#039:アラフィフが未来にできることは,未来を担う人にバタンを渡すことだと思う件
同世代の仲間が「定年」を見据え始めた
自分の中身は昔から全く変わっていない(つまり若い)…つもりでも、ちゃーんと歳はとっています。カラダに無理はできないし、記憶力だって落ちたし、気力の維持継続だって若い頃とは違います。
それは当然のことです。
生まれて50年余りを生きちゃったんだから…。
アラフィフ同世代の仲間との話題に、
「疲れるよねぇ…」
「しんどいよねぇ…」
「大変だよねぇ…」
という言葉が多く出るようになると、どこからともなく引退の話も出始めてきました。
ついこの前までは、そんな話は微塵も出なかったのに…という「ついこの前」も軽く10年くらいはあるので、長く生きれば生きるほど時間の単位が大雑把で、1ずつ数が増えていくと思っているうちに、やがて2進法、5進法…10進法…とざっくり大きくなっていくのでしょう。
定年を見据え始めることはネガティブではなくて、自分の先をシミュレーションして考えることはポジティブなものだと私は考えています。
「こんなんじゃなかった」
と現状を思うことほど、もったいない思考はないからです。
「あぁ、こんなもんだ」
と受け入れるためにはシミュレーションは必要だし、その過程で「今」を積み上げていくことが老いとの付き合い方だと思うからです。
「仕事」が自分の価値に直結した時代が終わった
ひと昔前、高度成長期を支えたのが親世代だった私たちは、『仕事人間』という言葉がポジティブに使われました。社会としてそれが善、〇、正解と誰もが疑わず、社畜、働き蜂、24時間戦う戦士…として賞賛さえされました。
が、それらも時代ならではの一時的な社会全体的な思い込みに過ぎません。
今はどうでしょう?
会社人間?…副業奨励
仕事一筋?…自分の時間は?
働いて報われる?…賃金上がらず
…
ガラリと変わった社会で、昔の思い込みに囚われたままの人は、ただただ生きづらさとストレスを感じ、
「こんなんじゃなかった」
と嘆くのは…あまりにも惜しい。
仕事は人間の生活の一部分であり、それがすべてではありません。
仕事の中に自分の価値を見出そうとしていると、いつかは…やってきます「定年」が。
そういうことをシミュレーションしても悪くはないでしょう。
自分の経験は自分の宝物として…後進にバトンを渡そう!
同世代、またはやや上の世代の人と話していて、ときどき遭遇する若者に対する苦言…
「今の若い人たちはさ~」
「ホント、今の若い者は…」
『今の若者は』を枕詞に、批判的に捉える風潮はそろそろ止めにして、「次世代はお願いします!」とバタンを渡すことを意識しようよ、と思うのは私だけでしょうか?
新しい時代を生きている人たちに、昭和の価値観を叩き込まれた人間が「それは違う!」とモノ申せる立場ではありません。それくらい時代は変わりました。
若い人が気持ちよく自身の力を発揮し、磨き合いながら活躍できる世の中を、私たちは応援する側に回ったのです。
オリンピックでいえば、フィールドにいて競技をするのが若い人たち、私たちアラフィフは観客席で彼らを応援する側です。
活躍する人たちの役に立てるよう、時には自分の経験をサポートとして活用してもらえたらそれで御の字です。もしかしたら、3年後は、それもすべて不要!な世の中に変わっているかもしれませんが…。
未来にできること・・・は、未来を生きる人たちを応援すること、だと私は思います。
後方支援って実は重要です。経験と知識と、何より長年の辛苦で培われた豊かな人間性があるはず!です。
AIに負けない、人としての豊かさや安心感を後進に提供することが、未来のためにできること…。ならば、何ができる?何をすべき?…そんなことばかりに目を向けず、自分自身を人として磨いていくことは実はとても大切なことだと、私は考えています。
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