
母が健忘症になっても私の小説の趣味を覚えていた
しばらく前から、母はいわゆるボケ気味になり、兄の管理のもと、老人ホームに入っている。といっても見た目は健康だし、意識もはっきり、受け答えも普通にしている。ただ、いわゆる健忘症が激しく、記憶がひどく曖昧になっている。久しぶりに会いに行った。
顔を見てもこのおっさんが自分の子どもだということはわからないが、名前を名乗るとそれはそれで思い出したようで、会話が始まる。応答だけ見れば自然で、こちらの質問に答えているし、文脈に応じた質問をしてくる。
しかし、致命的に短期記憶がない。ゼロと言っていい。
母「子どもは女の子一人だけ?」
私「ええ、一人だけ」
母「(娘に)うちは男三人だったでしょ。女の子一人なんていいわね、可愛がってもらいなさい。(私に)それで、子どもは女の子一人だけ?」
こんな調子で、10秒前にした質問を覚えていられず、くるくると会話が膠着する。90分ほどの間に無数の「女の子は一人だけ?」を聞くことになった。
また、部屋の隅に置いてあったアルバムを持って来て見せてくれる。理由はわからないが、私の赤ん坊の頃の写真アルバムが置いてあった。私の娘(母にとっては孫)にひとしきりアルバムを見せて、部屋の隅に戻すが、しばらくするとまた持って来て見せてくれる。これもまた、短期記憶の欠落だ。
やはり比較的昔の話、つまり長期記憶については残っている。私が子どもの頃の話などは覚えているし、今日は自分の父親の話まで話してくれた。長期記憶に入っているものは定着が強いようだ。
もちろん、中にはいくつかループしなかった話題もあったのだけど、その中に一つ、ちょっと私の印象に残った質問があった。
「あなた、小説はまだ書いてるの? そう、書いてるのね。書きなさい。書いた方がいいわよ」
真面目な顔でそんなことを言う。私の書いたものを読んだ回数はあまり多くはないはずだが、それが母の記憶に残っていることに少々驚いた。
私が書いているものは別に商業出版になったわけではない。同人誌でほそぼそと短編を書いているだけだが、それでも母の記憶に残っていて、応援されているというのは、何か嬉しい。