第32首:別れぎわ またね!や今度!の 次はない 一日一生 尊い時間
時間もお金も人間関係も…浪費しました
久しぶりの友人との再会。別れぎわに「またね!」と笑って手を振りますが、私は50を過ぎたころから、心の中で(これが最期かもしれない)と思うようになりました。寂しい話ではなく、あくまでも時間とご縁の尊さを思うようになった…ということです。
すべてのことに無駄なことなんてないとは分かっていますが、若いころの自分を振り返ると、いろんなことを浪費していたなぁ…と思います。お金だけじゃなくて、遊びも人間関係も…いろいろ…。
人生後半は自分で決めたことで時間を使いたい
あまり気が乗らないけれど、声をかけられたらなんとなーく付き合ってしまうような人間関係もありました。例えば、子どもの学校関係から発生するお付き合い、保護者同士の関わりは、プライベートとの区別がつきにくいし、学校に所属している間はなんとなくの仲間意識もあり、会ったら会ったで楽しいので、お茶会や飲み会などのお誘いにも何度か参加することがありました。でも、いま振り返ると、
「なんで行ったのかな?」「なんで参加したのかな?」
このように、長く生きていろいろ経験すれば、たくさんの人と出会いますが、自分の立場や役割を超えて親しくなる友人はごくわずか。50を軽く過ぎた私に残された今後の時間を考えると、そのごくわずかな友人たちとの時間をもっと大事にしていきたいと思うのです。
知人は増えるけど友人はできにくい?!
歳を取ると、顔見知り程度の知人は増えますが、親友とまでいかなくても親しい友人が新たにできる機会はめっきり減るものです。新しい出会いを望むなら、新たなアクションが必須ですが、現状維持を好む歳になると出会いそのものがありません。たくさんの知人がいることで安心する人もいるでしょうが、少数親友派、つまり、たくさんいなくていい、親しい友人が一人でもいれば満足だと思う私は、新たな人間関係を作ろうという気がありません。
これが歳を取る…ということなのでしょうか。
いま、目の前にいる大切な人との時間を
自分に残された時間、いつ何が起きるか分からない世の中と自分のカラダ…を思うと、私は友人との別れ際の「またね!」は今生で最期かもしれないという尊さを感じます。
次がないかもしれない…そう思うと、共有している時間が有難いと感じるし、相手をより大切にしたくなります。
この感覚を持っていると人間関係の断捨離も可能です。なんとなく会っていない?「おつきあいしなくちゃ」と思っていない?自分にとってホントに望んでいる?
心が感じるまま生きればいい。だって、時間もエネルギーも無駄遣いできるほど自分には残っていないのだから。大事にしたいことだけ大事にする、これがハッキリすると自分自身に使える時間とエネルギーが増えるのでラクになります。
負荷をかけて鍛えていいのは若いうち。いまは、とことんあ自分に優しくしてできた余裕のぶんを友人と共有できたらこれ以上のハッピーはありません。
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