32歳と8か月。

家族に甲状腺疾患がいて、何年か前に謎に体調を崩している時に家族にもいるしと検査を受けたのがきっかけ。
良性だけど腫瘍があるね、と毎年の経過観察を続けていました。
24年の秋の定期検査、エコーをしたら「リンパが腫れてるね」から始まり、穿刺して検査をしようかにまで。
また何年か前にやったやつをやるのか、あれ痛いんだよな~と思って、気持ちはしゅんってなったけど
検査とか必要なものはやるってだけなので、何も気にせず。

結果が出たあとで最短で来れる日時を予約していたけと、ある日病院から「少し早めに来てもらうこともできますよ」と電話。
いつもはそんなことない、確かに予約よりは1週間くらい早くはあるけど「なにか急いだ方がいいってことですか?」にはいえ空きが出来たのでという返し。
これは言えない、行った方がいいやつなんだとおもって、素直に早めに受診をした。
結果悪性でしたとぽんと言われて
細かい説明はなし、診断書と紹介状を渡されて、今見つかってよかったよ言われて、診察室からぽいっと出された。

癌だという実感もなく、なんかよくわからず
またしんどいことが増えんのかと、そもそも家族がいまから放射線すんのに?いま?同時に?
仕事で心配や心労をかけてるのに、また子供が癌だなんて、そんなと思って
でもやたらと自己としての悲しさや、ショックは覚えてない。
ちょうどバカンス中だった彼に連絡をして話して、親を心配させてしまうどうしようと泣いたのは覚えてる。
「治すしかないんだから気を確かに持て」って言われた。
いま思うと気を確かに持たなくても良かったとは思う。

そっから手術までの3ヶ月、記憶なくなるまで働くんだから気なんか確かに持たずに、もっと心と向き合って、悲しいと思っておくべきだったのかも。

ちょうど辞めようとしていた会社も、頭を下げて戻してもらって、癌だと話した。
完全に狂ってしまっていたからか、近しい人には割とラフに癌だとも話した。
検査結果を聞いた翌日に行った15年来の美容師さんにも
ニコニコと癌になっちゃったの~、くらいで。
癌になっちゃった、目元ピースギャルピースみたいなそんなこと元々しないのに。
助けて、というヘルプだった気がする。

説明するときに予後はいいみたいですとか、調べていいかと言ってくれた偉い人も予後はいいんだねよかった。と言ってくることに
予後がいいからなんだというのだ、と
確かに予後はいいんだろうけど、なんかそういうことではないというか、死に直結しているかどうかもそうかもだけど
首を真横に切る、臓器が丸ごと無くなる、合併症はごまんとあったし、一生涯薬を飲む、妊娠は?声は?どんな体になるの?答えもなく、なんとなく独り歩きしていく、そんなことを思ってた気がする。

予後、ってことばはいい言葉ではない。(私は)

入院して、手術までのこの時間がきっと大切だったのに何もしてあげられなかった。
ごめんね、と手術から目覚めた後に思った。
ちゃんと優しくしてあげられなくてごめんって。

手術した夜の病室はいつもより真っ暗に感じて
痛みと再手術になったりするんじゃないかと不安で、早く帰りたいと思っていた。

断片的なことはまたまとめて。

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