見直す機会があまりないまま時間を過ごしてしまうことが多いからなのではないかと私は勝手に考えています。
我が家の夫も40歳半ばあたりで反抗期に突入した娘との紛争ぼっ発を機に、長い冷戦状態を続けてきました。緊張状態が続けば続くほど頑固さばかりが強固され、それが己を守り貫くことだと思っているようでしたが状況は悪化するばかり…。
雪解けまでにどれくらいの時間が経ったでしょう。反抗期を過ぎ、思春期も抜けたころから、ようやく平和な関係が築かれ始め、子どもが成人年齢を迎える頃、やっと落ち着きました。
この経験で、夫は強制的に心の柔軟性を鍛えられたはずです。以前だったら、すぐにカチン!とくるであろう言動を娘がしても今は笑っていられる…。
一方、心身ともに幼かった娘も、この経験で、どうしようもないイライラや怒りのおさめかたや、親でも実は他人(違う人間)ということを理解したのだと思います。
親子は人の力の及ばないところに生まれる縁です。必要あって関わるよう生まれてきたということをつくづく感じます。
話が長くなりました。
家族という最小コミュニティーの中にも、心の柔軟性が鍛えられる機会がありました。そして、少しずつそれぞれが変化して今に至ります。
生きていれば、世の中はもちろん、自分自身の外見だけでなく内面にも変化は必ずやってきて、その変化を味わうことが生きることなのかもしれません。
世の中も変わっていくのだから
この世に生まれた以上、変化を前向きに受け入れるしか方法がないので、アラフィフになればこそ!心の柔軟性は気にして鍛えていこうと思った次第です。
カラダは筋トレ・ストレッチをするという分かりやすい方法がありますが、心の場合はどうしたらいいか分からないですよね。そんな中で、ひとつ言えるのは、自分の考え方や価値観に固執しないことだと思うんです。自分を貫くというひたむきさは若い頃には大事でしょうが、相応の歳をとるとただの頑固になりがちです。アラフィフこそ、『ま、いっか』ですませる力が大切になってくるわけです。
周りの変化や違いに「(そういうのもあるってことで)ま、いっか」と済ませられれば、現在の等身大の自分を愛せるようになる気がするのです。
そのためには、いろいろな物事や人たちに関わったほうがいいかもしれません。快適で安心の環境の中にだけいると、いつのまにか浦島太郎になり、気づけばもう客観性を失っている…ということになりかねません。
期待と諦めの間を行ったり来たり
これからのことを考えた時、「まだできるかも?!」と「いや…もうできないな…」の間を行ったり来たりするセンシティブな世代がアラフィフです。
過去と今と、今後の想像の間を行ったり来たりしながら、自分の可能性を賢く考えていきたいものですが、世の中も、自分自身も常に変化することを考慮に入れたら、結局、「なるようにしかならん!」に至りますし、どうしようもないことはどうしようもないのかもしれませんねぇ。
「ま、いっか」の諦め?受容?のおまじないを携えて、とりあえず心の声を聞きながら、気持ちを大事に変化を楽しみながら生きていくしかありません。
健康寿命のサバイバルゲームにたとえるなら、アラフィフはライフゲージばかりに目をやらずに済む最後の挑戦ステージにいるような気がします。
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