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ハナの季節
うちで飼っている柴犬は普段はとても物静かなくせに、1年に1度だけ手をつけられないほど吠えて騒ぎ暴れまわる。
それは決まって春先で、「暖かくなってきたからねぇ。ハナも嬉しいんだろう」と母はのんびり構えていた。
私が幼い頃にハナは家にやってきた。濡れた鼻先に触れてビックリした私が『ハナ』と名付けたらしいが、もちろん覚えてはいない。
今年もまたこの日が来た。
目の前の老犬は、あちこち走り回り、つんざくような音でしきりに吠える。
「あらぁ、今年もよく鳴くのねぇ」
赤子を褒めるように穏やかに見守る母の感覚とは程遠く、私はイライラしていた。
「ハナ、うるさいっ!あっち行って!!」
テレビのボリュームを上げる。ニュースは桜の開花宣言を明るいトーンで伝えていた。
「今年の桜は早いのねぇ」と母はハナをなだめるように話しかける。
テレビは有名大学の合格発表の話題、春から新一年生になる人の声が続き、画面いっぱいに幸せが映し出されていた。
母は何も言わないが、気にしているはずだ。私だって勿論気にしている。私も大学生になれるのだろうか。試験の出来はいまいちだった。推薦や前期日程で友達がどんどん進路を決めていくなか、私だけが出遅れている気分だった。
もう不合格なら不合格でもいい、早く結果を知りたい。……いや、やっぱり合格がいいに決まっている。
いつの間にかハナは鳴きやんでいた。母の横で大人しくテレビを見つめている。陽気な空と桜を見て、少し笑っているようにも見えた。
それから数日経って、またハナが暴れた。壊れたスピーカーよろしく大声で吠えまくる。私に気を遣ってか、さすがに母もハナをいさめる。
「ハナ、こっちおいで。今日は大事な日だから。ね?」
合格発表の日。
朝からどんよりとした雲が影を落とす。重たく湿った嫌な空気だ。ただひたすらに『合格』であることを願って、発表時刻を待つ。
サイトにアクセスして、更新ボタンを連打する。パッと切り替わった合格者一覧の画面から、自分の受験番号を探し出す。
「……あった、あった!!39番あったよ、おかあさん!!」
ひとしきり母と喜んだあと、ふとハナがうるさく鳴くのは今年2回目だったと気付く。
「合格祝いじゃないの?」と母は笑った。
「ハナ、ほら『サクラサク』だよー」とスマホの画面を見せて報告する。
ハナは既にいつもの落ち着きを取り戻していた。尻尾を振って、スマホと私を交互に見比べる。その顔は笑っているように見えた。