私の知っている類型論

さて、とりあえず私が(特段する意味があったとは言えない自己紹介のあとの)最初の記事に書くことと言えば、やはり類型論の話になると思う。
出会ったのは比較的最近だが、今となっては私のあらゆる価値観の根底にあるといってもよいだろう。まあ、出会ったことで価値観が大幅に更新されたみたいな劇的なものというよりは、元から漠然とあった価値観にうまくマッチするそれらしい概念が見つかったと言う方が正しいと思うけどね。

類型論って?

かなり厳しい目で見ると私の使い方が正しくない可能性は若干ある。専門家とかではないし、しょうがないね。
なので、もし私が「類型論」と文章やその他発言で言及した場合に、それが表現するものは何かという前提で説明したいと思う。

類型論(または性格類型論)とは、古典的な心理学者であるユングの研究に端を発するような、人間の性格をいくつかのタイプに分けよう、分けられないか、ということを考える心理学の理論である。
そして私がその中で知っていて支持しているのは、MBTIとソシオニクスといったところだ。
他にも存在しているだろうが、基本的にはMBTIが根底にある場合が多いだろうか。
私はよく知らないのだが、ユングの理論とはまた別の根源をもつエニアグラムというのも、いわゆる「類型論界隈」ではポピュラーなようだ。

MBTIとは

これは最近だとそこそこ一般にも知れ渡ったところがあるように感じる。性格診断サイトを初めとしてあなたも触れたことがあるかもしれない。
何を隠そう私もそうだった。まあ、厳密にはMBTIの派生の独自理論のようだったが、根本的な違いがあるわけではない。

基本的にMBTIとそれらの派生は人を16個のタイプに大別する。16もあって大別と書くのは違和感があるが、何十億人といる人間を16タイプに分けると考えるとおおげさではないと思う。
そして各タイプをアルファベット4文字で表すというのも特徴である。例えば私が自認するところだと「INFJ」である。
それぞれ何番目の文字かが重要であり、それぞれの単位は2文字ずつバリエーションがある。例えば一文字目はIかEである。
これが4つ、つまり2×2×2×2で16タイプというわけだ、なるほど完全に理解した。

後程紹介するソシオニクスとの比較でもあるのだが、この4文字の表記法がとにかく完璧なデザインと言っていい出来で、これだけでもMBTIには価値があると言っても過言ではない。実際UXデザインの周知や洗練が叫ばれる時代に、もっとも類型論で知れ渡ったと言って良い理論が持っている特徴なのだから、納得である。気になる方はネットで調べればより詳しいものがちゃんと出てくるはずだ。

特に影響をうけているのは

類型論の代表といえばMBTIだが、私がもっとも強く共感を寄せるのはソシオニクスという少し違うものだ。
一応厳密にはユングの理論に情報代謝理論というのを組み合わせたものらしいが、情報代謝理論がまずよくわからない(ネットで分かりやすいものは見つからなかった)し、ユングの理論が元にあるという点はMBTIと変わらない。(ロシア語の文献が多いようだが・・・)
実際MBTIの派生と解釈しても、何ら違和感はない。例えば、MBTI同様16のタイプに基本的には分けているし、むしろMBTIと併用した方が分かりやすくなるだろう。

逆に何が違うのか?ということを書くと、
MBTIがあくまで個人に焦点を当てた理論であるのに対して、ソシオニクスは各タイプ同士の関係性について論じることが可能で、むしろそれがメインという点は大きい。

ただ、第一印象としてはMBTIとソシオニクスの違いというと、先程の4文字の表記法とは違う独自の表記法が真っ先に出てきてしまうきらいがある。
というのも、MBTIの表記法がとても分かりやすいということもあり、せっかく興味を持ってもソシオニクスの難解な(というかよく分からない)表記法のせいでリタイアしてしまうというのは、ままあると思っている。

つまるところソシオニクスはマニアックなわけなのだが、表記法は正直MBTIのものを使えばなんら困ることはない(というかソシオニクスの表記法の利点ってなに?というのが個人的な感想。もしあったら教えて頂きたいです)。
そして肝心な部分を理解すればよりユングの理論、ひいては人間の性格についての理解が深まるのだと本気で言える。
実は、色々と考察していくうちにソシオニクスから更に派生するような持論を持ちつつあったりもするので、こちらはいつか拙いながらもお話しできたらいいなと思っていたり。

あとがき

非常にざっくりとだが、私が知っていてかつ支持している類型論のお話であった。

もし私が何か考えを文字に起こす場合、これらは価値観のレベルに刷り込まれていると思うし、なんならナチュラルに類型論に関する用語を用いることもあるだろうと思う。

もう1つ私の価値観で特筆すべきものというと、数学があると思うのだが、数学はそこらにもっと詳しい人がいたりしてわざわざここで紹介するほどのすごい知識を私はもっていないし、よく知られている概念でもあるわけなので、特に書く必要はない。これから書くもののなかで自然に認識してもらえるだろうと思うので書くつもりもない。

しかし、類型論に関しては事前に書く必要性があるだろうと思ったまでだ。
というわけで私の書く文章における類型論のコンテキストは以上だ。
締めの言葉として、この流れだとありきたりになってしまうが、もし類型論界隈以外の方で私の文章を読んでいる人がいたら、この機会にMBTIなどについて調べてみては如何だろうか?ま、これを書いている段階では、そんなことが本気であるとは考えていないけどもね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?