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『素敵なパーティ踊りましょう』に行ってきた

友人が出演するということで、伊藤キム&GERO&舞踏団『素敵なパーティ踊りましょう』という舞踏公演に行ってきた。私はちなみに友人以外のどの出演者にも知見がなく、舞踏公演に詳しいわけでもない。

チラシの説明には「伝道師・伊藤キムのもとに集結した、GEROメンバー&10名超のWS生によるヒッシコキダンス!」とあって、この「ヒッシコキダンス」という響きが実に良い。どうもこの伊藤キム氏の提唱するダンスのキャッチコピーなのかもしれない。

おそらく伝道師というくらいであるから伊藤キム氏は「徳たけ、人に許されて、双なき名を得」た類いの御仁であろうと想像するが、そのダンサーでさえ、踊る時には必死こいて踊るのだ、という事実に共感し親近感を覚える。これはおそらく芸事すべてに通ずるものであろう。昔『書きくけこ』という書道漫画で登場人物の一人が利き腕をけがして書道を諦めかけるのだが、「思うように書けないのは書家の常。左手で書くと下手だからといってやめる道理はない」という主旨の回があって、感銘を受けた。芸を極めんと欲する人はいつまでたっても必死こいて踊るのだ。そういえば『ダンス・ダンス・ダンス』も「でも踊るしかないんだよ」「それもとびっきり上手く踊るんだ。みんなが感心するくらいに」とあったな。

会場は神楽坂セッションハウス。コンクリート打ちっぱなしで幕もなく、必死な感じでよろしい。席数は、1列7~8人が6列、といったところだろうか。自由席だったので、後ろ(上)の方と前(下)の方を見比べて、前から二列目に陣取った。低い位置から見た方が勢いがよさそうだ、との判断。

以下、セットリストとその感想は、記憶に基づいた推測。(セットリストの切れ目が不明瞭なので)。

行き交い

薄暗いステージの右(上手)から左(下手)に向かって、一群の人々がゆっくりと進んで行く。モンティ・パイソンの「SillyWalk」を思わせる動きもあれば、祈りを捧げるような姿勢の人、何かを捧げ持ったような人、いろんな人が進んで行く。ほとんどはゆっくりだが、時折動きの速いのがいたりする。これは一体何なのかといえば「行き交い」だとしか言いようがない。(一方通行なので行き「交って」いると言えるのかどうか判然としないが)

騒動パーティ

打って変わって、爆音に沿って激しい踊り。もうこれは間違いなく必死感ある。

ユラギ

3名のパフォーマーがゆらゆらと。ペンギンは一匹が動くとそれにつられて他のペンギンも動くと聞いたことがあるが、それに似て、一人が動くとそれにつられたかのように他の二人も動く。ゆらゆらと。

ケモノ

最初、4名のパフォーマーが思い思いの姿勢で舞台を歩き回っている。とさかのようなものを動かしている人もいれば、鈎爪のような手の形を顔の両側で掲げている人もいる。
しばらく眺めていると、舞台の左右から男性が二人入ってきて、突然会話を始めるのでびっくりする。ここまで台詞はまったくなかったのだ。
「これは……なんですか」とまるで観客の代弁みたいなことを言い出す。
「鳥ですかね」
「鳥にしては飛ばないね」
「魚かな」
「あれは背びれですかね」
「ケモノかな」
などと雲をつかむような会話が続いた後、「ちょっとこのケモノの檻に入ってみよう」と二人は檻の中に入り込む動作をし、ケモノたちを近くから鑑賞する。
一人が「このケモノを伊藤キムが演じたらどうでしょうね」などとメタなことを言い出すのでまた仰天する。「見たいですね」「僕はそれを見ないことには京都に帰れませんよ」「では演じてもらいましょう」と観客にアナウンスすると、それまでいた演者たちはそそくさと舞台袖に帰って行く。
伊藤キム氏が入って来て、一人で舞台の中央に立ち、ケモノを踊り始める。はじめはゆっくりと片手を上げる動作から始まり、両手になり、両手がケモノのような名状しがたい動きを始め、次第に動きは大きく激しくなっていく。

見物人

伊藤キム氏がケモノを踊っている最中に、舞台袖から4人の闖入者が現れ、伊藤キム氏を遠巻きに眺める。一人は「ぱおーん」と象を思わせる言葉を発する。一人は伊藤キム氏を見て「始まってる?」と誰にでもなく尋ねる。一人は忘れたが、もう一人は「いいよいいよ!」と褒めそやす。この4人は伊藤キム氏をある時は眺め、ある時は関係なく、それぞれの台詞を繰り返しながら舞台上を踊り回る。

ケモノ番外編

この辺りから演目の切れ目がわからなくなってきた。伊藤キム氏が踊っていたのがケモノ番外編なのか……?

静かなパーティ

記憶があやふや。部分的には、「行き交い」にテーマが戻る場面もあったように思う(SillyWalk的な動きをする人など)

彫像崩れて波になる

演者たちは手足を縮めて床に丸まり、ごろごろと観客に向かって押し寄せる。そして舞台の手前の端に来るとゆっくりと起き上がり、しばらく立ち尽くした後、舞台奥に駆け戻って彫像となる。彫像はしばらくすると溶け出すように地面に転がり、またごろごろと観客に向かって打ち寄せる。

オイオイパーティ

記憶があやふや。

感想

 見る前にはおほけなくも烏滸がましく「最近は娘の影響でダンスを見る機会が増えたので前よりはわかるかも」と友人に伝えたのだが平伏して撤回する。私はコンテンポラリーダンスという分野があることをすっかり忘れていたのだ。むしろ娘の影響でわかりやすいミュージカルダンスばかり見ていたので、忘れてしまっていたのだと言えるかもしれない。

久しぶりに見るコンテンポラリーダンスは実に面白く、また奇っ怪であった。我々、愚かな衆生はわかりやすいものが好きなので、「ピシッと揃った」とか「音楽に合ってる」とかそういう踊りで理解をした気分になってしまうが、そも踊りというものが「身体の動き(というか舞台上に展開される空間)で見る人を動かす」というものだと考えたら、これもまた一つの素敵なパーティだったと言えるだろう。人はパーティを理解しようとしたりしない。我々はただそこへ行って、リラックスして与えられたものを受け取ればいいのだ。


伊藤キム氏のex-Twitterはこちら


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